鳥籠のロマンス

「せやけど、キミはボクのこと嫌いなんやで」
「え?」

 作為的に二人きりにさせられた隊首室で、起こるであろう近い将来のことはしっかり予想出来ているつもりだった。
 たぶん私は、もうすぐこの男に喰われる――…

 ――ガチャリ。
 後ろ手に鍵を下ろした市丸隊長の顔は、その未来を暗示するように妖しく歪んでいる。
 なのに、意地悪そうな薄い唇から繰り出された台詞は予想とはまったく違う方向のものだった。「せやけど、」というのが一体何に掛かる言葉なのかを今更考えるのはバカげていると思いながら、逆接の接続詞の指し示す意味に想いを馳せる。

「ほんまのキミはなァ」

 ニヤリ、口角を釣り上げた隊長が、一歩私の方へ近づく。

「ボクのこと…」

 いつもよりずっと低い彼の声を聞きながら、返事を出来ずに息を飲む。

「"嫌い"って言われへんくらい、嫌いなんや」

 嫌いの反意語は"好き"だ。だとしたら私は市丸隊長のことを好き、だろうか?それを匂わせるような会話や態度をとった記憶は全くない。だって、私は彼のことを"好き"ではないから。
 好きではないけれど、嫌いでもない。自分のことは自分が一番良く分かっているつもりだ。隊長の言う"本当の私"は、彼の捉えたただの幻想にすぎない。はず、だ。そう思いながらも、彼の言葉が気になって仕方なかった。
 嫌いと言えない位に"嫌い"というのは、どういうことだろう。このヒトはいつも何を考えているのか分からない笑みを浮かべて、その仮面の裏で、凡人には理解不能な事象を抱えているヒト。

「……好き、…じゃないですけど」
「案外、正直やないの」
「………正直?」

 正直で いけず や。いつの間にこんなに近くに?突然耳たぶを撫でた声に、腰が抜ける。崩れ落ちる寸前で支えられた腕から、必死で抜け出そうと藻掻けば、案外簡単に解放された。
 拍子抜けしたのはたった一瞬。
 だって ここはもう 抜け出せない密室。腕から逃れても、彼からは逃れられない。かすかに上がった隊長の霊圧が、私にそう告げている。

「ボクは誰よりもキミが好きやのに」

 この男は、

「………」
「殺したってもええくらい、な」

 闇だ――

 どうせ逃げられないのなら、藻掻く労力はすべて無駄。窓から見える月が、薄暗い室内を照らす。銀糸のように繊細な髪は、月光を浴びてなおさらキレイに見えた。
 キレイな男だ。抜けるような白い肌も、さらさらの銀髪も、整った顔立ちも、すらりと高い背も。純粋にキレイだ、と思う。キレイなものは嫌いではない。

「私は…嫌い、じゃないですよ」
「へえ」
「隊長は、面白いです」

 面白い。興味深い。理解できない。だから、近付きたくなる。能面のようなその狐面を、どうにか引き剥がしてみたくなる。
 キレイなものに覆われた、不可解なもの。次はどんなことをするのか、どんなことを言うのか、近付けば巻き込まれてしまうだけだと本能的に分かっているのに、近付きたくなる。
 抗えないものに飲み込まれてしまいたい、それも、また本能。

「ボク おもろいタイプとはちゃう、思ててんけど」
「私の、知らないことを見せてくださいますから」

 見たことのない、世界。真っ暗、だ。

「もっと見せたろか」

 深い、ふかい、闇――…

 いけないと思っているのに、隊長の方へと手を伸ばす。まるで見えない糸が、私を操っている気がするのは、こんな時。自分の意志で生きているつもりだったのに、自分は誰かの意志で操られているだけなんじゃないか、と。
 するり、隊長のキレイな手が私を引き寄せる。

