ドラッグと君の相乗効果は

 薄暗い照明の中、僕の正面の席には君と阿散井くん。
 触れ合いそうなふたりの肩の間に、親密な空気が流れているように見えるのは、気のせいだろうか(相変わらず僕の思考は卑屈だ)。

 上から照らされて、頬に睫毛の影をおとす君の姿は、本当にきれいで…こっそり観察しながら、ひとくちお酒を呷る。
 さらりと粘膜を撫でて落ちて行くつめたい液体を味わい終えた頃、後頭部に感じていた鈍い痛みが、急に激しくなった。

 やっぱり、こんな状態で飲むのは無謀だったかもしれない。
 朝から市丸隊長に振り回されて、頭と胃が痛くて(いつものことだけど)。おまけに今日は熱っぽいし、悪寒がする。なんて、今更思っても遅いかな。

「阿散井くん、僕…先に帰るよ」

 時間を追うごとに酷くなる吐き気を抑えながら立ち上がったら、君――まさに僕がいまここに居る理由――が当たり前のように一緒に席を立った。

「イヅル、顔色悪いみたいだから…私が送ってくよ」
「え……」

 さりげなく腕を取られて、笑顔の君が僕を見上げる。嬉しいけど、ますます熱が上がりそうだ。

「おいおい、俺に一人で飲めってか?」
「恋次は、お酒と甘いものがあれば満足でしょう?こんなイヅル、放っとけないし」
「大丈夫だよ、」

 ここに君をふたりきりで残していくのは、正直気に入らないけどね。

「一人で帰れる…か、ら」

 無理に笑顔を作って、君の手を引き剥がした瞬間、天井がぐらり、揺れた。

「ほら…やっぱり無理だよ、断られてもついて行くから!じゃあね、恋次」

 マジかよ…。という阿散井くんの声が、何物かを一枚隔てた向こう側から響いている。
 派手な色の長髪は、やけに寂しげに瞼の奥に残って。

「ごめん……」

 思わず口から零れおちた謝罪の言葉に、阿散井くんは意味ありげな笑みを返す。
 そうだ…
 彼には僕の気持ち、気付かれているんだった(次に会った時には、きっと恰好のネタにされるんだろうな)。

「イヅルは別に悪くないでしょ、何でもかんでも謝っちゃダメ!」

 有無を言わせず腕を組んだ君に、なかば引きずられるようにして店を出る。

 身を刺すような冷たい空気を心地よく感じるのは、やっぱり熱があるからなんだ…と、ぼやけた頭の隅っこで思った。



「寒いね〜!早く帰ろ」
「ごめん。店に居ればまだ温かかったのにね」
「イヅル、また謝ってる」
「…ごめ……」

 繋がれたままの手からは、君の温もり。
 二人並んで歩き始めた。吐く息は、深藍の夜闇の中に白く映える。

「私の部屋の方が近いし、そっちで少し休む?」
「……」

 上目遣いに僕を見上げる視線に、息が止まりそうになった(それって、ワザと?)。
 指先がかじかむ程寒いのに、頭の中が滾るように熱くて。

「あれ?イヅル…顔、赤いよ」
「ね、ね、熱があるんだよ。きっと」

 口籠りながら返事をした僕を、悪戯っ子のような瞳が見上げている。
 もしかして、僕の気持ちは君にまで見抜かれているのかもしれないと思ったら、頭が真っ白になった。

「じゃあ、尚更夜風は身体に毒だよね。うちに直行することに、決定」

 そう言って楽しそうに笑った君の指が、僕にしっかりと絡む。

 ――…静まれ、心臓。



「いいのかい?」
「うん。何か問題あるの?」

 問題は……ある。
 だって僕は君の事が好きで、一つの部屋に男と女が一緒に居たら、やっぱりそういう事にならない保証はないし。というか、自信がない。

「…ほら、あんまり褒められたもんじゃないだろ」
「何が?」

 何がって、決まってるじゃないか。
 想い合ってもいない男女が、身体の関係を持つこと…に。常識的に考えたら、それは非常識なことだ。
 君はそんなにバカじゃないから、ホントは分かってるんだろう?

