きずぐち

 誰にだって、知られたくない過去のひとつやふたつあるものだ。真っ直ぐ立っているために、隠し通さなければならない、ということが。

「世話になった」
「…!!」
「礼を言う」
「……冬獅郎くん、待って」
「追うな」

 さっきまで、意識のない状態だったくせに。よほどの強がりだな、俺も。だけど、これ以上彼女に迷惑はかけられない、と思った。
 肩を掴む手は、彼女の怯えを映して、小刻みに震えている。これ以上ないほどに霊圧を尖らせているのだから当然だ。
 常人であれば、こんな状態でまだ俺に触れていられるのが不思議なくらいなのだから。接触を許している辺り、俺も彼女に対しては、甘い、ということなのかもしれない。

「とう、しろー…くん」

 心臓を潰されそうな彼女の声に、動揺を隠して。肩に置かれた手を乱暴に払いのける。これで愛想を尽かしてくれればいい、と。

「…痛っ!」
「触るな。死ぬぞ」

 あふれる霊圧で、辺りにはきらきらと霜が降りる。振り返れば、彼女の唇は紫色に変色している。がちがちと歯の根が合わない様子も、苦しげに歪んだ顔も痛々しい。
 一瞬で冬へと様相を変えた木立。清く澄んだ光景をバックに、透明感を増した彼女。その姿は見惚れるほどに綺麗だ。
 何故にそうまでして、俺に寄り添おうとする。もう、立っているのもやっとではないのか。敵意を剥き出しにした霊圧を放っているというのに、何故。
 眉間にシワを寄せて睨み付ければ、弱々しい笑顔が降ってくる。どうしてそんな風に笑えるんだ。

「俺に関わるな」

 無言で首を振るお前の顔は、見たこともないほどにやわらかくて、温かくて。それとは余りに対照的な色をなくした肌、紫色の唇。冷気で青ざめた透き通るような彼女の姿が、異質の空気を放っている。

「ホントに変わらないね、冬獅郎くんらしいけど」
「なんで、お前は…」
「何故でも」
「……!?」
「だって……冬獅郎くんの攻撃性は、優しさの裏返しだと思うから」

 弱々しい腕にふわり、包まれたら、意地を張っている自分がちっぽけな存在に思えた。

 お前に隠し事をするなんて、無駄なのかもな。鳥肌の浮く皮膚から染み入る熱は温かくて、開いた傷口がじわじわと癒される。
 傷は、自分でしか治せないものだ。周りにいる者が同じ痛みを味わうことなど不可能で、それを共有するとしても想像の域を出ない。同じかどうかなんて、判断する術はないのだから。
 だけど、理解したいと想う感情がそこにあって、痛みを共有したいと想像力を働かせてくれること。それだけで、充分だ…と思った。


 すっ、霊圧を抑えればため息とともにぺたりと崩れ落ちる身体。やっぱりかなり気を張り詰めていたんじゃないか。

「ったくお前は」
「………え?」
「あんまり無茶をするな」
 俺の心臓がもたねえから。

 同じようにしゃがむと、そっと視線を合わせて。
 ため息にのせた愛おしさを、唇から注ぎ込んだ。


ぐち
お前には敵わねえ

 不意打ちでキスなんて狡い。唇を尖らせて抗議したら、そっと抱きしめられる。大切で堪らないものに触れるような、そんなやり方、反則だよ――
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