世界一のバカ男

「東城は、女の子に言われたい台詞とかある?」

 異性のどんな言葉にぐっと来るのかという話題で先程まで盛り上がっていた女中たちの姿を思い出して、何気なく発した問いだった。
 彼女たちの望むのは直接的で甘すぎる言葉。私としては聞けばむず痒くなってしまいそうなものばかりで。とても会話に参加出来ず、早々に逃げ出したところでばったり東城に遭遇したのだ。

「女子に言われたい台詞、ですか?」
「…そう」
「もちろんっ!ありますとも」
「へえー…」
「ずっと前からじわじわと温め続けていた台詞なのですぞ」

 あまりに言いたくて仕方ない表情を見せられて、ものすごく嫌な予感がした。顔に「さあ、早く聞いてくだされ!」と書いてあるのがばっちり見えるから、尚更聞き返したくない。

「………そう」

 曖昧な相槌だけで逃げたほうが賢明だと思った。だって聞き返したが最後、東城の独断と偏見と妙な自信に満ちた蘊蓄ともなんとも言えない一人舞台が繰り広げられるに決まっている。

「そうです!」
「………」
「あれ?聞きたくはありませぬか」

 正直なところ、まったく聞きたくないと思った。なんであんな質問をしてしまったのだろう、私は。と何気ない自分の台詞を思い切り後悔したけれど、眼を血走らせて膝を進めてくる東城の気迫に圧されて、渋々口を開くしかなくて。

「………なに?」
「よくぞ聞いてくださいました!」
「ちょ!東城っ…」

 盛大に唾を飛ばしながら両肩をぶんぶんと揺さぶられれば、頭がくらくらする。ものすごく嫌な予感が的中したことに気付くまで、時間はかからなかった。

「言われたい台詞。それはですね…」
「ん」
「…… "バカ" です」
「え?」

 余りに予想外の言葉は、空耳ではないかと思って反射的に聞き返した。仮にも柳生流四天王筆頭の東城が長年温めてきた台詞というのが、そんな言葉であるはずはないじゃないか。剣術以外の部分ではとんだアホ男だとしても。

「聞こえませんでしたか?バカって言われたいんです」
「いや、聞こえてますけど」
「私、女子にバカって言われたくてしゃあないんです」

 けれど淡い期待は無惨にもあっさり打ち崩された。バカ……空耳ではなかったのか。やっぱり東城は筋金入りのバカだと思えば、深いため息がもれる。鼻息を荒げた東城を促し、縁側に並んで腰をおろした途端に、彼は機関銃のように喋りはじめた。

「それもただ "バカ" と言われれば良いわけではなくてですね」
「………」
「例えばお酒を飲んだ席などで、 "いつもより可愛く見えるんですがセクハラしてもよろしいか?" などと軽口を叩いた私に、少々照れた顔で "バカ" と言ってほしい」
「はあ……」

 いま私はこの世で一番 "バカ" という言葉を使いたいと思ったが、使えばこの男を喜ばすだけだ、と何とかギリギリのところで思いとどまった。

「もしくは "好きなものを何でも頼んで結構ですから、そのかわり私を酔わせてみてくだされ" という挑発に、恥ずかしげに "バカ" と返してほしい!」
「……………」
「何かふざけたことをした私を窘めるように "バカ" と言いながらぺしりと叩かれるのも良いですね」

 すっかり己の世界に飛んで悦に入っている東城を見ていれば、ため息も出ない。今の彼はバカどころか大バカだ。それも超のつく大バカ者だと思う。眼を閉じた表情のままで、人はこんなにも緩んだ空気を醸し出すことができるのかとびっくりしすぎてなかなか声が出なかった。

「……………」
「他にはですね、例えば…」
「分かった。東城、もう分かったから」
「はて、もうよろしいのですか?」
「うん。もうお腹いっぱい」

 そう言って小さくため息を漏らしたら、さっきまで鼻息荒くまくし立てていた空気とは一変して、東城はふっ、と柔らかく微笑んだ。

「貴女は…?」
「え?」
「貴女には、男に言われたい台詞というのはないのですか」
「わたし…の」

 問われて考えてみたけれど、なんにも思い浮かばなかった。強いて言うならば、私は多分東城が楽しそうに話しているのを聞ければそれでいいのだ。それがアホなことであればあるほど、愛おしいと思う。
 東城と付き合ったせいで、いつの間にか変なセンサーが開発されてしまった自分にうんざりすることもあるけれど、実際そうなってしまったのだから仕方ない。

「分かっておりますぞ」
「なにを?」

 首を傾げたら、さりげなく肩を抱かれて引き寄せられた。さっきより近い距離で、まろやかに凪いだ声が耳元から滑り落ちる。

「私のイイ声でならば、どんな言葉でも言われたい台詞になる…と思っているのでしょう?」
「………バカ」

 きゅっと口角を吊り上げた東城の表情に不覚にも心を奪われたなんて、悔しいから死んでも言ってあげない――



世界一のバカ

いまの!今のはまさに理想の "バカ" でした。是非、もう一度言って下され!
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