縫いとめる

 狡い、狡い、ずるい。
 眼を見て逝け、なんて言われたら、必死で抑えていたものがあふれそうになる。
 隊長が確信犯なのは分かっていたけれど、いくら分かっていたところで、無駄なのだ。その声が、その視線が、じりじりと私を追いあげる。

「そろそろ…やね」

 ゆるく、隊長が目をひらく。
 いつもの狡猾で人を喰ったような瞳がこちらを見るのかと思ったのに。
 至近距離の彼の双眸。色素の薄い睫毛の下には、心を溶かしてしまいそうに愛おしげな眼差し。

「ええよ。逝き」

 吸い込まれそうな深緋色。それを見た瞬間に、ぐらり、意識が揺らぐ。
 もう、ダメだ。
 浅く息を吐き出して、背中にしがみつく。ぐ、と穿たれる感覚を身体の奥に感じる。熱い。あたる、深く。繋がる、混ざり合う。
 もう、だめ。
 隊長が私を見ている。じっと、心を縫いとめるように。あの目に、見られている。
 同時にざらりと刔られて、止まっていた呼吸を、はあ、吐き出せば、頭のなかも身体のなかも真っ白に弾ける。もう、目をあけていられない。
 注がれる熱のあつさに、溶けていた身体はもっともっと溶かされる。
 押しやられる。押しやられるのは、どこだろう。どこへ、いくんだろう。

「堪忍…いっしょに逝ってもた」

 吐き気のしそうな、この愛おしさは、どこへ消えるんだろう。
 私のなかで、彼はまだ、脈打ちつづけている。どくり、どくり。

 薄れゆく頭の片隅、彼がいつもよりもっともっと甘い声で、私の名を呼んだ。気がした。







 意識を取り戻したとき、部屋はもう明るかった。剥き出しの肌の上には、そっと掛けられた隊長の白い羽織。
 この男は、狡いくらいやさしい。そっと抱きしめたまま、髪をなでる指はいつもおそろしく愛情に満ちている。

「大丈夫か?」
「はい」
「ほんまはもうちょっと楽しもか思てんけど、」
 昼休みももうおしまいみたいや。残念。

 気が付けば、自分だけが肌を晒していて、隊長はきれいに死覇装をまとったまま。こういうときの彼は、絶対に自分の着ているものを脱がない。
 本当に、どこまでも狡いヒト。

 そう思っていたら、外からよく知る霊圧を感じた。

「ただいま戻りました」
「あ、イヅルやなァ」
 おかえりー、入ってもええよ。

「え…あ、ちょ。私まだ」

 非難げに顔を見れば、薄く目を閉じたまま、隊長がくつりと笑う。もしかして、故意に?
 もちろん、服を身に着ける時間などなかった。足元に散らばる自分の死覇装が、やけに淫らに見える。

「ここ、どこやろねぇ?」

 耳元で囁かれて、ぞくりと背すじがふるえる。脱がせたのは隊長なのに、どの口がそんなことを言うのか。

「執務室やのに、えらいはしたない恰好やなあ」
「…隊長!これはあなたが、」

 いつの間に結界は解かれたんだろう。そもそも、本当に結界は張られていたんだろうか。考える暇もなく扉が開き、吉良副隊長が姿をあらわした。

「……す、すみません!まだお取り込み中でしたか」
「いーや。謝ることないよ」
 もう済んだとこや。

「っ副隊長、こちらこそすみません」
「なにをふたりして謝ってるん」

 一人だけ余裕の表情の隊長を、きっ、と睨めば、また耳元にささやきがすべり込む。

「キミのん見せるんはシャクやけど、自分のんよりはずっとええやろ」
「良く、ありませ…ん」

 とりあえず、掛けられた羽織を胸にぎゅっと引き上げる。あらわな太腿を裾で隠しながら、恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。

「なんやったら、イヅルも彼女連れて来たらええんやで」
「僕にはそんな趣味はありません」
 隊長と一緒にしないでくださいっ!

