難攻不落ダーリン

 手に届かないものほど欲しいと思うのは、私たちが愚かな生き物だからだと誰かが言った。

 そんなことはとっくにわかってます私は愚かです。毎晩毎晩あきもせずに、手の届かない市丸隊長を夢にみてしまうくらいには、愚か。机に頬杖をついてひとりごちる声がやけに自虐的に聞こえた。ただの事実なのに。
 最近、願望をそのまま形にしたような夢ばかりみる。夢のなかへ移住したいと思えるほど。



「どないしたん、暗い顔して」

 早朝の執務室にやわらかい声がひびいて、この声をこんな時間から聞けるのは珍しいなと寝ぼけた頭で思った。私も朝は弱いけれど、市丸隊長もそうだと思い込んでいたから、余計に夢うつつというか、夢ごこちというか、とにかくまだぼんやりしたまま ため息をつく。


「しあわせ過ぎる夢を見たんです」
「ん? ああ…」

 しあわせな夢なら笑たらええのに。そう言われるのではないかと思っていた。現に、きのうも一昨日も別の人にはそういう反応をされたから。
 なのに、市丸隊長は違った。

「なるほどなァ」

 しあわせな夢って、覚めたときがいちばん辛いのだ。ああ、さっきまでのあれもこれも全部夢だったのか、自分の脳がつくりだした幻想にすぎなかったのか、あんなに幸せだったのに…そう認識したときの切なさは堪らない。いっそ残酷だとすら思う。

「分かるんですか?」
「何となくやけどな」

 そう言って私の頭をなでると、嘘臭い笑顔を張り付けた隊長が、間近で顔を覗き込む。透けるような肌が、手の届くところにある。瞑ったままの瞳をふちどる薄いまつげが、もれた私のため息でゆれた。


「すぐに消えてしまうモンほど美しいのが常やさかい」

 何となくなんかじゃない。この人はぜんぶ、全部わかっているのだ。それでまた、隊長を好きになる。昨日よりもっと好きになってしまう。もう、やめてほしい。これ以上は無理だと思うのに、嘲笑うように陥れられる。

 すぐに消えてしまうものほど美しいのが常、か…――

「まるで、」

 市丸隊長みたいですよね。そう言いかけて飲み込んだ。
 きっといつか、彼は私たちのことを過去にして去っていく。ただの記憶にして、此処からいなくなるような気がした。記憶よりもずっと鮮やかなものを私たちに刻み付けたまま。手の届く距離で、手の届かない美しさで、私を掻き乱して、やがて消えるひと。

「……なんでもありません」
「言いかけて途中で止めるやなんて、キミは案外"イケズ"やねんね」

 まぶたをゆるく閉じたまま、隊長はいつまでも私の頭をなでている。口角に喜色をにじませて。

「イケズが嬉しいんですか?」

 戸惑いまじりに問えば、なおさらくしゃくしゃと髪を乱された。いい加減跳ね退けようと伸ばしたてのひらは、袂からのぞく腕に触れたがさいご吸い付いたようにはなせなくなって。せめてもの代わりにひやりとなめらかな肌へ、指をつよく食い込ませる。

「好きな子ォからのイケズなら、大歓迎やで」

 そう言って彼は、ふ、と嗤う。
 好きな、子。あからさまな軽口をまろやかな訛りが紡ぐものだから、いよいよ指をほどけなくなった。胸がぎゅっと詰まって、私の内側が捩れる。

 いったい私はいつまで夢の続きを見ているつもりなのだろう。市丸隊長には、好きな子がたくさんいるだけなのに。数多のなかの一人に過ぎないのに。
「好き」彼の口がその言葉を紡ぐと、勝手に胸がふるえだす。自覚の外で、脆弱な琴線がはじかれてゆれている。