「ええ子やねぇ」
「……」

 ヒトは好きなものを手に取るとは限らない。

「そうそう。素直なんはキミのええ所や」

 違う、違う、ちがう。私は、本当の私は、彼に素直に従うつもりなんてないのに。
 なのに。
 やわらかく包まれる掌から、逃れられない。たいした力も込めずに握られている指を、どうしても振りほどくことが出来なかった。

「いらっしゃい」
「……っ、」
「ボクんとこへ」

 オンナは好きなオトコにはまるとも限らない。

 いったいどこに、見えない糸が?
 探しても見つかる訳のないものを、必死で探してみるけれど、やっぱりそんなものはどこにもない。

「ようこそ」

 神業のようにソファに沈められ、すでに袴は抜き取られていた。ひえた夜気が直接太腿に触れて、鳥肌が立つ。

 オトコが好きなオンナを望むとも限らない。

 どんな生き方をしてくれば、こんなオトコが出来あがるのだろう。嘘臭い笑顔が貼りついたままの隊長を見上げて、まったく関係のないことを考えている。
 身体を繋げれば、何かが分かるんだろうか。分かりたいのだろうか、私は。

 どうなっても知らない。酷い目に遭う。きっと、酷い目に――…

「怖ないの?」
「……」
「ちょこっと抵抗してくれる位の方がボクの好みなんやけど」

 酷い目に、遭う。
 逃げろ、逃げろ、にげろ。脳内では警鐘が鳴り続けている。うるさいくらいに。
 だけど抵抗する動作は手足にまったく反映されないのだ。思考回路がショートしたように、ただ目の前の男のなすがまま。袂が腕から引き抜かれ、ぱさり、死覇装が床へと落ちる静かな音。

「まあ、ええよ」
「市丸……隊長」
「もっとこっちおいで」

 囁く声が聴覚を刺激して、脳内を伝い、手首を動かす。
 さっきまでは全く動かせなかった身体が、勝手に動いて。なにかを求めるように、隊長の首筋に縋りつく。
 私の欲しいものは、なに。私の知りたいことは、なに。

 ――闇の底には何があるんだろう?

「せやけど、キミはボクのこと嫌いなんやで」

 首筋をきつく吸いながら耳に注がれる声。
 もう一度聞こえた同じ台詞は、まるで愛の囁きのようだと思った。

「嫌いなオトコに抱かれる気分はどない?」

 慣れた手つきで胸を包まれる。脊椎のラインを確かめるように、ゆっくりと背中を這いまわる指先。
 これが、闇…だろうか?与えられる快楽に身を捩る私は、むしろこの行為を愉しんでいる。繋がれば何かが分かる、とか、何かを知りたいなんて、ただの言い訳で。隊長に飲み込まれてしまいたかっただけなんじゃないだろうか。
 なんのために、なんのために?

「悪うないやろ?」
「……っ、市ま…」
「自分の気持ちを裏切る感覚って」

 反論の言葉は上手く紡げない。口を開けば意図とは逆の響きが飛び出す。なんだろうこの甘い声は、私からこんな声が出るなんて。余裕をすっかり失った私の前で、いつも通りの表情の彼。

「背徳感いうんは、昔っから甘いモンやねん」

 腰の動きを止めないまま、唇を塞がれる。沸き上がる感覚が苦しくて、熱くて、隊長の頭を掻き抱けば、なおさら奥を穿たれる。

「どない…」
「……っは」

 ぐちゃぐちゃと粘膜の擦れ合う音が厭らしい。

「なんか見える?」

 キミの知らへんモン――…。ゆらゆらと揺れる身体に、揺れる思考。もう、何を言われているのか分からなかった。





 そっと目を開くと、そこはまだ月の差し込む隊首室だった。
 肌を晒したままの身体に、かけられた隊首羽織。こちらに背を向けて立つ市丸隊長は、きっちりと死覇装を着こんでいる。まるで何もなかったかのように。
 そう言えば彼は、情事の最中にあれを脱いだだろうか?