「イヅルはむっつり助平やと思ててんけど」
「馬鹿なことを言わないでいただけますか、頭が痛くなる」

 いつになく声を荒げ、顔を真っ赤にしている副隊長。彼の感覚の方が、ずっとまともだと分かっているのに、耳元に絡みつく声にすっかり理性を溶かされる。動くのもままならない。

「イヅルどないしたん。大丈夫か?」

 頭を抱えて倒れ込む副隊長を遠目に捉えながら、必死で身体を起こした。

「そーか。イヅルはこないなことで倒れてしまうんやねぇ」
 ほんなら、ボクまで脱いどったらどないなんのやろなぁ。次はそれ、試してみよか。

「っ、止めて下さい!」
「なんや、意識あってんね。おもしろないなァ」

 私に覆い被さったまま、肩越しにニヤリと歪む口元。この男の感覚は、いったいどうなっているんだろう。

「とにかく君は早く、はやく服を着たまえ」
「すみません」
「五分後に戻りますので」

 吉良副隊長の背中を見送り、ふらふらする身体で散らばった服を拾い集める。五分、普通の状態なら難なく着替えを済ませられる時間だ。けれど、いまの力の抜けた私には、相当急がなければ難しい。
 慌てていたら、ふたたび耳元に甘い声が注がれる。

「ヒルトギも悪うなかったなァ」
「隊長、時間が…」

 後ろからふわりと抱きしめられるこの姿勢は、いつ、そうされても弱い。逃れようと足掻く身体も、頼りなくふるえるばかり。

「せやね、キミのその肌イヅルにまた見られてまうのは勿体ないし」
「五分、しかありませんので」
「わかったわかった、はなしたる。その代り、」

 その代り。この言葉を持ち出されると、無条件で怯えが走る。
 交換条件に出される何かは、現状よりもずっと破壊力の大きい場合が多いから。

「この続きは夜にたっぷりしよな」
「……っ、」
「今度はおのぞみ通り 夜伽 やで」

 手加減せえへんから、せーだい覚悟しててや。鼓膜をなぶったのは、聞いたこともないくらい甘い声。
 吐息混じりのひびきに、また身体の力が抜けてゆく。心がざわざわとさわいでいる。
 本当に。
 心を、これ以上かき乱すのは止めて下さい。

 午後からの執務を、自分はきちんとこなせるのだろうか。不安に思いながら、覚束ない手つきで、胸元を掻き合わせた。







「ほな、行こか」
「どこへ?」

 夜は予定通り、一緒にボクの部屋へ連れて来た。

「約束は守るモンやで」
「ずるいです、隊長は」
「憎まれ口たたくんもたいがいにし。キミが悪いんや」
「…私が、ですか?」
「せや。あれ以上イヅルにその身体、見せたなかってんやろ?」

 にやり、口角を持ち上げる。ほんまは、見せたぁなかったんはボクなんやけど。

「でも。あの時の副隊長の顔…」
「イヅルがどないしたん」
「いえ。彼って、本当に真面目なんですね」
 顔を真っ赤になさっていて、申し訳なかったです。

「なんや、キミ真面目な男が好きなんやなあ」
 ボクは不真面目やもんね。

「い…え」

 彼女はまた無意識で、ボクの加虐心をくすぐるつもりらしい。だからつい、あおられたフリをして、意地悪をしたくなるのだ。

「そないにあおって」
「……そんな」
「お仕置き、されたいねや」
「違います」

 手の平でそっと両目を塞いだまま、くちびるを重ねる。視界を奪われたら、別の感覚が研ぎ澄まされるモンやから。

「アカンよ、そんなん言うても」
「ホントに違うから」
「許さへん。今日は目隠しや」

 彼女にそんなつもりがないのを分かっていて、わざとあおられている。ボクもたいがいな男やねぇ。

「そんなん言うてると、オトコってのは勘違いする生き物なんやで」
「す、みません」
「勉強させてあげてるんやから大人しいしとき」
「も…わかりました、から」
「アカン。まだ、しっかり身体に浸み込ませへんかったら」
 キミまたおんなしことするやろ?

