選択肢は2つだけ
この世で一番甘いものが欲しいんですけどォ。甘すぎて反吐が出そうなくらいのヤツな。
お誕生日に欲しいものを尋ねたら、予想通りの答えが返ってきた。
甘いもの、甘いものって、この男は普段から散々食べているくせにまだ足りないんだろうか。どうせなら、銀さんがギブアップしそうなくらい、思い切り甘いものにしてやろう。望みどおりに反吐でもなんでも出させてやろうじゃないか、と思った。
「期待してて」
1キロの上白糖をまるまる一袋、ボウルに突っ込んで。泡立て器でかきまぜるのには、案外体力を使う。甘い匂いだけで吐きそうだ。
糖分の塊のようなドライフルーツをこれでもか、ってほどたっぷり混ぜ込んだパウンドケーキ。
自分では絶対に味見したくない代物が出来上がったのは、誕生日の朝のこと。
「まだできねえのォ?味見役とか、いりませんかー」
「もうすぐだから」
ぷすり、差し込んだ竹串の手応えをみれば、順調な焼き上がりのようだ。あとすこし。
銀さんの半端ではない甘いもの好きには、なにか理由があるんじゃないかと思ったのは、オーブンから香るこうばしい匂いを嗅いでいる、そんなとき。
人が糖分をほしがるのには、食欲や嗜好とは別の意味合いがあって。脳の栄養になるのはぶどう糖だけなのだという(ぶどう糖と糖分って、関係あるんだっけ?)。
「んだよ。誕生日の朝から、焦らしぷれいってやつですかァ」
「違います」
聞きかじりの知識が導く答えは、目の前でだらしない恰好を見せている男とは似ても似つかないもの。
頭を使うと、身体は糖分を欲するらしい。だとしたらこの男は、ゆるみきった顔に隠して、かなりの速度で脳をフル回転させているのだろうか。だからつねに甘いものを欲しがるんだろうか。
まさか、ね。
――チン。
心地いい電子音。気分の悪くなりそうなほど甘い香り。
「うまそ」
ふわり、うしろから温かい身体に包まれる。耳元で低い声。
ミトンを両手に、熱い型をもつ私は身動きがとれない。こんな体勢になることを計算して近付いてきたのだとしたら、やっぱり銀さんは思ったより策士なのかも。
「熱いから、はなれて」
「いや、っつったら?」
「コレ、食べさせてあげない」
「……意地悪ィな。朝からさんざん放置ぷれいのあとは、焦らしぷれいですかァ」
「銀さんの彼女、ですから」
「似たモン同士ってか」
「まあね」
へえ。そんなこと言うんだ?いっそう低い声にふりかえれば、きれいな瞳がにやり。三日月型に歪んでいる。
「やっぱり離してやんねえ」
「は?」
せっかく焼いたケーキ、食べないの?とびっきり甘くしたのに。
「先に食べてえモン出来たから、いい」
声が甘く掠れている。
まずいまずい、これはきっと、そういうこと――
こうなってしまったら銀さんはなかなか引かないんだけど、今はまだ明るくて、明るいどころかまだ朝で。今日はお誕生日だから、こうなることも予想していた。でも、もっとずっと後だと思っていて。
というか、せっかく焼いたケーキ食べて、うげえぇぇぇなんですかコレは甘過ぎんじゃねえか、って顔を歪めるところが見たくて。反吐出そうって言わせたくて。お口直しにお前を食わせろ、的な感じになるのかなって勝手に思ってた。
「取り敢えず、置け」
「やだ」
「あとでちゃーんと喰うから」
「やだ、なん で…」
「それよりもっと甘いモン、見つけちまったからに決まってんだろォ」
なに、それともたまには台所でやっちゃうのもいいなあ、とか?俺はどっちでも大歓迎だよー。
「ばか銀」
「布団、まだ敷いたまんま」
「そっちで お願いします」
ミトンごと抜き取られて、掌に感じていた人工的な熱が消える。いきなり抱えあげられたらバランスを崩すから、条件反射で首筋にしがみ付く。
「お前もやっぱり銀さん食べたかったんだァ」
そんなにしがみ付かなくても、もうすこししたらイヤってほど抱いてやるから。
ちがう、のに。やっぱりこれは、全部わざとなのかもしれない。
動けない状態で抱きしめて。耳元で囁いて抵抗を奪う。いきなり抱きあげて、バランスを崩す。
銀さんはずんずんと寝室へ向かっている。
さめちゃったら型から抜きにくくなるかな。恨めしそうにキッチンを目で追えば、なんだよやっぱり本心では台所で立ったままぷれい希望ですかァ?正直に言えって。やけに嬉しそうな銀さんの顔。
「お前ヤーらしいのな。銀さんはそういう子、大好きだけどね」
「ち が う か ら!」
「でも、その内一回くらいは、な」
「イヤです」
「誕生日プレゼントだと思って」
「ケーキ焼いたし」
「つめてぇなあ」
「銀さんの彼女、ですから」
「似たモン同士ってか」
「さっきも同じ会話した」
「じゃあ、やっぱりお前も……」
めちゃくちゃヤーらしいことしたいって思ってるんだァ?そんなの聞いちゃったら、銀さん遠慮しねえから。思いっきり朝から愛してやるから。二度寝なんてさせねえから。
とすん、布団におろされて。
覚悟しろ。耳たぶにふれる嗄れた声。自分の武器を知っている、狡いオトコ。
きっとこのあとは、指で声でじわじわと溶かされて、どうしようもないくらいに甘く甘くふたりで煮詰まるのだ。
「お誕生日、おめでとう」
ゆるり、私の上で表情をやわらげる彼に、そっと両手を伸ばした。
選択肢は2つだけ僕と生きるか、僕の手で逝くか★ ★ ★
「ケーキも食べてね、銀さん」
「おう。って、なにこれなにこれ甘過ぎんだろォォォ!ギブ!ギブ!!頭んなかどろどろに溶けそうに甘いんですけど、反吐出るだけじゃなくて内臓まで出てきそうなんですけどォ。口直しにお前喰わなきゃやってらんねえ…って、これ言わせたかったの?お前ってば可愛いヤツ」
「ち・が・う!」