現金なお嬢様
「何考えてるの、銀さん」
「それはこっちの台詞」
伸ばしかけた手首を奪われた、と思った次の瞬間には、布団に縫われていた。
先攻と後攻を入れ代わってみねえ?銀さんはさっきそう言ったけれど、何のことだかさっぱりわからない。私は銀さんを攻めたことなんて、今まで一度もないから。
身体を重ねる前、儀式のように彼の一部位を確かめる行為は、攻めではなくあくまでも確認なのだ。そこに坂田銀時という器があって、その中にはたしかに銀さんが存在している。私が触れて、これから抱かれる男は間違いなく坂田銀時なのだという確認。誘う意味合いは微塵もない。
そりゃあ銀さんが毎度触れるたびにくすぐったさを堪えるようにもぞもぞしていることは知っているけれど、あの行為を誘いや攻めと捉えられるのは心外。
「攻めたことなんてないし」
「バッカ!お前にそんな気なくてもなァ、銀さんの身体は素直なんですゥ。いつもいっぱいいっぱいなんだよ」
「だけどあれは攻めじゃない」
「そんなこたぁ分かってんだ。だから今日は銀さんに先に確かめさせてくれって言ってんの」
いつもお前に触れられたら余裕なくしちまって、銀さんぜんぜん確かめられねえだろ。たまにはじっくりたしかめさせてくれ、それくらいのわがままは聞いてくれるよな。な?低い声で囁かれたら、逃げる理由は思いつかなかった。
先にということは、後で私にもいつものように確かめさせてくれるということだろうし。安易にそう思ってしまったのも事実だ。
「分かった。私は後でいいよ」
「じゃあ、顔…な」
うん。答えてすぐに銀さんの手が伸びる。触れそうに近い指先は、視線の端で止まったまま、じっと動かない。きれいな指、きれいな手。
肌同士の距離は、わずか数センチ。間にある空気を介して、銀さんの熱が伝わる。じわり、じわり。輻射熱というんだろうか、銀さんの掌は私の頬よりも温度がすこし高いらしい。
なぜ動かないんだろうと銀さんを見上げれば、予想以上に熱っぽい目で見つめ返されて、頬が少し温度を上げた。確かめる1パーツとして、顔を選ばせてしまったのは失敗だったかもしれない、と思った。
こう見えて銀さんは、結構頭がいいし口も上手い。とくに誰かに意地悪や悪戯をすることにかけては、天才的な能力を発揮したりするのだ。きっと一時的な思い付きで「顔」を選んだのではなく、先の先を読んだ上でそれを選んだのに違いない。だってここには、目があり鼻があり口がある。知覚の受容器官の中枢が集まっているエリアなのだから。しかもすぐそばには耳まである。
銀さんが純粋に確かめようとしているだけだとしても、確かめられる側はそうもいかない。目に見えているじゃないか。
なんて狡い男なんだろう、そう思ってふたたび見上げれば、真摯な双眸。熱っぽいけれど、狡猾さのかけらもない瞳がそこにはあった。ということは、私の考えすぎ。銀さんがただ確かめたいだけなら、私も黙ってそれを受け入れればいい。いつも銀さんは、そうして受け入れてくれるのだから。
まだ、掌が近づいただけ。触れられてもいない。
「お前、さ……」
「な に 」
「いや…なんでもねェ」
そう。まだ掌と指先は、近づいただけ。なにも私には触れていない。
銀さんの指先は、相変わらず頬から数センチの距離を保ち、止まったままだ。そうしてただ見つめる。見つめられる。瞳をほんのすこし細めて、どうしようもなくやわらかい表情で。銀さんが私を見つめている。ぞくり、背すじに鈍い戦慄が走った。
触れられてもいないのに、その視線だけでドキドキする。動悸が早まっているのを自覚できるくらい。呼吸の仕方を忘れた魚のように、苦しくて、息苦しくて、ほそく息を吐き出す。眉間には無意識でシワが寄る。
「また…それ」
「え?」
何故だろう。絞り出した自分の声は、かすれている。至近距離で吐き出された銀さんのためいきがくすぐったい。
