そうです恋の道化です

 なんて自由な人なんだろう、このオトコは。甘い誘い文句が似合いすぎる。

「ええから、おいで」

 いまは執務時間で、ここは神聖な隊舎です。ちゃんと働いてくださいお願いです。あなたがサボったぶんのしわ寄せは吉良副隊長に、それでも賄いきれない分は私たちに回ってくるんですから。そう思うのに、心がぐらりと揺れている。
 その理由の何割か(いや、半分?9割?とにかく大半)は、彼の声のせいだ。
 ええから、おいで。いつも無駄に甘すぎる声と、はんなりした独特の抑揚が、じわじわと耳から冷静さを溶かしてゆく。

「隊長、まだ昼間です」
「そんなんボクはぜんぜん気にせえへんよ。むしろ燃え…」
「私が気にしますっ」

 ともすれば聞き惚れて、言うなりになりかねないひびき。差し出される手の平に、吸い寄せられる寸前で、踏み止まる。かなり必死だ。

「やっぱりええなあ、キミ。生意気な女の子て好きやで」
「それより仕事が」
「そないに目ぇ吊り上げたら、可愛らしい顔が台なしやん」

 誰のせいですか?あなたがこんな真昼間から、そんな甘い声で私を誘うから。
 でも、よく考えれば誘っている隊長に、ではなくて、簡単に誘われそうになっている自分に腹がたつのだ。

「副隊長がもう戻って来られます」
「イヅルには見せつけたったらええよ」
「いやです」
「ボクのこと、きらいなん?」
「………」
「違うねやろ?ほんならええやん」

 白か黒か。そんな簡単な理屈だけでこの世が成り立っているわけではないのに。市丸隊長の言葉を聞いていたら、世の中は案外単純なのかもしれないという気がしてくる。
 暗示にかかっているのか、催眠術のようなものなのか。声が正常な思考を蝕んでいく感じは、心地いいと思えてしまうからタチが悪い。

「ここは……執務室、ですから」

 何を言ってるんだろう。まるで、ここじゃなければとの誘い文句に聞こえる。すっかり隊長のペースにのせられている。

「ふたりで抜け出してしまおか」
「だめです。吉良副隊長が、いまどこに行かれてると?」
「書類渡すついでに四番隊やろ」
「その理由もご存知ですよね」
「ああ。たしかイヅル、胃ィ痛いとか言うてたね」

 わかっているくせに。だったら何故、平気な顔をしていられるんだろう。吉良副隊長はあなたが不真面目ゆえに、三番隊の責務の殆どをひとりで背負っているわけで。

「イヅルの腹イタと、ボクらの夜伽になんか関係あるのん?」
「夜伽、じゃありません」
「ほんまやなあ、たしかにまだお天道さん出てはるわ。夜やないね」
 昼間やったらなんて言うのやろ。昼伽やろか、やっぱり。

 そうではなくて。昼だ夜だの話などしていないこと位、おわかりのはずなのに。狐みたいな得体のしれぬ瞳の奥で、上手くはぐらかすことばかり考えている狡い人。

「ふざけないで下さい」
「ふざけてへんよ。でもヒルトギってあんまり格好のええ響きと違うなあ」
 なんや情緒あれへんし、ボクはあんまり好きちがうわ。

 余りに飄々としたその態度は、たしかにいつもの彼のものなのだけれど。

「市丸隊長」
「なに?」
「吉良副隊長の胃痛が、自分のせいだとは」
「思たこともないよ。だいたいイヅルは大袈裟なんや」
 まあ、苦しそうなイヅル見るんはきらいやないけどね。べっぴんさんやからなあ。

「………本気、ですか」
「あれえ、妬いてしもた?」
「違います」
「わかってる、わかってるからそんな怖い顔せんとき」
「さっきの、本気ですか」
「もちろん。イヅルのせいで四番隊長さんがいっつもえろう怖い目ぇで睨みはるから、迷惑し…」

 ぱちん。渇いた音がして、掌に痛みが走る。考えるより先に、手が出ていた。
 私、いま、市丸隊長の頬を。
 色白の肌は、掌のカタチにほんのり色付いている。

 珍しく見開かれた隊長の瞳、深緋に私が映る。殴られたのは彼なのに、自分のほうがずっと苦しい気がした。

「急に、どないしたん」

 急に、じゃない。隊長が、いつまでもふざけているから。部下のことを考えもせずに、好き勝手なことばかりしているから。
 でも、もしかしたら感情の見えない表情と、わざとらしい不真面目さの下に、なにかを隠しているだけかもしれないけれど。

 いずれにせよ、いまのはやり過ぎ。
 ふざけている人への制裁を力に任せるのは、愚かだ。おなじように力に訴えられたら、私は絶対に敵わない。

「すみません」
「ええよ、ええよ」
「いえ。頭ひやしてきます」
「ほんならボクも一緒に」
「ひとりにしてください」
「待ちぃ」

 造作もなく引き寄せられている。あっという間。

「ごめんて」
 ボクがなんや良ぉないことしてんやろ?逃げんとって。

 腕に閉じ込めたまま、耳元で囁くのは反則だ。息をすこし吸って、ためて、そっと吐き出して作る甘い声。私がそれに弱いことを、彼はよく知っている。力が勝手に抜けていく。

「はなしてください、隊長」
「いやや」

 後ろから抱きすくめる腕のなかで、もがく。最初から力では敵うわけがないのに。

「わけわからへんけど、堪忍」
「なんですか、それ」

 きつい締め付けのなかで、もがくのが幸せだと思う私は、もう救いようがない。
 結局、こんなオトコに惚れてしまったのが悪いのだ。恋をはじめてしまった時点から、私の負けは決まっていた。




そうですの道化です

そんな泣きそうな顔、ボクが平気で見逃せるわけないやろ。


 とか言うてて、ほんまはイヅルのことで怒るからヤキモチ妬いてるだけ。器ちっちゃい男はアカンねえ。
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2009.10.19
どっちも恋の道化、だといいな
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