あの子の望んだ僕のまま
物心ついた頃には、自分と周囲の者との違いに戸惑っていた。
――冷めた子供…
大人たちは揃ってそう言い、俺も反論する気はなかった。
普通の子供であればどんな反応をするものなのかは分かっていたけれど、別にそれに倣う必要も感じなかった(まるで大人に媚びているようじゃないか)。
だから、あの頃から俺の会話は"言語"よりも"ため息"で成り立っていて。言葉にならない蔑みの代わりに、微かに眉を顰めて深い息をつく。
――可愛いげのない子…
決まって陰で囁かれる言葉に何も感じなかったと言えば嘘になる。
でも、価値観の異なる者にわざわざ理解してもらおうとは思わなかった。
当時から、感情的ではないけれど、感受性は人並み以上に鋭い子供だった自覚はある。今もそれは変わらない。
観察していれば、たいていの者たちの頭の中は読めたし、その余りの底の浅さに愕然としていた日々にも、"そういうものなのだ"と思い続けることで、いつしか慣れていた。
彼女のことを除いて、は――
◆
「日番谷隊長、おはようございます」
「ああ、おはよう」
湯呑みの乗ったお盆を手に、隊首室の扉を開ける。
背後から降り注ぐ朝陽を受けて、やわらかそうな銀髪がきらきら光っているさまには、毎回息を飲む。
書類に落とされていた伏し目がちな視線をゆっくりと上げて、会話の相手を捉える瞬間の彼の仕草がとても好きだ。
頬にかかるほどに長い睫毛が、髪と同じように光を受けて一瞬だけきらりと翻り、その奥の綺麗な瞳がやわらかく対象者を射抜く。
翡翠の視線にぶつかった瞬間、なにもかも見抜かれている気がして背筋が伸びるけれど、その緊張感は不思議と心地いい。
「今朝も早いですね」
「俺はその分夜も早く寝てるから気にすんな」
コトリ、音を立てて机に湯呑みを置く。
「さんきゅ」
「いえ…」
心の琴線に触れる声に笑顔で応えると、包み込むような優しい瞳が私を見上げた。
「お前こそ、いつも早いな。「ええ…でも大丈夫です」
昨夜も松本に付き合わされたんだろ?」
隊長に早く会いたいですから…と、思わず口からこぼれ落ちそうになって、慌てて飲み込んだ。
「まあ、座れ」
「お邪魔じゃないですか?」
まだドキドキする心臓を持て余しながら腰をおろしたら、片手に湯呑みを持って席を立った隊長は、ぽきりと首を鳴らしながら私の隣へと腰掛けた。
ふわりと空気が揺らぎ、心地の良い霊圧が私の中に染み込む。
「ちょうど休憩しようと思ってたトコだ」
「日番谷隊長、お疲れのご様子ですね。肩でも揉みましょうか」
私の言葉を聞いて、隊長の形良い口許が、ふっ……と緩んだ。
何か変な事を口にしただろうか?
隊長は昔から(その頃私は彼の事を"冬獅郎くん"と呼んでいた)そんな所があったけど、それはきっと彼の頭が良すぎるせいなんだと思う。
「お前も、真面目なやつだな」
「え…?」
短い言葉やほんの些細な表情の変化から、常人の何十倍もの情報を無意識に読み取っているに違いない。
だから、彼には私の考えはすべて見抜かれていて、逆に私には彼の思惟も会話の意味も分からない。
「ふたりきりなのに堅苦しい呼び方しなくて良いって言ってんだよ」
「あ…はい、でも……」
「昔みたいに冬獅郎って呼べよ」
一口飲んだお茶をテーブルにそっとおろすと、その手がくしゃりと髪を撫でる。
「とーしろ…」
「ん…?」
いつの間に彼の掌はこんなに大きくなったんだろう、頭をすっぽり包み込んでしまいそうな温い感触に、鼻の奥がつんと痛んだ。
身体中の水分が粘膜に集まって飽和しそうだ。
「冬獅郎は、昔から変わらないね」
「そうか?」
「うん。いつも落ち着いてて、何でも見透かしてるみたい」
「そうでもないぜ」
笑っているような困っているような曖昧な表情で、私の膝に頭を乗せるやり方が余りに自然で、一瞬で子供の頃に時間が戻った気がした。
「現に、お前の今考えてることはさっぱり分かんねぇ…松本くらい単純なら別だけどな」
喋りながら目を閉じた冬獅郎の、薄い瞼と長い睫毛に視線が吸い寄せられる。
「私も案外単純なんだけどな」
「へぇー…」
「今も、こうやって膝枕するのは久しぶりだな…って懐かしく思ってるだけだしね」
ちらりと片目だけを開いて下から覗き上げる冬獅郎の表情は、セクシーという形容詞がぴったりで。つい、ため息が漏れる。
「ガキの頃は、よくこうしてくっついてたよな」
死霸装の袖から、するりと筋肉質な細い腕が覗いて。形のよい指が少しずつこちらへの距離を縮めるたび、心拍は反比例して激しさを増す。
限りない優しさで頬を包み込む掌は、やっぱり記憶の中のものより随分大きい。
そのままじっと、翡翠の瞳に見つめられて、心が潤んだ。
「とうし…ろー、なに…?」
ぞくぞくする背筋のふるえを堪えて、彼の行為の理由を聞き返したら、頬を滑っていた指でぎゅっと肩を掴まれて。
「変わらないのも大切だ…」
「……」
いつになく低く掠れた言葉を紡ぐ彼に耳を傾け、真剣な表情に見惚れる。
「でもな、」
ぐい、と抱き寄せられた至近距離には、鮮やかに歪む冬獅郎の顔。
息も出来ないくらいに驚いた私の唇は、頭の芯がとろけそうなやわらかい感触に塞がれて。
時が止まった――
あの子の望んだ僕のまま
(いつまでも変わらねぇなんて思うな…)