偶像破壊

 ホントに、なんていい加減な男なんだろうと思う。毎日、呆れない日などないのだ。出会った日から今日まで、たった一日たりとも。

「銀さん、起きて。時間」
「……ん」
「仕事。間に合わなくなるよ」

 雨。しとしとと雨が降っていた。朝の世界を薄暗く塗り替える、しずかな雨。

「まだ…暗い じゃねえか」
「雨だから」
「ねみ、ぃ」

 今朝は珍しく依頼が入っていたのに、何度起こしても全然目を覚まさず、仕方がないから代わりに私が仕事へ行かざるを得なかった。寝ぼけたやわらかい声で、甘えられるとついつい許してしまう。

 昼すぎに疲れて帰れば、鼻をほじりながらジャンプをよんでいる。この男、仕事には行かないくせに、ジャンプを発売日に購入することだけには異常な情熱を燃やすらしい。雨に濡れたビニール袋や、飲みかけのいちご牛乳が散乱して、片付けたはずの部屋は散らかり放題。
 夕方からふらふらでていったかと思えば、たいていは日付が変わりそうな時刻になっても帰ってこない。
 きっと今夜も、夜更けに酒臭い息で帰ってきては、さんざん絡むのだ。そんな男だと分かっていて一緒にいることを選んだのは自分だから、文句をいう気はないけれど。それに、たとえば私が愛想を尽かして「さようなら」を言ったとしても、無理に引き止めるような男ではないと思う。坂田銀時は、そういう人間だ。
 めちゃくちゃな生き方をしているようで、その根底の部分ではいつも一本の芯が通っている。他人の決めたことや踏み込まれたくない領域には決して足を踏み入れようとしないし、差し伸べて欲しい時には必ず手を差し伸べる。
 黙っていても、たとえ私が口では逆のことを言ったとしても。本心を汲み取ってしまう男だ、と信じている。

 お風呂あがりの濡れた髪をくるりとまとめ上げていたら、玄関で人の気配がした。

「おかえり」
「おう」

 案外早い帰宅に驚いて見上げれば、素面にちかい表情。アルコールの代わりに、香ったのはかすかな女の香り。
 嫉妬は性にあわないから、それくらいで妬いたりはしない。またか、とちいさくため息をついて終わり。
 女という生き物が得体の知れないものや強いものに滅法弱いのは、たぶん本能的なものだと思う。だから、彼がどこかで誰かの好意を受けるのは当然だ。彼の意志がどうであるかに関わらず。
 これまでにも女の香りを纏わりつかせて戻ってくることはあったし、彼の留守中に知らない女性が訪ねてきたことも一度や二度ではない。いちいち気にしていたら身が持たない。
 そんな男なのに、モテたいモテたいと口癖のように言うのだから、笑ってしまう。鈍いからなのか、それとも、口ではそう言いながら本当はその種のことに興味がないのか、どちらだろう。ぼんやりしていると見せかけて意外に鋭い男なので、後者の理由が正解かもしれない。

「風呂入ってくるわ」

 がしがし頭を掻きながら立ち去る背中を見送っていたら、やけに楽しげな神楽ちゃんの声が聞こえた。

「ツッキーは絶対、銀ちゃんにめろめろネ」
「つっきー?」
「うん。月詠大夫、吉原の…」
「ストップ。神楽ちゃん、言わなくていいよ」

 月詠さん、それが今夜のお相手だろうか。綺麗な名前。吉原の女性なのだから、きっと名前だけではなく出で立ちも綺麗なんだろうと思ったら、胸の奥がちくちくと傷んだ。

「なんで?気にならないアルか」
「……うん」

 気にならないと言えば、嘘になる。だけど気にしても仕方のないことだとわかっていた。聞いてしまえば、聞く前よりもっと気になってしまうことも。
 それに、銀さんはいつも私を呆れさせはするけれど、最終的に裏切りはしないことも知っていたから。

