卑猥な純情
天下の市丸ギンが女の子ひとり自由に出来ひんやなんて、ボク なにやってるんやろ。
やわらかく胸に彼女を抱きしめたまま、ギンは幾度目かもわからないため息を漏らす。深い、ふかいため息。もしも今夜彼がこぼしたため息の数を数えていたら、きっと護廷十三隊に所属する死神の数よりずっと多かったに違いない。
「すー…すー…すー……」
相変わらず規則正しい寝息を立てている彼女の隣で、ボクだけがよこしまな妄想に翻弄されて一睡も出来ない。小さな呻き声が漏れるたび、彼女が身じろぎをするたびに、いちいち心臓が跳ね上がって冷や汗をかいている。
「アホみたい」
ほんまにアホみたいやとどこかで思てるのに、彼女の無防備な姿を見るとどうしても強引な行動に出られへん。
せいぜい額か頬っぺたにチュウするだけで精一杯。その先に進もうにも、触れた唇で彼女の熱の高さを感じてしまったら、自分の非道さにセーブがかかるのだ。
「やっぱり病人を無理矢理いうんは流石のボクでもようヤラんわ」
そのたびバクバクと騒ぐ心臓を落ち着けるために、何度も深呼吸を繰り返す。腕のなかにいるのは、ずっと狙っていた彼女なのだ。ずっと視線で追いかけて、いつか触れたいいつかボクのモンにしたいと思っていた女なのに。
「ほんまに朝までこないに悶々としてなアカンねやろか?」
嬉しいんともどかしいんとで、ボク 頭おかしいなりそや。だってキミがボクの布団におって、ボクに抱きついてて、襟元はええ加減にはだけてて、やらかい胸がボクに触れてて。
布越しに絡む太腿の感触とか、無防備にさらされとるうなじとか、うっすらと汗ばんだ肌の感触とか、甘い香りとか、何もかも堪らんねん。
せやのに、ひたすらじっとしてなアカンやなんて信じられへん。
「こない酷い拷問 ボク 知らんわ」
はあぁ――…
何度目かも分からない、魂の抜けそうなため息をついたのと同時に、小さな破裂音が聞こえた。
「くしゅ…」
「汗かいて冷えてしもたんかな」
「…くしゅ。…っくし」
気が付けば彼女の死霸装の背中がしっとりと濡れている。寝ている間に随分汗をかいたようだ。
ボク、自分の悶々に頭いっぱいいっぱいですっかりキミの看病すんの忘れてしもてたわ、堪忍な。このまんまやったらまた冷えて風邪悪化してまうやないの。
「着替えよか?」
目を閉じたままの彼女が、こくりと一度頷く。
「ボクの浴衣しかないけどええ?」
くしゅ、再びくしゃみをした彼女は人形みたいにこくこくと頷いた。
そっと腕を解いて、布団から這い出しタオルと浴衣を手に戻れば、彼女は眉間にシワを浮かべたまま目を閉じていた。寝ている…ようだ。
「一人で着替えれる?それとも、ボク 手伝ったろか」
無言で頷く彼女を見て、また心臓が激しく暴れ出す。手ェ出されへんのに服着替えさすやなんて、さらに拷問ちゃうの?ボク大丈夫やろか。
「ほんならちょっとだけ起きてな」
頷いて、ボクの首筋に腕を回す彼女の身体を抱き起こす。女の子の着てるもん脱がすンは得意やし大好きやけど、相手に半分意識のない状態てのは予想外に照れ臭いモンやねんね。知らんかってんけど。
腰紐を解いて、緩んだ襟元が左右にひらく瞬間に、なんや必死で目ェ閉じてしもた。
「ほんまにボクが脱がせてええの?」
うっすらと薄目を開ければ、彼女の頷くのが見える。ほんまにええんかな、目ェ覚ましたらめっちゃ怒られるとかちゃうの?せやけど早いこと着替えな、風邪悪化してしまうかも知れへんし、不可効力いうことで許してな。
「ほな、ちょっと腕あげて」
正面から背中に腕を回して死霸装の袂を抜き取る。胸と胸は触れ合う寸前、心臓が口から出そうな気ィする。このまんまちょこっと力加えたら押し倒せんのに。いやいやいや、アカンアカン。
「身体拭くさかい、我慢してな」
薄目を閉じたままタオルで上半身を往復しながら指先に伝わる感触にドキドキする。いろいろ辛抱しすぎたせいで、ほんま心臓飛び出しそう。
たぶん傍から見たらボクの顔はいつもとおんなし顔に見えるんやろけど、誤解されへんように付け加えると、これでも一応 目ェ開く分量は五、六割減(当社比)。つまりはいつもの半分以下しか見えてへんってことや。