「……」
「イヅル、どうかした?」

 でも、常識的っていったい何だろう。
 僕は君のことが好きで、自分のその感情を優先するのならば、君の提案は願ってもない好機というやつで。
 自分の中にあるその感情を、常識や非常識なんていう外部の平均概念によって制約されるなんて馬鹿げているのかもしれない。

 それとも、
 僕の片想いじゃない…とか。
 そういうオチだったら大歓迎なんだけど。

 なんて返事をしようかと悩んでいたら、君の口からは全然別の言葉が飛び出した。



「それにしても、イヅルってそんなにお酒弱かったっけ?」
「……いや」
「今日なんて、ほとんど飲んでないじゃない」

 寒い所為なのか、君がもっとぴったりと腕に絡みついて来て。
 左肩に感じるやわらかさに、ますます頭の中がぼやけて行く。

 こんな風に足元が覚束ないほどくらくらしているのは、きっと風邪薬を飲んだせいで。

「お酒の前に、薬を飲んじゃったからね」
「そう…」

 それきり、彼女の部屋に着くまで、会話はなかった。







 どうぞと招き入れられた部屋は、きれいに片付いていた。部屋中に漂う君の香りで、眩暈がする。

「お布団、敷いて来るね」

 決まり切った約束事のように、何の躊躇いもなく告げられる君の言葉は、凶器だ。

 静かな夜、部屋にはお年頃の男女がふたりきり、そしてふたりの間には布団。
 そう来れば、やっぱりその先にある事は決まっていて。

 僕も男だからね。


「準備、出来たよ」

 笑顔で手を取られながら、心臓が触れられている部分に移動したかのように、掌が熱くなる。

 準備って。
 僕の方の心の準備は、まだ全然出来てないんだけど。
 君って案外大胆だったんだ?

「どうぞ」

 ふわり、持ち上げられた布団の隙間へ冷えた身体を滑り込ませたら、胸がいっぱいになる程の甘い香り。
 鼻の奥に絡みつくこの匂いだけで、興奮してしまってる僕は、どこかおかしいんだろうか。

 僕の身体にそっと布団を掛けると、ぽすぽすと二、三度布団の上から胸を軽く叩いて、君は鮮やかに微笑む。

「あったかい飲み物でも入れて来るね」
 イヅルは寝てて。

 優しい笑顔を見ていたら堪らない気分になって。
 傍を離れそうな君の腰に衝動的に腕を伸ばすと、思い切り引き寄せた。

「ちょ、イヅル?」
「ここに居て」
「ちゃんと戻ってくるよ?」

 腰に回した腕はそのままに、片手で布団を持ち上げると、華奢な身体を抱き寄せる。

「……離れないで」
「イヅル、熱い」
「ごめん」
「謝る前に、言うことあるでしょ?」
「熱があるからね」
「そうじゃなくて」

 僕よりもずっと低い君の体温が心地よくて、擦り寄せた顔を肩に埋める。
 途端に僕の中に入り込んでくる、さっきよりも濃い君の香り。身体中を血液が駆け巡って一点に集中する。

 病んでても、身体って正直なんだ?なんて、馬鹿な考えが脳裏をかすめて。
 曖昧な思考回路に、言語を任せた。


「…添い寝、してくれるかい?」
 は――?
 何言ってるんだ、僕は。

 どくどくと高鳴る鼓動に翻弄されて、声が掠れる。

「イヅルのバカ」
「……あの、」

 弁解しようと開きかけた唇に、とろけそうなやわらかい感触。
 君の唇。
 掠めては離れて行ったそれを、追いかけるようにもう一度自分から塞いで。


「風邪、遷っちゃうかもね」
「ごめん」
「イヅルのなら、何でも貰ってあげるけど」
「……っ!!」

 無造作に紡がれたひとことに、理性は一瞬で溶けた。


ドラッグと君の相乗効果は
すごいんだって力説したら
殴られた

(今夜、君の全部を貰ってもいいかな?)
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