「目ェ、覚めたん?」
「すみませ…ん」

 ひやりと冷たい布で胸を隠して起き上がる。繰り返し穿たれた腰が鈍い余韻を訴えていた。
 確実に何かが満たされているように思えるのは気のせいだろうか。好きでもない男に抱かれて、悦んでいたのは私。

「自分が、分からない」
「今更なにを言うてんの」
「そう ですよね」

 気持ちいいと思ってしまったのは私。だって凌辱されるのだと思っていたのに、彼の抱き方は泣きたくなるほど優しかったから。

「でも、」
「ん?」
「隊長のことが、少しだけ好きになりました」
「く…くく、」
「なんですか急に」
「はは……」

 突然笑い出した彼に、無性に腹が立つ。何を考えているのか分からない人だと分かっていて抱かれたくせに、腹を立てている自分にも絶望した。理不尽なのは、いったい彼だろうか私だろうか。

「……私、帰ります」

 よろよろと立ち上がり、散らばった死覇装を拾い集める。

「アカンよ」

 隊長に背を向け、襦袢に袖を通す。命令は聞こえなかったふり。

「待ちぃ」
「どうぞ、いつまでもそうやって笑っていらして下さい」
「怒った顔も可愛いらしいなァ」

 まただ。いつの間にかすぐ傍まで近付いた彼に、顎を掬われる。至近距離の端正な顔に意志を削がれそうになって、慌ててその手を払いのけた。

「ふざけないで」
「待て て 言うてるやろ」
「いやです」

 まだ震える指を鼓舞して、手早く胸元を合わせる。袴に足を通しながら盗み見れば、しっかり目を開いた隊長がこちらを見ている。

「見ないでください」

 服を脱ぐ瞬間よりも、服を身に着ける瞬間を見られるほうが、ずっと恥ずかしいのだと、初めて知った。
 
「ワザと怒らそうとしててんで」
「!」
「そんなんも分からへんの?」
「わかり、ません」

 なぜ、なんのために、隊長が私を。

「せやかて、傷つけば傷付くほどキミはボクから離れられへんくなるやろ?」
「そんなこと……」
「いいや、そやねんで」

 否定できなかった。どこかで隊長の言うことが本当だと、私は知っていたから。
 ヒトの本質は、たぶん、何かに支配されたいという欲なのだ。民族、宗教、コミュニティ。いまは、護廷十三隊に属する死神。いつも何かに支配され、その何かに適合した仮面をつけている。演じている、嘘をついている。隊長と同じように、私も。

「やめられへんくなんねん」
「な…ぜ……」

 そのくせ、誰かにその仮面を剥がされたいといつもいつも願っている。無理やりにでも剥がされて、傷付けられたいと。

「ほんまキミはアホやね」
「……」
「だってキミがボクに求めてんのは、そういうモンやろ?」

 最初っから…。音の出ない囁き声。
 くらくらする頭を持ち直して、隊長を睨みつけた瞬間、えせ臭い笑顔の貼りついた表情のままの目尻から、一筋の雫。
 怖い、この人が。怖い。
 なのに、初めて見せられた涙が、心臓を絞り上げる。

 自分だけはこういう目には遭わないだろうと思っていた。
 好きでもない男に抱かれるなんて、こんなに頭の悪い状態に陥ってしまって、おまけに――

「ちゃうの?」

 そういうのも気持ちがいいなんて、知らなかった。こんな自分は知らなかった。
 嫌いと言えない位に"嫌い"というのは、こういうことだろうか。どうしようもなく"好き"の被った仮面のようなもの?

「それとも、もっとボクを見せな分からへん?」
「………」

 市丸隊長の手が、羽織ったばかりの襦袢を引き剥がす。なめらかに髪を梳きながら、腰のラインを撫でている。気持ち…いい。
 ぐいと強く抱き寄せられて、自ら脚を絡めた。

「ほんま、欲張りな子ォやね」
 戻られへんようになってしもても知らんよ。


のロマンス
ずーっと分かっててん。ここに来たかってんやろ?ボクんとこへ。
 多分、仮面を剥がされてしまったのは私の方。
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