アンチピュアネス
ことの起こりは数刻前。たまには二人で息抜きでもしてくれば、との主人の心遣いに甘え、東城は彼女と連れ立って街を訪れた。初デートというやつだ。
「東城。退屈してる?」
「いいえ」
「でも疲れた顔。どこかお店でも入ろうか」
こうして二人の休日が重なることはあっても、柳生のお屋敷に仕えている者同士、取り立てて出かけることはなかった。
東城の外出といえばたいてい若の付き添いとして若の目的地へ向かうのが主だ。
一人で出かけるときはいわゆる一本一万円コース的な店が目的なので、年若い女子を連れて行くような店にはまったく心当たりがない。
「何かいいお店、知ってる?」
「………」
足の進むままに歩み続けていたら通い馴れたいかがわしい店舗の建ち並ぶ界隈へと足を踏み入れていた。
「随分きらびやかな通りだね。初めてきた」
「そう……ですか」
「東城はこういう所によく来るの?」
「い、いえ!まさか」
否定した瞬間に馴染みの店の客引き男が「お兄さん、毎度」なんて声をかけて来るものだから、今すぐハゲそうなその髪を掴み上げて散々脱毛の恐怖を味わわせた末、滅茶苦茶に叩き切ってやろうかと思った。
まあいい、この店にはもう二度と来てやるまい。せっかく彼女に似たお気に入りの娘がいたからさんざん贔屓にしてやったというのに、恩を仇で返すとは。と心のなかで毒づいたのを見透かすように、するりと差し出された割引チケットをうっかり受け取ってしまうなんて私の手のバカ。でも仕方がなかろう、それも男の性というものだ。
「東城はあの店の常連さんってヤツなんだね。ちょっとカッコイイ」
「……まあ」
「私はお屋敷の外にほとんど出ないから、憧れるよ」
憧れるなんて、お門違いもいいところだ。私はここに貴女には言えないようなことをしに来ていたんですぞ。東城は心の中で懺悔した。
これが普通の女子相手であればこうは行かなかっただろう。彼女の世間知らずぶりに東城がホッと胸を撫で下ろしたのとほぼ同時に、無垢な瞳が見上げる。
「ところで何のお店?」
「……ぶっ!」
どう答えたものか、と歩きながら東城は考える。正直に話す訳にはいかない。恐らく彼女は純粋な疑問をぶつけているだけなのだ。その答えが己をどれ程傷つけるかも知らずに。
「私もいつか連れて行……」
「行きませんっ!いけませんぞ」
「え…あの、東城?」
「貴女を、そんな裸族にはさせられません!」
「ら…ぞく、って何」
し、しまった――!!
私としたことがうっかり自ら墓穴を掘りかけるなんて、なんたる不覚。
思わずごくり、と唾を呑む。間違っても彼女に、本当のことは言えまい。けれど嘘をつくというのも気がすすまない。彼女を騙したくはないのだ。どうする、どうする私……。
言い訳として思い浮かぶのはくだらないことばかり。とにかくどうにかして取り繕わねば。そうだ、こういうのはどうだろう。
――フー族という新疆ウイグル自治区を起源とする少数民族がいるのはご存知ですか?その族のほとんどが女性で構成されていて日常的に衣服を身に纏わないで生活していると言ういわゆる「裸族」なのですが、最近では全宇宙に進出して特に地球の人々(主に男性)を悦ばせる活動を展開しておりまして、健康(特に精神衛生上)に大変良いマッサージをしてくれる。あそこはそんなお店なのですよ――
これならば嘘にもならず、真実をうまくオブラートに包んで伝えられるのではないだろうか。うん、我ながら悪くない。
いやでも、どんなマッサージなのかと突っ込んで問われてしまえばどうする?次の言い訳が浮かばない。そのうえ行ってみたい、健康に良いマッサージなら私もしてもらいたい等と言われたら?
無理無理無理無理、やっぱ無理だってこれ!どっちに転んでもドツボに嵌まるパターンだ。どうする、どうすればいい、歩――。
「東城、何を黙り込んでるの」
「いえ。なんでも」
「やっぱり顔色悪いよ、東城」
「……」
「さっきから青くなったり赤くなったり。大丈夫?」
下から覗きあげる無防備な彼女の顔に、申し訳なさが込み上げる。この東城歩は貴女に心配してもらえるような、そんな人間ではないのです。さっきも自分を取り繕うための言い訳ばかりを考えていたのですから。
「疲れてるみたいだし……どこかで休憩しようか」
休憩。そのやさしい言葉で、話題がそれたことにふたたびホッとしつつ、一方ではあまりにバカげた愚かしい想いが込み上げている己を呪いたくなった。
だけど、こんな所で「休憩」などという言葉を使えば、勝手にそういう方面のことを連想してしまうのは仕方がないではないか。いやいやでも彼女の考えているのはきっと、どこぞの喫茶店的な店のことで。そうだ、バカなことを考えるな。
「ここ、入ろ」
「……は!?」
「ご休憩って書いてる」
しかし続けられた言葉はあまりに無防備で、その意味とは真逆の空気を漂わせるから、目眩がした。やっとのことで捩伏せ、落ち着かせたばかりの東城の心にはふたたび混乱の渦が巻き起こる。
目の前に建っていたのは勿論まっとうな喫茶店でも何でもなく。
「東城、どうかした?」
「ど、どうかって……」
いや、確かに「ご休憩」とは書いてあります。でも、このご休憩は貴女の考えているような後ろめたさの欠片もない潔癖な「ご休憩」ではなくて。たかだが休憩するためだけに、喫茶店に比べれば非常に高額な料金を請求されることが多いぼったくりの一種と言えるような、ここはそんな営業を行っている建物なのですぞ。それを貴女は分かっているのですか?
