◎酩酊するなら、

 今夜は急な飲み会だと告げられた時から、日番谷の頭の中には良くない予感が首をもたげていた。それでも止めようとしなかったのは、なまえが本当にお酒を好きだと知っていたから。

「だいじょーぶですよ!隊長の分もアタシがしっかり目を光らせますから」
「この世でお前が一番信用ならねぇんだよ松本っ!」

 それに、忙しくて最近ほとんど構ってやれていない彼女の気が少しでも晴れたら、と思ったからだ。

「隊長、こわーい」

 全然怯えてなどいない顔でへらへらしている松本を、きっと睨みつける。その斜め後ろで、なまえが少し申し訳なさそうに佇んでいた。そんな顔をさせたい訳じゃないのに、と思ったら胸の奥が鈍く痛んで、そっと眉を顰める。

「いいからさっさと仕事しろ!」
「はーい。でもこの子、隊長が心配するほどヤワじゃないですよ?ザルだもん、ザル…」

 ひらひらと掌を翻す松本を、ぐっと睨み付ける。なまえが強いのは俺だって知っている。知っているが、心配なのは酒に強い弱いの話ではなくて。

「やはり、行かないほうがよろしいでしょうか冬獅……日番谷隊長」
「いや。別に」

 怖ず怖ずと伺いを立てる彼女を見据えれば、俺の言葉を聞いた途端に表情がぱあっと明るくなる。そんな顔を見せられたらダメとは言えなくなるではないか。

「行ってくればいい」
「あらー?その割に隊長怖い顔」

 感情を表に出さないのは得意なはずなのに、こいつのことになると途端に例外だらけになる。酒を飲んだなまえはやけに艶っぽくなるから、それを他人には見せたくない…なんて、まるでガキの我が儘みたいでとても主張できない。自分でも眉間のシワが深くなっているのはわかっているのに、他人に指摘されれば余計苛立ちがつのった。

「松本、うるせえぞ。さっさと」
「そんなにこの子が心配なら、隊長も来ればいいのに〜」

 出来るならそうしたい。でも俺は常識的なのだ、山積みの書類を目の前にして出ていくなど無責任なことをできる訳がない。

「俺が行くってことがどういう事かわかってるのか?代わりにお前が…」
「あら。そろそろ行かなくちゃ」

 仕事を振られそうな気配に感づいたのか、松本は「やっぱりあとはぜーんぶ隊長にお任せしますね〜」気の抜けた声で言い残して彼女の腕を引く。
 心残りな表情で振り返るなまえと一瞬だけ視線が絡み合う。それだけで、つい、手を伸ばして引き留めたくなった自分に、日番谷は苦虫を噛み潰した。





 何時間集中していたのだろう。ホッと一息ついて日番谷が首をコキリと鳴らしたのと同時に、机上の伝令神機が音をたてる。
 そっと開いた画面には、短い、それでいて不安を煽る一文が並んでいた。

【気持ち悪い、戻しそう…。】

 いつもは敬語のなまえが、やけに率直な言葉で連絡を寄越したのが気になって、いても立ってもいられなくなる。
 誰かに振り回されるなんて真っ平だと思っているはずなのに、いったいこの感情は何なのだろう。残り少ない仕事のことよりも、短いメールの方が気になって仕方ない。

【馬鹿野郎っ!待ってろ。】

 慌てて短く返信しながら、眉間にぎゅうっとシワが寄る。結局俺はとことんあいつに甘いのだ。あいつが一人で苦しんだり悲しんだりしている姿を思い浮かべるだけで、堪らない気持ちになる。気が付いたときには、隊舎を飛び出していた。
 ったく、だからあいつに俺のいない所で酒は飲ませたくなかったんだ。いつもはしゃんと伸びた背筋が、途端にしどけなくなる。喋る声はアルコールで甘くまるみを帯びる。そんななまえの姿を思い浮かべては伝令神機の発信ボタンを連打する。

「さっさと出ろよ…」

 見る奴が見れば、襲ってくれと言わんばかりの風情を見せる酔った彼女。自制心の強い俺ですらそうなのだから、普通の男が釣られないはずないではないか。
 一向に繋がらない彼女の伝令神機を何度もコールしながら、いつになく焦燥が募る。

