ご飯食べましょ

 その日はとにかく、ものすごく腹が減っていた。日中は目がまわるほど忙しくて、昼飯もろくに食えなかったのだ。帰宅をしたらしたで、案の定 飯の準備はまだまだ。
 すこし前に帰宅したばかりらしい彼女は、着替えもせずに化粧だけおとして、甲斐甲斐しくまな板に向かっている。トントンと胡瓜を刻むリズミカルな音が部屋にひびいて、食欲をさらにくすぐられる。

「な、ええやんたまには」
「やだよ、行かない」
「なんでや」
「なんでも」

 明日は休みやしふたりとも外でる格好のままやし、ちょうどええから居酒屋で一杯飲みながら飯代わりにすればええやん?と持ち掛けて、まだたいして進んでいない晩飯の準備をジャマしたら途端に噛み付いてきよった。ほんま、なんでやねん。たまにこいつは頑なで難儀や。

「理由くらい言うてもバチ当たらへん思うで」

 な?と精一杯の優しい声で促せばイヤイヤと首を振る。駄々をこねとる子供ちゃうねんし、ちゃんと話してくれな分からんやんけ。

「怒らへんから」
「嘘だ。ぜったい真子は怒る。怒るというか、笑う」
「笑わへんて」
「ホントに?」
「ほんまや!」

 この目ェ見てみぃ!両肩に手をかけて真正面から覗き込んだら、プッと吹き出しよった。そこ笑うとこちゃうで、俺めっちゃ真面目顔やのに。

「じゃあ言うよ」
「ああ。言えや」
「怒るのも笑うのもナシだから」
「分かっとる」
「呆れるのもやめてよ」
「分かったて」
「あと、」
「まだ何かあんのんか、しつこいやっちゃなァ」

 ついため息をこぼしたら、「約束もあんまり多すぎるとアレだからこれくらいにしといてあげる」やて。とんだワガママ女王様やで。

「ほんで?」
「こんなすっぴんで出かけるなんてやだ 死んでもやだ 絶対行かない」
「アホか」
「不細工すぎて真子の隣歩けない」

 あまりに頑なに彼女が拒むものだから、どこか体調でも悪いのか、よほどの深い理由があるのか、と本気で心配していたさっきまでの自分が情けなくなるではないか。
 ここだけの話、二言目の理由にはちょっとグっときたけれどそれは大事に俺の心の中だけに仕舞っておくことにした。

「たいして変わらへんで」
「え?」
「いっつもそんなモンや」
「そ、そう?」

 肯定しながら頬をなでれば、人が変わったように上機嫌になる。

「えへへ」
「なに喜んどんねん」
「だって化粧しなくてもそこそこキレイってことでしょ」

 すっぴんのなめらかな頬を撫でていた指が、とまった。一瞬の動揺を見抜かれてはいないかと、動悸が勝手に跳ね上がる。落ち着け俺。

「………ちゃうわアホ」
「違う、の?」
「全然ちゃうっちゅうねん。だいたいお前はなんで自分の顔がもとからキレイやっちゅう前提で話しを始めてんねんどこまで傲慢やねんその面の皮は見た目よりずっとぶ厚いんかお前の顔はアフリカ象の皮膚なんか自意識過剰もたいがいにしとけよボケ」
「ひど、」
「ええから、さっさと出かける支度せえや」
「ちょっと待ってそれどういうこと」
「そのまんまや」

 くちびるを尖らせて怒りを表現している彼女のほうへ、コートとマフラーをぽいぽいっと放り投げる。その程度の抗議では、今日の俺のおそろしい空腹には勝たれへんで残念やったなあ。

「ほら、これ着てこのマフラー巻いて。顔半分くらい隠しとけ」

 受け止められなかったそれは、彼女にぶつかって寂しげに床へすべり落ちた。

「ばーか ばーか」
「なんでやねん。怒っても笑てもないし約束破ってへんやんけ」
「でも傷ついた」
「腹膨らんだら傷も癒えんのんちゃうか?」
「お腹空いてない」
「俺は減ってんねん。ぺっこぺこやねん」

 お腹と背中がくっついたらどないしてくれはるんですかァ?そう言って顔を覗き込んだら、ふいっと視線を反らされる。

「一人でいってきて」
「一緒に行きたい、言うてるやろ」
「丁重にお断りします」
「俺が お前と 一緒に行きたいねん」
「不細工は隣を歩けませんので」

 普段なら「一緒に」と誘えば飛びついてくるくせに、今夜はそれも効かないらしい。取り付くシマもない。落ちたコートとマフラーを拾い上げながら、ふたたびため息がもれた。

「……なんでや」
「すっぴん恥ずかしいから」
「ちゃう。なんで自分が化粧しててもしてへんでもキレイやなんて自信持てんねん」
「え、そこ?」
「そこやろ問題は」
「違うような気が」

 不思議そうに首を傾げた彼女とやっと目が合って、それだけでひどくホッとする。

「まあええから、なんでや」
「それは、ね」

 ふわっ、とやわらかくほほ笑みながら彼女が言った。

「簡単な理由。だって、平子真子さんは無類の“面食い”ですから」
「………」
「否定は?」
「せーへん」
「じゃあ、さっきの厭味は?」
「嘘つきましたすんませんした」
「知ってた」

 真子って嘘つくとき口数が途端に増えるよねえ。そう言って笑う彼女にマフラーをぐるぐる巻き付ける。何重にも、長さの許すかぎりぐるぐると。

「絞まる、首絞まるから」
「知るかボケェ」

 なんやねん さいしょっから全部お見通しかい。そら、すっぴんの顔も化粧した顔もどっちもすきやから付き合うてるに決まっとるやないか。いや別に顔だけちゃうけど。
 ほんま、なにを言わせたいねんお前は。言うたれへんで、ぜったい。簡単に言うてもうたら気持ちもコトバにも重みがなくなんねん。しゃーから俺は言わへん。

「真子、耳赤い」
「寒いからちゃうか」
「うそつき」
「うるさい。行くで」

 お前のせいで余計に腹減ってもうたやんけボケ、と吐き捨てて。笑いつづける彼女の手を乱暴に引っぱった。


ご飯食べましょ
素直じゃなくてごめんなさい。
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