「それそれ、その顔。いま自分がどんな表情してるか知ってますかァ?」
「………」
「銀さんまだ、触れてもいねえんだけど」
返事もできず、首を振る。その拍子に、沿えられた掌が耳たぶをかすめた。銀さんの意志ではなく、私が動いたせいだ。でも、一瞬の知覚が皮膚から神経回路をつたって、脳に身体中に刺激を送る。いま、体温が確実にすこしあがった。
「わざと?そんな顔して」
お前、狡いよ。ぐい、と顔が近づいて、耳たぶに吐息がかかる。ふわふわの銀髪が、そっと頬を撫でた。反射的に肩をゆらせば、また、銀さんのためいき。
「ちょ、タンマ。気持ちの乱れを整えるから」
確かめる、確かめる、たしかめる。俺はこれからたしかめるだけ。
すこし身をはなして深呼吸している銀さんの傍で、私もホッと息を吐く。心臓は痛いほどに緊張して、身体中にも力が入っていた。
たしかめられる側というのは、こんなにも心臓に悪いものだったのか。改めて認識すると、これまでずっとこの行為に堪え続けてくれた銀さんの愛情を、否応なく感じる。
「銀さん」
「んー?」
「ありがと」
首筋に縋り付こうとしたら、寸前でとめられた。触れたい。触れたいのに、触れられない。
「ダーメ、じっとしてろ。銀さんやっと感情の乱れを整えたトコなんだから」
「でも」
「これからしっかりお前を確かめて、じっくり感じるためだろ?」
いつもお前がやってるように、な?また耳に、低い声がすべりこむ。耳奥のうぶ毛をゆらされて、ぞくり、全身が毛羽立つ。頷いて、シーツを握りしめた。
同時に銀さんの大きなてのひらが近づく。ゆるゆると、焦らすようにゆっくり。まだ。まだ触れないんだろうか。思うだけで歯痒くて、そっと唇を噛みしめる。
「目ェ閉じろ。またあんな顔見せられたら、銀さん堪んねえから」
言われた通りに目を瞑る。頬から数センチ、銀さんの掌の熱。いつ触れられるんだろう、まだ?まだ?見えない視界で神経を研ぎ澄ます。じわり、指先の熱が近づいた。
まだ。どこに?銀さんはどこに触れるんだろう。頬?額、鼻、それとも、くちびる?どこ、どこ。
触れられないまま、どれくらい時間が経ったのだろう。ほんの数秒なのかもしれない。でも、何十分もが過ぎたようにも思える。銀さんはいま、何をしているんだろう。どこを見つめているんだろう。苦しい。
噛みしめた唇をゆるめて、浅く空気を出し入れする。心臓はまた、痛いほどに早鐘を打っている。指先の熱がまた少しだけ近づいた。すぐそばで聞こえる銀さんの吐息も、いつもより少し浅くて早い。彼も、緊張しているんだろうか。
ふたたび唇をきゅっ、と噛みしめた瞬間。睫毛の先に、そっと指先が触れて。予想外の刺激に、小さく声がもれた。
肌には触れず、睫毛の一本一本を愛でるような、やさしくて微かな刺激。たったそれだけ。それだけなのに、背中がぞくりとして、なぜか涙腺が緩む。浅くなった息を鼻から逃がして、もう一度シーツをしっかりと握りしめた。
両方の睫毛を丹念になでたあとには、瞼。触れるか触れないかの危ういところを、そっとかすめては離れる指。皮膚の薄さをたしかめるように。眼球の形を確かめるように。やさしく、やさしく撫でられる。ふたたび全身は総毛立ち、わずかな感触にも肩がゆれる。
このままいつまで続くんだろう。握りしめたシーツは掌のなか、くちゃくちゃにシワになっている。頬にも首筋にも鳥肌。
瞼をはなれた指が、髪の生え際を辿る。ゆっくりと、顔の輪郭を記憶するように。額の生え際からこめかみへ、耳の横をすべりおりて、ほんの一瞬だけ耳たぶをかすめ、顎のラインへ。
顎の先端まで到達したら、今度は逆戻り。ふたたび耳の横を滑ってこめかみへ、額の生え際へ。それを何度もなんども繰り返す。私の顔の輪郭を、指先にしっかり記憶させ、染み込ませるように。
