その男、策士につき
春を思わせる穏やかな風がお勝手にそよぎ込む、ある午後のこと。ふうわりと長い髪を靡かせて、彼が現れた。
ちょうど天敵のオババさんがいない時間を見計らって来たらしい東城の手には、なにやら怪しげな包みが握られている。
「ちょっとよろしいですか?」
一目散に私を目掛けて近付いてくる彼に、ほかの女の子たちはうっとりと見惚れているようだ。
たしかにこうして若さまからはなれてにこやかな微笑みを浮かべている時の東城は、名門として誉れ高い柳生流の四天王筆頭として、それなりに風格のあるイケメンに見えなくもない。
「東城がここに来るなんて珍しいね」
「ちょっと貴女にお渡ししたいものがありまして、参りました」
「敬語、使わなくて良いって言ったのに」
笑みを浮かべたまま東城が私の手を引くから、女中たちの視線が痛い。あなたたちがどんな風に彼を見ているかは知ったことじゃないけど、この男の実態は若命のただの変態ストーカーなんだけど……ね。
「……で、どんな用件?」
「ちょっと、ここでは言えません」
相変わらず敬語のまま、東城は頭を軽く横に振る。手を引かれ、ぐんぐんお勝手からはなれて行くので、少し心配になった。オババさんが戻って来るまでにやっておかねばならない仕事が山積みなのだ。
「ちょ、東城…私」
「何かまずい事でもあるんですか?」
「いやいや仕事中だから一応」
「それなら大丈夫ですよ」
にっこり笑って顔を覗き込まれたら条件反射で力が抜けた。
とん、と背中を押され、招き入れられたのは東城の私室。何度か足を踏み入れたことはあるけれど、こんな昼間からここに来るのは初めてだ。
「オババには私から後で話しておきますからご安心ください」
「………」
黙り込んで明日以降の身の安全について考えている私の目の前に、するりと差し出されたのはさっきまで東城が大事そうに抱えていた怪しげな包み。
「なにこれ」
「開けてみてください」
言われるままにがさごそと包みを開けば、中から現れたのは真っ白なふりふりエプロンに真っ黒なワンピース。ご丁寧に白レースのヘッドレストだかカチューシャだかの頭部装飾品まである所を見ると、最近専ら一部の男性に非常に人気があると噂のアレだろうか。
「メイド…服?」
「ご存知でしたか。だったら、話も早い」
「いやいや、何のことだかさっぱり分からないんですけど」
「この服を着ていただきたいのです」
「は?」
東城の告げた台詞が耳の中で引っ掛かった。そのせいで意味が頭へと入ってこない。
「この服を着て若のお世話係の御役目についていただけませぬか」
「なぜ」
「若が女子としての幸せを手に入れるための指南役になっていただきたい」
「それとこの服とどんな関係が?」
「大有りです。お世話係のお仕着せと言えばメイド服に決まっておりますぞ」
「そんなの全然知らないし、第一お世話係って何?私は柳生家付きのただの女中なんですけど」
なおも私が抗議しようとしたとき、東城が神妙なトーンで口を開いた。
「もちろん、お給金アップはお約束いたします」
「お断りします」
「どうしてですか」
「指南役にはもっと適任の方がいらっしゃると思うし、」
「若を一番よく知る私が選んだのですから間違いありませぬ。それに貴女以上にメイド服の似合う女子がこの屋敷におりますか?」
また東城の悪い癖だ。なんでこんなに馬鹿げたことをさも当然のように主張出来るんだろう。だから天然の変態は恐ろしい。
「とにかく、そんなバカバカしいことにつき合ってられません」
「そうですか、それは残念です」
予想に反して、東城が意外にもあっさり引き下がるから拍子抜けした。いつもの東城なら無茶苦茶な理屈をつけて、もっとしつこく主張を通そうとするはずなのに。
「もともと無理を承知でしたし……」
「そう…なの?」
「でも、貴女以上の適任者はいらっしゃらないはずなんですがね」
「どういう…こと?」
だからつい、釣られるように問い返してしまった。それが失敗だったと気付いたときにはたいていもう手遅れ。
「女子としての幸せを若に手に入れてもらう為の指南役、だからです」
「………?」
「そのためには女子として幸せになっている方しか、この御役目には相応しくない」
そう言って東城が背中からふわりと抱きしめた途端に、手からは衣装がこぼれ落ちる。
「あ…………」
首筋に顔を埋めたまま、いつもよりもずっと低い声で囁くから。
「貴女は今幸せではありませぬか?」
鼓膜に響くその声は、上辺だけの優しい台詞を吐かれるよりもずんと心に響いて逃げ出せなくなる。
「どうです?幸せではないのなら正直におっしゃってください」
耳たぶが熱い。なのにまるで寒さにふるえるみたいに背筋はぞくぞくして、身体から力が抜けてゆく。
肩越しに仰ぎ見れば、東城は口の端をゆっくりと持ち上げた。
「……狡い、東城」
「どうやら着ていただけるようですね。では、よろしくお願いします」
東城はにっこり笑う。
うまく策に嵌められたと気づいて、しまった、と思ったけれど、もはやどうにもならなさそうだ。
「着替え終わったら声をかけてください」
言って障子を閉じる東城の背中にため息をついて、しぶしぶレースまみれの服を手に取った。
「終わったよ」
「ああ、やはり。悔しいほどによく似合っている。ゴスロリもナース服も捨て難いですが、貴女にはメイド服が一番ですね」
「はいはい」
「それもフレンチメイドのコスチュームが一番です」
「でもゴスロリと似たようなもんじゃないの?」
「ちがーう!!!」
やけに短いスカートの裾からぴらぴら覗くレースに違和感を覚えつつ何気なくいえば、眉間にシワをくっきり浮かべた東城に怒鳴られた。
「そもそもメイド服のエプロンドレスというのはベルギーの民族衣装を発祥としていて……」
「はいはいわかりました、分かったから。着替えたんだし仕事始めよう」
延々続きそうな東城のコスチューム談義を遮り、部屋から出ようとしたら手首をぎゅっと掴まれる。
「なに?」
「今日の貴女は午後から非番です」
「なんで」
「若は今日お出かけでお留守だから」
「いや、そういうことではなく」
「それからその服は私の部屋にいるときだけになさってくださいね」
この屋敷には顔面猥褻物を晒した狼がうろうろしておりますから。
「じゃあ、何のためにこんな格好を」
「プレゼントですよ」
「………は?」
「明日から貴女に着て頂くお仕着せは別に用意しております。もっとスカート丈の長い正統派メイド服を」
いや、やっぱりそれでもメイド服なんだね。どこまでも東城の変態よりな趣味優先なんだね。と思っていたら、いつの間にか東城の腕にすっぽり収まっていた。頭の真上から響くのは、吐息混じりの掠れ声。
「男が女に着る物をプレゼントする本当の意味をご存知ですか?」
ホントに東城は、狡い――…
その男、策士につきじっくり時間をかけて脱がせるため、なんですよ。