秘密。


 この世には、知らなくてもいいことや、知ってはならないことがあふれている。



「おはようさーん」

 さらさらと揺れる金髪、調子のいい声。昨日まではなんとも思っていなかった転校生の顔を、今日はまともに見れずに俯く。
 たった一日でがらりと変わるのが人生の妙だと、誰かが言っていたけれど、まさか自分の身にそれが降りかかるとは思ってもみなかった。

「あれ?どないしたん」
「あ……おはよ」
「何か元気あれへんなァ」

 そんなことないよと首を振りつつ、なんどもなんども浮かんでくるのは、昨夜の光景。夢なんじゃないかと、頬を抓ってみたけれど、痛い思いをするだけだった。

「ほっぺた。どないしてん」

 赤なってるやん、ここ。平子くんの細い指がするりと頬骨のりんかくをなぞる。自分よりもほんの少しだけ高い体温が、じわりと肌に沁みて。何気ない仕草に、翻弄される。

「な…なんでも、ない」
「ほんまか?」

 なんでもないなんて嘘だ。多分私は、見てはいけないものを見てしまったのだと思う。彼の秘密を。
 闇夜の中、平子くんがふわふわとさかさまになって空に浮かんでいた。月をバックに、刀みたいなものを持って。何の固定観念もなしに見たら、カッコイイ光景なのかもしれないけれど。そんな風に思えるほど私はお気楽じゃないらしい。
 かと言って、開き直って聞けるほど肝のすわった人間でもない。あれは何?聞きたいのか聞きたくないのかも分からずにいる。昨夜から、現か幻かと悩み、気のせいだとか見間違いだったらいいのに、と思い続けてすっかり睡眠不足だ。
 いまも頭の中が不愉快にぐらぐらゆれている。やっぱり夢だったんじゃないだろうか。

「なんか、顔色めっちゃわるいで?」
「昨日、あんまり眠れなかったから」
「大丈夫か、保健室行ったほうがエエんちゃう?」
「…ただの寝不足だし」
「心配やん。ついて行ったるわ」
「……い、いいよ」
「エエから遠慮しなや」
「ほんと、大丈夫だ…から」

 すごく心配そうな顔で覗きこまれて、心臓がばくばくと騒ぎはじめる。
 昨日まで何とも思っていなかった彼の一挙一動にくらくらする。それが何故か、本当は自分でも気付いているんだ。
 顔を見れないのは、怖いから。でも、それだけじゃなくて、あの平子くんの姿が忘れられないから。それくらい、キレイだったから。今も目が合うだけで、くらくらしている。

「あかん」
「へ?」
「やっぱ、ほっとかれへんて」
「……っ!?」

 目の前にすらりとのびた指がいっぽん。左右に小刻みに揺れるそれを、条件反射で追いかける。催眠術みたい。

「目ェの焦点、合うてへんやないけ」

 気が付いたら、身体が宙に浮いていて。目の前に平子くんの胸。

「一護、俺ちょっと保健室行ってくるわ」
「はあ?」
「授業サボるから、上手いこと言うといてな」
「…ちょ、平子くん。だいじょぶ」
「喋ったら、舌噛むで」

 ニヤリ、口元が歪んで。風のように教室から出て行く彼の首に、しっかり抱きついた。でないと、落ちそうだったから。
 すっかり彼のペースなのに、全然イヤじゃない。

「なん、で」
「なにがやねん」

 謎の多い人だとは思っていた。そういう男は、概して魅力的だけど、近寄ってはいけない匂いもするものだ。だから、これまではただのクラスメート以上の交流など持ったつもりもない。
 何で、私にこんなことを。いくらクラスメートが顔色悪いからって、わざわざ抱きあげて保健室まで運ぶだろうか。それとも、昨日の夜。私が彼を見つけたように、彼も私を見ていた?

「あー…先生、いぃひんな」
 ま。ちょうどエエわ。

 すとん。ベッドに私を下ろして、無理やり布団をかぶせると、平子くんは隣の椅子に腰をおろす。

「なんで俺がお前をつれて来たんか、気になる?」
「……、まあ」
「ほんまに?」
「………ん」
「そんな聞きたいん?」

 何度も念を押されると、聞いてはいけない気がしてくる。聞いたら逃げられなくなるんじゃないか、って。
 さらさらの金髪オカッパをゆらして、ベッドに肘を突いた平子くんの顔が近い。すごくちかい。なんだ、じっと見たら思ったよりも端正な顔してるんだ。

「しゃーないなァ」

 やさしい掌が、頭を撫でる。開いたシャツの胸元から鎖骨が覗いた。

「…昨日のアレでしょ」
「ああ、やっぱり見られてたんやなァ」
「ごめん…ね」
「なんで謝っとんねん」
「見ちゃいけない気がして」
「見られてしもたんは、俺が悪いねんから」
 でも、よう見えたなァ。

 独り言みたいに言って、彼はまた髪を撫でる。

「やっぱ、俺の審美眼に狂いはない…ちゅうこっちゃ」
「え?」
「ここに連れてきた理由」
「昨晩あんなとこ見たから、でしょ」
「ちゃうわ、ボケ」
「………」
「お前は俺にとって特別なヤツや、っちゅうこと」
「へ…?」
「だから!お前に惚れてんねん」
 アホか、みなまで言わすな。照れるやんけ。

 もしもし、平子真子くん。いまなんとおっしゃいましたか?寝不足の濁った頭では上手く理解ができなかったんですが。
 ぱちぱちとまばたきを繰り返す私、くつくつと笑う彼。

「案外鈍いんやなァ」

 髪を撫でていた掌が、後頭部をもちあげて固定する。こつん、ふたりの額がぶつかる。近い、近すぎる。きれいな琥珀色の目が、至近距離で私をみている。

「……っ!」
「ふたりきりになりたかってん」

 唇がふれそうな距離。息をのむ。平子くん睫毛ながいんだな、なんてどうでもイイことを観察している。切羽詰まると、人の思考はよくわからないうごきをするらしい。
 昨日の晩にヘンなものを見たから、口封じってこと?口封じのために、唇を塞がれるってこと?私のファーストキス。でも、相手が平子くんならイイや。

「まだ言わなわかれへん?」
「くち…ふうじ……」
「なんやねんソレ」
 まあ、口はめちゃくちゃ塞ぎたいけどなァ。

 とん、と肩を押された。ぽす、ちいさな音をたて呆気なくベッドに沈む。

「違うの?」
「ちゃうで、アホ」
 そんなんどうでもエエし。

 顔の脇に掌。安っぽいスプリングがぎしぎしと軋んで、一緒に私の心臓も悲鳴をあげた。
 大きな掌に頬を撫でられる。
 やっぱ、ここ赤いで。指先でさらり、なぞったあとにやさしいリップ音。

「空の平子くん…夢か、と思って」
「思い切り抓ったんか?」
「うん」
「お前、ほんまに可愛エエやっちゃなあ」
「忘れる、から」
「忘れんでエエから黙っといて」
「ん」
「俺はふたりきりになりたかってん」
 ただ、それだけ。

 平子くんの目が、愛しいものを見るようにゆるんで。その顔をみていたら、このままでいい気がした。
 誰にだって踏み込まれたくない領域があって。彼はきっと他人よりその域がひろいだけ。
 瞼に頬に、やさしいキス。息が詰まりそうな愛おしさに、そっと瞳をとじた。


君は生きている僕と死んでいる僕、どちらを愛しているのかな
 そんなん誰にもわかれへん。でも、きっとそれでエエねん。
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