途中で何度か、意地悪な指先が耳たぶをかすめては、翻弄するようにはなれていった。きっと故意だと思うけれど、そこは顔ではないと反論する気力さえ、私にはもう残っていない。そのたびに漏れそうな声を、必死で飲み込むのに精一杯。
次は唇。かさついた指先が、口元とくちびるの境界線を、そっとなでる。爪の先が、硬くかるい刺激を与える。
「唇、噛むな」
噛みしめていた力を抜くのと同時に、吐息がもれた。甘く、熱く煮詰まった声。
「血ィ出てんじゃねえか」
ぺろり、下唇を舐められる。頭の裏側のほうに、ずん、と衝撃が走って、体の芯が痛いほど熱くなる。肩がすくむ、背中が反る。どうしたらいいのか分からなくて、ぎゅうっとシーツを握りしめる。
銀さんの唇が一度だけ、そっとそっと唇に重なって、はなれる。追いかけたくなる。視線だけで追いかける。ふっ、やわらかい表情が私を見つめて、息が止まりそうになる。
額に、頬に、瞼に。引っ切りなしに降ってくるやさしいキス。睫毛に、鼻の頭に、耳たぶに。啄むような軽い口づけ。やさしい、どうしようもなくやさしいのに、苦しくて苦しくて咽喉が詰まる。苦しさに任せて、顎をのけ反らせる。
組み伏せる姿勢。顎をのけ反らせ、背中がしなれば、上にいる銀さんと肌が擦れる。脚が、腰が、胸が、触れる。
啄む唇だけじゃなくて、触れているすべての部分から、刺激が一斉に訪れる。体の芯に、熱が集まってくる。これは愛撫ではなくて、儀式みたいなもので、銀さんはただ私を、私の存在を確かめているだけ。それだけなのに。
もう、だめだ。もう我慢できない。声が、もれる。
そう思った瞬間、くちびるを塞がれた。荒々しく、深く。さっきまで、おそろしいほどの優しさで頬を啄んでいたとは思えない強さで。
息を継ぐ合間に、啜り泣くような声がこぼれる。ぬるり、差し込まれた舌が、歯列をなぞる。上あごをなでる。口の中は顔の一部なのかどうかなんて、もう、どうでもよかった。
キスで、キスだけで、身体がばらばらにほどけそうになるなんて、初めてだ。襲ってくる快感のあまりの深さに身を捻る。快楽に抵抗しようと足掻く。全身はすでに、しっとりと汗ばんでいる。
まだ。まだ続くんだろうか。銀さんだってもう、こんなに息が荒いのに。
「銀…さ」
思わずもれた名前を合図に、やっとキスが止まった。ふたりとも身体を重ねた後みたいに息が乱れている。
「銀さんのターンは、これでおしまい。次はお前な」
軽く額にキスをひとつ。とてつもなくやさしい。
「今日はどこにする」
「……今日は、いい」
頬にそっとくちびるを落としながら、指で耳たぶをきゅっとつまむ。
「お前は確かめなくていい訳?銀さんのこと、いつもみてえに確かめねえの?」
やさしい手が、しっとりと汗ばんだ髪を撫でている。
「銀さん、」
「どこでもOKだよォ」
「…意地悪」
分かっているくせに、そんなことをわざわざ聞くなんて。もう、すっかり息も乱れて、身体中の感覚は尖りきっていて。どこもかしこも性感帯になったみたいに敏感で。瞳は勝手に潤むし、声だって恥ずかしいくらい上擦っている。
耳たぶを撫でる自分の名前。銀さんの、その声だけで、腰が跳ねる。
「やっと銀さんの気持ちわかってくれたァ?」
「分かった…から」
「じゃあ、次から確かめるのは変わりばんこ、な」
「ん。だから、はやく」
今度こそやっと首筋に縋り付いて。熱を持ちすぎた内側に、銀さんを受け入れる。
欲しい。欲しくてほしくて、焦がれすぎて。じわり、割り込んでくる存在感に、泣きそう。
「あおんな、バカ」
「無理…っ」
「きっつ、もたねえだろ力抜け」
「ぎん、さ…の せい」
広い背中に爪を立てて。くちびるを重ねて。
たった一突きで、わずかな理性は溶けた。
現金なお嬢様もう堪えられないから早くきて、と言われたら俺だって堪えられません。