 悪いオトコに惚れたて、あきらめ。閉じた瞼に一回ずつ接吻して、手近な布切れでそっと両目を覆った。



 こういう時のお仕置きの仕方は決まっている。わざと眼を見せずに、おねだりさせるのだ。彼女はボクの目にとことん弱いから。

「ここ、ほんまに好きやなァ」

 埋めた指先で、ざらり、ええところを掠めたら、また浅いとこをなぞる。キツい刺激とゆるい刺激を交互に与えて、すこしずつ少しずつ溶かしてやる。
 キミがボクの目ぇ見るまで、いっつも正気を保とうと必死なんも知ってる。だから、果てまで追い上げへんように協力してあげてんねん。

 意識をなくせないもどかしさと、果てまで到達できない歯痒さと、視界を閉ざされた心細さとがないまぜになって、ますますぐちゃぐちゃになっていくキミは、本当にキレイだ。だから全部見逃したくないと思う。追い詰めれば追い詰めるほど、厭らしさを増すカラダ。
 そういう、意地悪な自分の性格は、結構気に入っている。
 人生なんていつまでつづくんかわからへんし、どんな瞬間も最大限に楽しまな勿体ないやろ。とくに、色事は。

「我慢、せんでもええよ」

 ただ繋がって、肉体的な気持ちよさを味わうだけなら、誰にでもできるけど。ボクはこういうことには手ぇ抜かへん主義やねん。
 我慢して我慢して、追い詰められてぐちゃぐちゃになって、ボクを求める姿に、そそられる。満たされる。

「逝かれへんの?」
「……っ!」
「もう、こないなってんのに。なんでやろうなァ」

 分かっていて、白々しく言い放つ口。キミからしたら、憎らしいてかなんやろね。
 厭らしいことを言えば、そのたびにふるえる肩。そっと息を吐き出して、甘い声をつくる。それだけでキミはまたすこし、淫らになる。きれいになる。
 ほんまタチの悪いオトコや。

 無意識であおったお仕置きに、わざとゆるい刺激しか与えない。むず痒く掠めてははなれる指先を、追いかけるように背中がしなる。
 胸を突き出して、まるでおねだりするように。

「…ギ、ン」
「ん。なに?」

 姿勢だけのおねだりやったら、聞いてあげへんよ。
 どないしたらええんか、何度も教えたったやろ。言葉でちゃんとねだりィ。

「目……」
「目ぇがどないしたん」
「見……た、い」

 浅い息の合間、切れ切れの言葉。
 そないに厭らしい声、どっから出てんのやろねぇ。まだまだたっぷり虐めたろ思ててんけど、やられてもた。
 ボクかて、あの瞬間のキミのかいらしい顔は見たいんやで。

「わかった。といてあげる、 でも」
「……っ、ギ」
「勝手に逝ったら、アカンよ」

 しゅるり。目隠しをといて視線が絡んだ途端、ぎゅうと締め付けられる指。粘膜が急に熱をあげる。たぶん、気のせいではない。

「まだ、や」
「…もっ、」
「ボクで逝って欲しいねん」
 せやから、まーだ。

 指をゆるゆると引き抜く途中。わざと指先をぐい、と折り曲げる。キミのええとこに当たるように。

「ほんまに可愛ええなァ」

 切なげにひそめる目を見つめたまま、掠れた声でささやく愛の言葉。

 瞬間もれる、啜り泣くような甘い声。浅く甘く乱れる吐息。
 もう、辛抱できひんみたいやねぇ。しゃあない子やなァ。
 細い身体は、我慢しきれずにのけ反って。白い喉元をさらし、ボクの指先を痛いほど締めつけたまま、おおきく揺れた。



「あーあ、勝手に逝ってしもたん?」
「ギ……ごめ」

 混濁した意識のなかで、必死にボクを呼ぶ声。キレイに歪む表情。肌に食い込む爪の痛み。痙攣しつづける華奢な身体。
 なにもかもが、愛おしすぎる。

「ええよ、別に。でも、」
「………ギン?」

 しっとりと汗ばむ額に、ひとつ接吻を落として。ゆるり、口端を歪めた。

「次はボクのんで、」
 たっぷりお仕置きせなアカンねぇ。



いとめる

 不確かだからこそ、何度もなんども確かめる。つながる、名を呼ぶ。そのたびに、狂うほど欲する苦しみと悦びを噛み締めるのだ。
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