ご同行願います

 ブゥン。小さな音を最後に明かりが消え、エレベーターが微動だにしなくなったのは数秒前。なのに、ずいぶん長い時間が経過したように冷や汗びっしりの私は、何を隠そう暗所恐怖症のうえに閉所恐怖症なのだ。さらにホラーや怪談の類に滅法弱いことを、真選組隊士の恥だと隠し通している。

 ――異常な環境を共にした男女は恋に落ちる確率が高いらしい。

 小さな箱に閉じ込められた状態で頭に浮かんだのは、そんなことで。脱出には全く役に立たない豆知識がなぜ浮かんできたのか、そのときは気付く余裕もなかった。

「お、沖田隊長…」
「なんでィ」
「止まりましたね」

 自分でも恥ずかしくなる位頼りない声は、鳴かされ果てた女のように掠れていた。後悔を見透かした隊長の喉が、くつくつと意地悪な音を立てる。当たり前のことをわざわざ口にしてどうなる、とバカにするように。

「停電でしょうか?」
「聞かなきゃ分からねえんですかィ」
「…いえ。停電、ですね」

 震える声しか出なかったけれど黙っていれば真っ暗闇に一人きりで取り残された錯覚に陥るのが怖かった。なにか喋っていないと異空間に引きずりこまれそうな気がする。

「もしくは敵に閉じ込められたか、だろうなァ」

 言葉の意味にそぐわない楽しげな声を無視して、壁のボタンをめちゃくちゃに連打してみるが一向に手応えはなかった。非常照明のひとつもないなんてエレベーターの規格違反じゃないのかと思う一方で、隊長の言葉通りこれが敵の策略であれば当然の細工だと妙に納得する。
 頭が納得すれば身体はふるえ始め、急に酸素が薄くなったように呼吸が苦しい。

 ――どうしよう。

 しんと静まり返った暗闇のなか、がさがさと衣擦れが聞こえて箱がぐらり、揺れた。

「お…きた隊長?」
「立ち疲れたから座っただけでさァ、何を怯えてるんでィ」
「いや、だって何にも見えないから」
「暗所恐怖症ってヤツか」
「……いえ、別に」

 強がった瞬間に、ひやり、膝裏を撫で下ろす冷たい感触。叫び声をすんでのところで飲み込んで弾かれるように飛びのけば、再び箱がぐらぐらと揺れる。

「なに暴れてんだ」
「あ!暴れてません、急に隊長が触るから驚いただけです」
「まあ、おとなしくしてなせェ。悪いようにはしねえから」

 町娘を手ゴメにする前の悪代官みたいな台詞に、とても笑えなかった。

「……セクハラ反対」

 頭上ではワイヤーの軋むかすかな音。ぎゅうっと手を引かれて、隊長の傍にしゃがみ込む。

「アンタも座ってろィ」

 小さな密室はよほど頑強に出来ているのか、扉の向こうの気配はまったく伝わらない。繋がれたままの隊長の手を無意識で握りしめたら、予想外の優しい感触が返ってくるから心臓が跳ね上がった。
 どこかのお偉い犯罪心理学者さんによれば、非日常の空気から生み出されるドキドキは、恋のドキドキと誤認されやすいんだとか。いまの私のドキドキは、いったいどっちなんだろう。

「なんか喋れ」
「へ?」
「バカなりに、俺を楽しませてみろって言ってんでさァ」

 あいた手で頭をぐりぐりと撫で回される。その鈍い痛みで、かたかたと小刻みに震えていた足がぴたりと止まった。もしかして、私が怯えていることに隊長は気がついているのかもしれない。

「バカじゃありません」
「別に会話じゃなくて、ボディトークでもいいんですぜ」
「……っ!?」

 ハイジャック犯に惚れる人質とか、誘拐監禁犯に恋をする被害者とか。最初は好きにならなくちゃ命が危ないという本能的な防御思考から犯人を好きだと思いこみ、でもいつしかそれが恋にすりかわるのだという。

「暗闇で男と二人って言やぁ、そういうもんだろ?」
「断固 遠慮、します」

 さっきまでは暗闇の密室が怖かったはずなのに、本当に恐れるべき敵はいま隣にいる沖田隊長のほうだった?彼は犯罪者ではないけれど、いまの私にはそんな被害者たちの気持ちが誰よりも分かる気がして、空気を変えようと言葉を探った。

「沖田隊長の趣味ってなんですか?」
「ずいぶんベタで面白くねぇ質問ですねィ、合コンか」
「なんですか?」
「読書」
「え?」
「読書。って何回言わせんだ」

 てっきり土方さんを呪うための藁人形作りとか、仕事をいかに効率的にサボるかの追求とか、黒魔術を極めることとか、腹黒さ満開の答えが返ってくると思っていたのに。沖田隊長と本。予想外の組み合わせに、恐怖を忘れて少し笑う。

「いや、意外で」
「うるせェ」

 その意外さを図らずも可愛いと思ってしまった。普通の恋だって多分始まりはただの思い込みだ、犯罪心理学的な思い込みと大差はないに違いない。

「じゃあ、愛読書ってなんですか?」
「拷問事典」
「…………」

 やっぱり、そう来るのか。さっきちょっと可愛いと思った私の乙女心を返せ!と憤慨した途端、絡まる指にぎりぎりと力がこもる。痛い。怖い。私がいま怖がっているものはなんだろう。

「沖田隊長、痛い…」
「黙ってろィ」
「なんで」
「そのうち必ず助けが来ることになってやすから」

 そのうち。その内っていつですか?自問自答した後に、彼の言葉の不自然さに気がついた。助けが来ることになっている?まるで未来のことを隊長は知っているような台詞じゃないか。

「どういうことですか」
「ま、やったのは俺ですけどねィ」
「は?」
「非日常の空間では恋が発生しやすいって言うじゃねえか」

 アンタみたいなバカでもそんな説くらい知ってんだろィ。続く隊長の言葉に、繋いだ手を必死で振りほどいた。悔しい、うっかり罠にはまってしまった自分が悔しい。

「ちょっとはドキドキしたろ?」
「…………」
「犯罪心理学の実践ってヤツでさァ」

 じゃあ、無理やりこんな空間を作り出したのは隊長で、きっと私が暗所恐怖症なことも閉所恐怖症なことも彼は最初から知っていて、怯えているのを面白がって見ていたということ?それってある意味犯罪じゃないんですか!?

「例えそれが事実でも、私は沖田さんみたいなドS絶対好きになりません」
「へえー……」

 ブゥン。小さな音を立てて明かりが灯り、エレベーターが動き出す。私より先に立ち上がった隊長に、無理に手首を引っぱられる。抱き起こすならもう少し優しくして欲しいと、叶いもしない要望を飲みこんだら、壁を背に両腕の間に捕まった。

「ドキドキなんて、」
「してねぇとは言わせねェ」

 横目で盗み見れば、階数ランプはもうすぐ1階。あと少しの我慢だ。
 間近に迫るきれいな顔も、追い詰められた姿勢も、恐怖で弱った心臓に悪すぎる。さっき一瞬可愛いと思ってしまった思い込みが、脈拍数の上昇に拍車をかけて、飛びだしそうな心臓を、浅い呼吸で整えながらぎゅっと目を閉じる。
 
「誰が 俺を好きにならねぇって?」
「っ!」

 至近距離で耳元に注がれるいつもより低い声に、もれそうな吐息を噛み殺して。ふるえる指でポケットから手錠を取り出した。

 ――ガチャリ。



ご同行います

まさかアンタも拘束ぷれいがお好みとは知りやせんでした。
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