「冗談はそれくらいにして下さい」

 強がる言葉ほど、弱々しくひびいてしまうのが悔しくて。勢いつけて振りほどいた手は容易く捕まえられた。
 羽織りに焚きしめられた香が、ふわっと私を包み込む。やむを得ず吸い込んだ息のなかに彼自身の匂いが交ざっているのを感じたら、全身からじわじわと力がぬけた。

 ああ、
 きっと私は今夜また彼の夢をみる。

 もしかしたら、これもすでに夢かもしれない。私は執務室で二度寝して、幸せな夢の続きを見ているのだ。隊長がこんな早朝から此処へあらわれたのがその証拠。夢、だ。ただの夢。
 でも。これ以上はいけない。
 だって目覚めたときに辛すぎる。

 力任せにひろいむねを押して身を捩れば、反対にぎゅうと腰を引き寄せられた。もがく私のうなじを、たっぷり息のまざった音がなでる。

「冗談やないよ」
「……!」

 肌にふれる距離で直接注がれた声が脊椎を伝っておりてゆく。お腹の内側をむず痒くくすぐって、ぼわりと下腹部にたまる。

「夢でも、ない」

 言ってすぐ甘噛みされた耳朶がにぶい痛みを訴える。いたい。夢、じゃないの?これは…。混乱したままの私のなかで、指示系統がばらばらになる。顎を押し上げる指に抵抗もできず、のけ反るようにみあげれば、切なげに眉をひそめて隊長が私を見ていた。

「げんじ つ…?」
「せや」
「信じ、られない」
「なんで?」

「なんで?」って聞きたいのは私のほうだ。なんで市丸隊長はこんなことをするの、なんで?その答えが自分の願望と重なってしまうから。そうであれば良いのにと期待してしまうから。知れば後で傷付くだけなのに都合のいい答えばかり浮かんで、心臓がいたい。

 独りよがりだと理性が引き止める。なのに知りたくて、知りたくなくて、やっぱりそれでも知りたくて。ねえどうなんですか市丸隊長。なんでこんなことを?なんでそんな顔を?

 抱きしめられたまま、もっとのけ反るように精一杯上を向けば、隊長はかすかにひらいた糸目をやわらかく眇めて私を見下ろす。ほとんど音のない吐息みたいな声が「好きや」と言った。
 それでもまだ信じられなくて、もう一度ききたいと目線だけでねだったら、細長い指が髪をなでて慈しむように頬を辿る。ぼんやりとしていた私の輪郭が、ふれられたところから形をとりもどす。

 市丸隊長が私に触れている。

 やっと夢ではないと自覚して、髪に手をのばせば、てのひらで消えそうな銀色が光る。そのまま一房髪を指に絡めとる。夢じゃない、隊長がいる。手の届くところに。

「夢じゃ、ない…」

「夢、ちゃうで」と言いながら、いつもは冷たくも見える瞳が苦しげに細まって、ゆっくりと近づいてくる。心臓がぎゅうぎゅう搾られるようにいたくて、うでをまわした背中に縋りつく。
 唇の端を掠めるようにひとつ、飲み込んでしまうように深くふたつ。キスをしたあとの眼差しは、私がはっとするほど優しくて。そんな隊長は一度も見たことがないから、言葉よりも確かに想いが胸をうつ。
 そんな顔を見せられたら、軽口は軽口ではなく、本心なのだと信じてしまうじゃないか。本当に求められているのだと信じてしまうじゃないか。

「これで好きやて信じてくれはる?」やわらかく私を食みながら問うくちびるに、たどたどしく応えれることで返せば、骨が軋むほどきつく抱きしめられて。
 ちいさく頷いた直後、耳元でほうっともれる安堵のため息に、ばかみたいに私まで安堵する。どこもかもほどけてしまいそうな身体のなか、飽和寸前の涙腺がくずれてしまわないように。
 ただただ瞼をきつく閉じて、もう一度頷いた。



攻不落ダーリン

やっと、ボクのモンになった。
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2012.01.06
難攻不落だったのは彼女のほう?
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