「俺をこれだけ心配させてただで済むと思うな」

 苛々しながら十数回目のコールをしたら、やっと松本の気の抜けた声が響いた。

「…どこだっ!?」
「あ〜、隊長?早く来てくださいよ」
「あいつは、なまえは?大丈夫なのか?」
「キス魔になる寸前で、いまトイレ行ってますけど〜」

 細い身体を折って気分悪そうにうずくまるなまえの姿が頭に浮かんで、勝手に足が速まる。うわばみ並に強い彼女が、酔うなんて相当だ。

「どんだけ飲ませてんだお前はっ!」
「え〜、らって今日は最近元気のないなまえを励まして潰しちゃう会なんれすもん。たいちょ〜がずっと放っておくから悪いんじゃないれすか…だいたい、」
「切るぞ」

 呂律のおかしい口調で延々と喋り続けそうな松本を途中で遮り、さらに足を早める。
 霊圧を辿ってやっと店に着けば、今にも阿散井の頬にキスをしそうななまえの姿が目に飛び込んできて、一気に頭に血が上った。

「ちゅー!恋次、ちゅ………えっ?」

 掻き乱された感情そのままに、背後から細い身体を抱きすくめると、無理やり阿散井から引き離す。デレデレと相好を崩していた奴は俺に気付き、一瞬で酒が抜けたように凍りついている。

「ちょ、やめてよ誰れすか?なまえらめなんよぉ!!!」
「………いい加減にしろ」
「わたしは酔ったららんじょとわじょきしゅ魔になりゅか………ら。あれ?」

 この声は…。小さななまえの呟きに、俺以外の全員が首をこくこくと縦に振る姿が滑稽だ。

「…なまえ」
「……っ!!」

 そっと振り返ったなまえの目に、俺が映る。酔いでとろりと潤んだ瞳、半開きの唇。なんつう表情してんだ。こんな顔して迫られたんじゃ阿散井だってふらふらするのは仕方ないじゃないか。とても責められない。男ならつい、反応しちまいそうな顔。

「何してんだお前…」
「は…とーしろ…さま。なんれ?」
「なんでじゃねえ。仕方ねえな」

 ぐいと引き寄せて顎を掬えば、なまえの瞳が潤いを増して見えた。酒臭い息の向こうから、嗅ぎなれた甘い匂いが漂う。なまえの香だ、と思った瞬間にすごい勢いで抱き着かれた。

「とーーーしろさまぁぁあ」
「煩い!日番谷隊長だ」
「本物のとーしろさまだ…冬獅郎様」

 酒にほてった指先が、俺の顔の輪郭を辿る。愛おしいと告げながら、俺を辿る。「本物の」って何だよそれは、と思ったけれど、目の前の女が余りに幸せそうな顔を見せるから、ツッコミを入れられなかった。

「冬獅郎様…。とーしろ…さま」

 今にも泣きだしそうな顔で、掠れた声が何度も俺の名を呼ぶから、人前にはそぐわないその行為を制止できなかった。

「おい、誰彼構わずキスしてんじゃねえよ」
「……え?私は冬獅郎さま以外とちゅうしないよ」
「じゃあ、さっきのは何だ。男女問わずキス魔になるとか言ってたろ」
「………あれは」

 もう一度、ぐいと腰を引き寄せる。両目を真っすぐに合わせて見据えれば、お前はそっと目を伏せる。無理矢理視線を合わせようと、再び顎を掬いあげ、鼻先が触れそうな位置まで顔を近付けた。

「あれは、なんだ」

 いつもよりわざと低い声を出せば、なまえの身体から力が抜ける。キスを求めるように、くちびるが薄く開いて、ちいさく震える。周りでは、日番谷隊長でも人前であんなことするんスねとか、もっとやれ〜とか、好き勝手に囃し立てる声が聞こえたが、もうそれに反応する余裕はなかった。

「あれは…冬…日番谷隊長と飲みたいなって思ってたら、脳内で勝手に恋次を隊長に変換しちゃってたみたいで」
「ふうん」
「それで、つい…隊長にちゅうしたいなって思った刹那、体が動いちゃった…というか」

 なまえが喋るたびにくちびるが触れそうになる。甘い吐息がくちびるを撫でる。俺まで酔っているような気分になって、ピッタリと身体を押し付ける。

「ご…ごめんな、さい」
「謝らなきゃならないようなことはするな。いつも言ってるだろうが」
「許して貰えません……よね?」
「さあ、な」

 お前次第だ。と告げて、柔らかい身体をきつく抱きしめる。細い肩が嬉しそうにちいさく揺れた。

「弁解は帰ってゆっくり聞くから、覚悟しろ…なまえ」

 この俺を散々心配させたんだ。皆の前で恥ずかしいことをさせたんだ。この償いは時間をかけて、たっぷりしてもらうからな…――



酩酊するなら、

俺だけにしておけ
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