くちびると泣き顔
嫌いだ、苦手だ、と思っていることに限って、それらが押し寄せてくる。自分の周りに、まるで吸い寄せられたように集まって。そればかりが堆積してしまう。
皮肉なものだなと思うけれど、生きていれば存外そんなことがよくあるものだ。
「バカな女」
蔑みの言葉と一緒に、たまらなく意地の悪い視線を注ぐこの男は、一応私のカレシ。彼の言葉によれば飼い主。
沖田総悟、泣く子も黙る鬼の真選組一番隊隊長にして、自称サディスティック星の皇子というヤツらしい。そんなこと言ってるアンタの方がバカじゃないのと思うけど、本心は言えない。
美しすぎるベビーフェイスとその声に騙された自分を、いまでは思いきり呪いたい。見た目に惑わされないようにって、あんなにいつもいつも思っていたのに。
「黙るしか能がねえんですかィ。このバカ」
痛いのは嫌いだ。踏み付けられるのも、蔑まれるのも、大嫌い。負けるのは許せない。悔しい、くやしい。
なのにこうして組み伏せられると、どうしようもなくなる。キレイな、綺麗な目があやしく歪めば、視線を外せない。
「そろそろ泣きなせェ」
手首に食い込む指。外圧は少しずつすこしずつ高まって、本気で痛い。泣きたいくらい痛いけど、絶対泣きたくない。泣けば彼を喜ばせるだけ。
手足をばたつかせ藻掻いても、手首はびくともしない。こんな可愛い顔をして、どこにこれほどの力を潜めているんだろう。
「抵抗しても無駄だって、何度言ったら分かるんでィ」
「……」
「ったくアンタは、救いようのないバカですねィ」
いくらでも反論の言葉は浮かんでくるのに、ひとことも口に出来ない。すぐに覆されるのがわかっているから。こぼれそうな罵声を飲み込んで、ただ、唇を噛むだけだ。
そもそもなんで私はこの男と一緒にいるんだろう。優しい、ただ優しいだけの男でよかったのに。足蹴にされるのが何より許せなかったはずなのに。気が付けば、いつもいつも、自分を屈服させるような相手を選んでいる。嫌でたまらないはずなのに、いつも。
「まただんまりですかィ」
好きで黙っている訳じゃない。反論が無駄だとわかっているから、それだけ。こんな意地悪なヤツは嫌いなのに、大嫌いなのに。
「何とか言え…バカ女」
「なん…で、わたし」
「アンタ、今更なに言ってんでィ」
私じゃなくてもいいでしょう。言うことを聞かない女なんて、総悟にとっては腹立たしいだけだ。嫌われればいい。永遠になびかない女なら、きっとそのうち。諦めろ、総悟。
きつく睨めば、総悟のくちびるが、おそろしいほど歪んだ。
「残念でした。んな顔見せたら、逆効果ですぜェ」
「……!」
「だからアンタを手放せねえんでさァ。諦めろィ」
なんて嬉しそうな顔で見下ろすんだろう。ゆるく弧を描く瞳は、加虐の色に染まっている。やさしい蜂蜜色の髪が、嘘くさい。こうしていつも私は、不用意に彼のスイッチを押してしまうのだ。たしかにバカです、総悟の言う通り。
「そういうバカなトコも嫌いじゃねえですぜィ。この、クソアマ」
「うるさい」
私が抵抗しようとすればするほど、歪んでいくきれいな顔。そんな表情を見れば、サディスティック星の皇子というのも本当かもしれない、と思う。
「俺は、アンタの嫌がる顔が見たいんでさァ」
「変態」
「ソレ…最高の褒めコトバだって、気付いてやすか?」
「ド変態!」
がぶり。噛み付くように口をふさがれる。とてもキスなんて思えない荒々しさで。
もっと言え、もっと抵抗しろ、もっと嫌がれ。苦しめ。総悟の目が、そう告げる。悔しい、よろこばせるなんて不本意なのに。
蔑まれる、抵抗する、抑えつけられる、嫌がる、加虐心をあおる、また蔑まれる。毎回、サディストな彼との無限ループにはまってしまう。いい加減学習しろよ、私。
意地悪なヤツを黙らせるには、無反応が一番。なにをされても反応しなければいいんだ。痛めつけられても痛がらない、蔑まれてもスルー。そうすればきっと退屈して、総悟は私の手をはなす。
「なァ、ホントに分かんねえんですかィ?」
なのに。意地を張ろうと決めた瞬間、耳元で甘い声。ざらり、なぶられる耳たぶが熱い。こうやって、たまに与えられる飴があまりに甘いから、鞭の痛さを忘れそうになる。本当に狡いやり方だ。
手首の力がゆるんでも、それで逃げられる訳じゃないのに。
「男が女を選ぶ理由なんて、決まってんだろィ」
「わから、ない」
「無用な議論はしたくねえんですけどねェ」
「バカ、だから」
ふっ、表情をやわらげた総悟に見惚れて、身体からは力が抜けた。
「何を言わせてえんですかィ」
「……言わせるって、別に」
そんなつもりじゃない。言葉の途中で、ふたたびくちびるに噛み付かれる。息も出来ないくらい、ふさがれる。いつの間にか両手を縛られて、身動きがとれない。
私はバカだ、さっきのやわらかい表情が嘘みたい。総悟の顔は、意地悪に歪んでいた。なんであんなにあっさり力を抜いたりしたんだろう。
飴のあとには、強烈な鞭がくる。知っていたのに。手の平で口をふさがれて、呼吸が出来ない。自由になる足をばたつかせる。くちびるの隙間から、呻き声。
「バーカ。まだ抵抗すんのか」
苦しくて堪らなくなったのを見計らうように、また飴。
「アンタの思い通りになんか、俺はなりやせんぜ」
意地悪な台詞に、とろけるようなやさしいキス。ふれている部分から、じわじわと私が溶けはじめる。啄ばまれて、そのたびに、意志がゆらぐ。絶対に調教なんてされてやらない、喜ばせる反応も見せない。こんなのが愛なんて信じない。おかしい。
おかしいと思う、大嫌いだ。なのに、総悟のキスは泣きたくなるくらいに優しい。いつも苦しくて堪らない限界まで追い込んで、私を追い詰めて追い詰めて、本気でもうダメだと思った瞬間に一気に甘くなる。狡い。
「やっと泣きやしたねィ」
「泣いて、ない」
「声、かすれてやすぜ」
「もうやだ」
「嘘はいけやせん」
息苦しくてあふれた涙を、舌でそっと掬われる。
もっと優しい男が欲しいと口では言いながら、結局、誰かに支配され組み敷かれることを望んでいるのは、私だ。人間はいつも、誰かに、何かに、支配され征服されたい生き物で。ぜんぶ、総悟の言う通りなのかもしれない。
「バカで…ごめん」
「しょうがねえな、俺が一から躾けてやりまさァ」
「……」
「腰が砕けちまうくらい、やさしく。優しくねィ」
くちびると泣き顔アンタのわがままに付き合えんのは、俺以外にいねえんだってもう分かってんだろ。だから大人しく飼われてなせェ。バカ女。-------------------------------
2009.10.28
さて、沖田さまは何回「バカ」と言ったでしょう。
彼の「バカ」発言は「愛してる」と同義、だといいなあ