「強いね」
「…つよい?」
「うん。強いアル、あんないい加減な男を許して一緒にいるなんて」

 強くない。裏切るはずはないと信じているくせに、本当はどこかで怖がっている。それは信じていないということなんじゃないか、と自問自答を繰り返す。

「銀さんを信じてるから、ね」

 自分に言い聞かせるような言葉だ、と思った。信じるってなんだろう。信じているのなら、どうしてこんなに怖いんだろう。

「あんな男なのに?」
「うん。信じてる」
 だから、なにも言わなくていいよ。

 怖いから聞きたくないだけ。聞けば醜い感情が浮かび上がる。
 吉原の救世主様と呼ばれる彼が、私の知らないところで何をしているのか。知るのが怖いだけだ。

「若布酒とか鮑の踊り食いとか栗拾いとか、銀ちゃんやりたい放題ヨ」
「若布…酒?」
「何のことか分からないけど、ニヤニヤしてたからいやらしい事に決まってるアル」
「…そう。でもどっちでもいいよ」

 どっちでもいいなんて嘘だ。ちいさな嘘。知りたいけれど知りたくない。知らない方がいいと思う。

「……先に寝るね、おやすみ」
「ちょっと待つアル」
「神楽ちゃんもそろそろ寝た方がいいよ。夜更かしは美容の大敵だから」

 そっと背を向けながら思った。嘘つきな人は悲しい人なのかもしれない。ひとつ嘘をつくたびに、何か大切なものが擦り減る気がする。本当の自分の欠片が少しずつ消えていく。

「寛大過ぎネ!もっと怒ったほうがいいアルヨ」
「……ありがと」

 並べられた言葉の意味は分からないけれど、あまり喜ばしくないものなんだろう。

「上がったぞー」
「あ!若布酒男が帰って来たアル」
「ばっ、神楽!なに言ってんだお前」
「ホントのことアル」
「違うよォ!?銀さん、何にも身に覚えねえから」
「じゃあ、今夜は鮑の踊り食いアルか?それとも栗拾いアルか?」
「何だよそれ、なな、何のことだか銀さん全然、ぜんっぜん分かんねえんだけど。別に酌をするとか尺をするとか知らねぇから!」
 ただ、仕事してきただけだから。何言ってんの?な、な、聞いてる?

 銀さんがこれだけ慌てるという事は、やっぱりいかがわしいことなんだ。だけど、だからこそ聞かないほうがいい。

「ツッキーもその内愛想尽かすアル」
「ばっ!月詠は関係ねえだろ」

 "月詠"と呼び捨てにされた名前が、ちくり、胸の奥に刺さる。

「でもこの前もツッキーの胸触ってたアル。ふにふにしてたアル」
「な、なに言ってんの神楽ちゃあああん!あれは不可効力ってヤツだよ、ワザとじゃねえよ。見てただろォォォ」
「しっかり見たよ。銀ちゃんがふにふにしてツッキーは真っ赤だったアル」
「だから偶然なんだって、触りたいとかコレッぽっちも思ってねえから」
 ホントだから。ちょっ、待てってお前。話聞いてェェェ!!!

 背中に降ってくる慌てた声を遮るように「おやすみ」小さく呟いて、振り返らないまま静かに襖を閉じた。


 呆れることばかり。でも表面上のふらふらとは対照的に、その芯は決してぶれないし揺らがない。そんな男だから離れられない。ただ、それだけだ。

 ――月詠さん……。

 雨上がりの空で、月が淡くけぶっている。ぺたりと座りこんだ畳は、ひどく冷たかった。





 肩を落とした細い背中に、精一杯拒絶されている気がした。

「神楽…大人の関係に首突っ込むな」
「謝らないアルよ」
「銀さんたちを掻き乱して楽しいか」
「楽しくないネ。鼻の下伸ばしてる銀ちゃん見るのも、悲しい顔で笑う出来た女見るのもうんざりアル」

