ひざだっこ
はじまりは、本当に何気ない一言。
「渋いなあ」
「え?」
「斑目三席って、渋い感じですよね」
私としては、いつも眉間に皺を寄せている表情を指して言った言葉で。苦虫を噛み潰したみたいな渋い表情をしている、という客観的な目に見える事実を述べたつもりだった。
「そう?」
「綾瀬川五席は、そう思われませんか?」
「ボクはどっちでも良いけど、」
気をつけなよ。
――気をつけなよ………?
自分が失敗したと気付いたのは、やけに照れた様子の彼が目に入ったあと。
渋いという言葉が、男性に向かって発されると、褒め言葉になることもあるのだったと、何故もっと早くに気付かなかったんだろう。私のバカ。
離れた所に居る斑目三席にも、さっきの言葉は聞こえてしまったようだ。うっすらと耳を染めた姿は、単純に、意外だなと思った。彼はそんな言葉に揺らぐような人間ではないと認識していたから。
「ほらね。一角は単細胞なんだから」
「ご、誤解ですよ…私はそんなつもりじゃなくて。ただ、」
「ボクは知らないよ。後は自分で何とかしてよね」
お先にー。と優雅に手の平を翻しながら、執務室を出て行く綾瀬川五席はやけに楽しげで。ぱたりと扉が閉ざされると、焦る私と柄になく頬を染めた斑目三席の間には、不思議な空気が流れる。
私の知っている斑目三席は、戦いの事しか頭にない男で。たとえば私の不用意な一言を、分かり易い褒め言葉だと誤解したのだとしても、あからさまに喜ぶタイプだとは思わなかった。寧ろ"面倒臭ェ"とか、"うざってェ"という反応が返ってくるものだと(いや、そもそも私の言った"渋い"は、褒め言葉でもなんでもないんだけど)。
「……ありがとな」
「へ?」
「褒められんのは照れ臭ェけど」
嬉しかったぜ。
ぽつりと漏れた言葉を聞いたら、"褒めたわけじゃなくて、むしろけなしてたんですけど"って反論の言葉は消えていて。
――嬉しかったぜ。
厳つい風貌には似合わないはにかみに、胸がキュンって騒いだ…なんて余りにも単純だけど。それが事実なんだから仕方ない。
そこから、どんな流れで飲みに行くことになったのかは覚えていない。散々居酒屋を梯子したぼんやりとした記憶はあるけれど、詳しい事がふわふわと揺れているのは、お酒に酔った時の典型的な反応だ。
「一角…」
「なんだァ?」
気付けば、良い気分に酔っ払っていて。やけに機嫌の良い彼の頭をぺちぺちと叩きながら、胡座をかいた膝の上に抱きかかえられていた。
飲めよ、もっと。と勧められるままに杯を空ける。いつの間にか呼び方が「斑目三席」から「一角」に変化している所を見れば、私もいつになく相当飲んだのらしい。
「ここ、どこー?」
「あン?俺の部屋だって、何度説明すりゃ分かんだ」
「なんでここに居るのー」
「オメェがまだ飲み足りねェって言うからだろうが」
俺が無理矢理連れ込んだんじゃねェぞ。
見上げた視界を占領する向かい合わせの一角の顔が、何故かやけにカッコよく見えて。
「連れ込まれてもよかったのに…」
「……っ!!」
ぽろりと漏れた自分の声に動揺しているのに、酔っぱらった脳は勝手に唇に指令を送り続けている。頭の隅っこでは"どうしてこんな事を言ってるんだろう?"って思いながら、次々に溢れだす言葉は止まらない。
「一角になら、ね。連れ込まれても良かった」
「へェー…」
「へぇって何?私が一角の事を好きだったら可笑しい?」
「いや」
私いま、なんて言った?"一角の事が好き"って、本当に?一度も自覚したことがなかったけれど。でも、目の前で唇をニヤリと歪めている彼を見れば、胸がどくどくと脈打つ。
「な…に……いっか、く」
ひざだっこんな事言われちゃあ、簡単に帰す気もねェけどな 貪るような荒々しいキスは、なんて彼らしいんだろう。酩酊した脳内で、そればかりを思いながら逞しい背中に抱きついた。