「行かないの?ルームサービスもあるって。ちょっとお腹も空いたし」
「……は!?」
「は、じゃないよ。早く」
おまけに「休憩」とは言いながら入ったときよりも疲れて出てくる人のほうが多く、もはや違法営業の域にあるような、そんな――。そんな場所で、休憩なんて。心臓がばくばくと高鳴るのを抑えて、東城は声を絞り出す。
「いや、でもここは」
行こう。と言いながらすっと彼女の手が差し出されて、一気に顔が熱くなる。すらりと細くて色白の形の整った、実に女子らしい指。私はいま、この手を取るべきだろうか。もしや彼女も初めからそのつもりでここに来たのではないかと、愚かな淡い期待に胸がふるえる。
「休憩、したくないの?東城は」
「いやいやいや、あの…」
休憩したいですとも!!休憩というか、休憩という名前でオブラートに包まれたその裏にあるいかがわしく厭らしい行為を、貴女といますぐシたいに決まっております。無防備に差し伸べられたその手を取って、一気に部屋へ連れ去りたい。頭のてっぺんから爪の先まで、それこそ言葉にはできないような全身のありとあらゆるところに、丁寧で執拗な愛撫を飽きるほどに施したい。
一般論的に考えるならば、このような場所へ入ろうと異性を誘った時点で、その後の全ての行為は暗黙の了解事項。私は貴方になにをされても文句はありません、むしろ何かしてくださいという意味ではないか。しかも私と彼女は一応曲がりなりにも恋人同士という関係なのだ。誰に咎められるでもない。
ただ問題は、彼女がかなりの世間知らずだということ。おそらくここがどういう場所なのかも分からずに誘っているに過ぎないのだ。
そんな彼女をいま私が一時の欲情のままに連れ込めば、その後の行動にはもうまったく自制のきく自信がない。己の穢れたバベルの塔は天衣無縫に暴れまわり、きっと部屋へ入るなり即完食、ごちそうさまだ。
そうすれば、純粋で清らかな彼女の心と身体をどれほど傷付けてしまうだろうか。一瞬で全宇宙の生物中 最も嫌いな生き物 No.1にランキングされてしまいかねない。それは、若に死ねと言われるよりもずっと辛いことだ。
他の女子が相手ならば悩まず己の欲望を満たすことを優先させる局面だけれど。けれどいまは、今の彼女相手にだけは、どうしてもダメだ!
ここは己の愚かな情慾にはぎゅっと眼を瞑って、しっかり私が彼女を教育して差し上げねば。
「東城……」
「ここがどういう場所なのか、貴女はお分かりではないのです!」
「知ってるよ」
へ?いま、なんと――私が聞き間違えたのでしょうか。それとも、貴女は違った意味で私に教育をされてしまいたいということなのでしょうか。いわゆる、その…性的な。
「あ…の………」
「知ってる、って言ったの」
知っている?ではやはり、貴女も私と同じ気持ちなのですね。休憩という名前でオブラートに包まれたその裏にある行為を、望んでいると。
そうだ。結局、なんだかんだとご託を並べてみたところで、私と彼女は生物学的には繁殖適齢期まっただ中の雄と雌でしかないのだから。彼女がそんなことを考えていても不思議ではない。性的教育を求めているのなら、早く言ってくれれば良いものを。
そう思ったが最後、東城の脳は勝手にいかがわしさ満点の方向へフル稼働を始める。
脳内ビジョンのなかで彼女は、大胆で色気たっぷりの見たこともない媚態をくりひろげ、東城をどうしようもなく誘惑した。首筋に縋りつき、美しく伸びた脚を東城の腰に絡ませ、自らを東城に摺り寄せる。そこを熱のままに貫けば、とろけそうな表情を浮かべて、切なげに身を捩る。そしてその薔薇色のちいさな唇は、啜り泣くような甘い声で熱っぽく私の名を――
「東城」
「は! い、行きましょう。すぐ行きましょう!いますぐに」
一番見晴らしのよい部屋でも高価な部屋でもなんでも、貴女のお好みに全て合わせます。ルームサービスも好きなだけとれば良い。そのかわり、一緒にお風呂へは必ず入りましょう。ふわふわの泡だらけのバブルバスで戯れる。お屋敷にいては出来ない事を全てやり尽くしてやりましょう、さあ早く。
ただでさえ崩壊しかけていた理性は、己の想像のせいで一気に崩れ落ちそうになり、彼女の手をぎゅっと握りしめたのも束の間。
「 冗談、なんだけど」
ため息交じりの表情で、呆れるように告げられた言葉に、がっくりと肩を落とす。
「へ?」
「だから、冗談…です」
「は…あ、……そ、そうですよね」
「また顔が赤い」
「………すみません」
片手で頭を抱えて俯けば、彼女はくつくつと笑いながら、悪戯っ子のような表情を浮かべて。そっと背伸びをすると、不意打ちで東城の唇を塞いだ。
「それとも…ホントに入る?」
アンチピュアネスそうやって男をからかえば痛い目に遭うという事を、これから丁寧に教えて差し上げます。
(東城、鼻血鼻血…)(貴女のせいです)