 いつからか、何かを抑え込むような悲しい表情を見せるあいつに気付いていた。そんな顔をさせているのが俺だ、ということも。

「物分かりの良すぎる女に甘えてばかりでイイと思ってるアルか?」
 ホントは銀ちゃんだって気付いてるくせに。

「だったら放っといてくれ、頼むから。月詠の名前なんて出すな」
「後ろめたいことでもあるのか?」
「ねえよ、なーんも後ろめたくなんてねえけど。大人にはイロイロ事情があるんですゥ、神楽には分かんねえことが、複雑に絡み合ってるんですー」
「銀ちゃんってどうでもイイことはべらべら喋るのに、肝心なことは口にしないアル」
「うるせーな、ガキが知った風な口叩くなっつうの」
「それ、銀ちゃんの悪い癖ネ」
「ガキは黙って糞して寝てろ」
「人間そうそう変わらないものだと思ってたら、大間違いアルよ」
 女心と木村カエラの髪型って諺、知らないアルか?

「知らねぇよ、バカ」

 ぴしゃりと押入の襖が閉じて、ひとり残された部屋。あいつが風呂上がりの俺のために入れてくれたんだろうか。いちご牛乳が、ぽつんとテーブルの上で寂しげに佇んでいた。





 考えても仕方ないことばかり。隣の部屋から銀さんと神楽ちゃんの会話が漏れてくるけれど、内容は上手く聞き取れない。
 別にたいしたことじゃない、今日もまたいつもと同じ。いい加減な銀さんに呆れて、ため息をついて、だけどこんな男と一緒にいたいのは自分だからと諦めて、眠るだけ。


 様子を伺うように静かに襖が開いて、ふわふわの銀髪を月が照らす。いつもと同じのはずなのに、銀色にはなんて月の光が似合うんだろう。そう思ったら泣きたくなった。

「おーい、もう寝てますかァ」

 静寂を縫って耳に届く声に、わずかな後ろめたさを拾い上げたら、もっと泣きたくなる。
 するり、隣にしのび込む銀さんの身体は温かい。黙ったまま背中から抱き竦める腕。首筋にかかる呼吸。身じろぎもできず、息を殺す。

「寝ててもいいや」

 耳たぶを撫でる低い声。寝たふりを続けながら耳を澄ます。嫉妬は性に合わないし、妬いてなどいない。
 じゃあ、なんで私は寝てるふりを続けるんだろう。なんで零れそうな嗚咽を噛み殺すんだろう。
 なんでこんなに胸が痛いんだろう。

「俺には出来過ぎた女だって、いつも思ってるワケ。お前のこと」

 大きな手の平が、髪をひと房やさしく絡めとる。銀さんからはもう、清潔な石鹸の匂いしかしなかった。

「何でも黙ってやっちまうし、文句も言わねえし。綺麗だし可愛いし」
 お前来てからお登勢のババアも煩くなくなったし。

 まるで別れ話の切り出しのような言葉だ、と思った。低く静かな声が、じわじわと染み込んで、痛い胸をもっと締め付ける。

「いつ逃げられても仕方ねえって、覚悟してた。してるつもりだった」

 ずっとな。囁きといっしょに、髪に口づけられて肩が揺れる。なにが悲しいのか良く分からないまま、胸が苦しい。
 たとえば、私が「さようなら」と言えば。「もう限界だよ」と言えば。銀さんはこの腕を離すんだろう、簡単に。いまはこんなに優しく包んでいるこの腕を。

「でも、間違いだったわ。ソレ」

 抱き竦める腕が、力を強める。痛いくらいに。

「どこまで続く道だか分かんねえけど、どこまでも続けばいいとか願っちゃってるワケ」
 いつまでも隣にはお前がいてくれたらって、な。

 くるりと反転されて、睫毛に唇が触れる。さっきまでとは違う痛さが、ぎゅうぎゅうと胸を締め付ける。

「お前の居場所はずっとココ……って、聞いてる?」
「………」
「銀さんにしてはかなり真面目な愛の告白なんですけどォ」
「……全力で寝てる所だから、邪魔しないで」
「イ・ヤ・だ」

 坂田銀時は他人の決断には立ち入らないし、何にも執着しない。そんな男だ、と思っていたのに。



偶像破

これからも毎日お前を呆れさせて安眠の邪魔してやるから、一生覚悟しろ。

 噛み付くようなキスと乱暴なプロポーズに、全てを許したくなった。
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