それから(ボクだけ)四苦八苦、一喜一憂して彼女の着替えが終わったんは十分後。全力疾走のあとみたいに疲れ果ててるボクの横で、彼女は再び幸せそうな寝息を立てている。
「お疲れさん、ボク」
ぱたり、布団に倒れ込んで彼女を抱きしめる。ほとんど意識のない状態だったとは言え、ボクに身体を委ねたのは多少の好意の現れだと思ってもいいのだろうか。
すーすー…、安らかな寝息を立てる彼女の髪に鼻先を埋めて、そうじゃなければ今夜の自分の我慢は報われない、とギンは思った。
「……ん、う…」
「…またなんでそないな声出すん」
どこまでボクを試さはるおつもりですか、神様。ボク本気で泣きそうです。泣きそうやのに彼女、なんでボクにしがみついて来るんですか。もう、諦めてもええってことですかコレ……いやいや、待て。まだ彼女、熱あるやないの。
「っ、たい…ちょ」
「ほんま、堪忍して――…」
神様いうんはきっとものすごいドSに違いない。それともボクが今まで女の子たちやらイヅルを虐めてきた報いなんやろか、これは。
袴から浴衣に着替えたせいでぱっくり割れた裾からあふれる魅惑的な太腿に、うっかり指を這わせそうになっては、ぶるぶると首を振る。アカンアカンアカン!
そしてまた、市丸ギンの苦悩の時間は続くのだ。
◆
朝方、ようやく熱の下がった彼女の寝顔を見つめて、ギンの新たな苦悩が始まる。
結局一睡もできひんかった。今日の仕事はお休み決定やなァ。そのうちイヅルがお迎えに来てくれるやろから、病み上がりの彼女と一緒に欠勤にさしてもらお。
「おはよう、朝やで」
「………」
そっと肩を揺すってみるけれど、彼女からはなんの反応もない。小さく口開いて寝てる姿は無邪気な子供みたいやのに、寝乱れた浴衣が色っぽくて、我慢続きの目には猛毒や。
「なしてここまで乱れんの」
ボクのモンやから身体に合うてへん言うんもあるやろけど尋常やない乱れ具合に、ボクの心臓の方も尋常やなくなるやん。
「……はぁー」
もう熱下がったみたいやし手ェだしてもええやろか。開いた襟元に指を伸ばしかけて、肌に触れる寸前でハタと手を止める。
せやけど、せっかくここまで我慢したんやしやっぱり出来れば意識のある彼女の反応見たいよなァ。ほんなら起きるまで待ってよか。
ああ早く起きひんかな。無理矢理起こしてみよか、でもそんなんしたら今まで紳士的な対応とって来たんがぜーんぶ水の泡になるんちゃうの?それは悔しいしなァ……。
こないなってもまだ、神様はボクのこと試さはるんや。でもボクほんまによう頑張ったと思うんです、たぶん今まで生きてきたなかで一番頑張った夜や言うても過言やない思います。
「そろそろ、許してくれはってもええのんちゃう…やろ……か」
小さな独り言を呟きながら、ボクはついに睡魔に引き込まれていた。
◆
起きたら隣はもぬけの殻。置き手紙だけ残し、きちんと死霸装に着替えた彼女が、今にも部屋を出て行こうとしている所だった。
「ちょ、待ちィ!」
なんやそれ、そないあっさり腕からすり抜けてしまうんなら、あそこで黒ギン発現さして無理矢理襲ってしまえば良かったんに。服脱がすついでに、とん、てちょこっと肩押したらそれで終いやったんに。我慢したボクのあの切なさはどこに行ってしまうんな?
「隊長……おはようございます」
「黙って帰る気ちゃうやろね」
いやいやいや、嫌われてしもたら元も子もあらへんから、慎重に慎重に。どうせもすこしで手に入るんやし、ここまで我慢したんやから最後まで慎重に我慢する。セルフ焦らしぷれい的にな。そんなんもたまには悪うないやないの。脳内で白ギンが囁く。
「よくおやすみだったので」
「昨日は全然寝られへんかったからねぇ。誰のせいや思う?」
いっそ恩を着せる言うんはどうやろ、随分我慢したんやし、さっさと襲ってまえ。あない拷問みたいな時間に堪えたんやからきっと許されるて。今度は黒ギンがそそのかす。
「すみません、お世話になって」
まだ少し掠れた声が、どうしようもなく色っぽかった。
「ええよ、それよりこっち来ィ」
「でも執務時間が…」
「そんなんええから、おいで」
困惑した表情のまま、それでも近付く彼女を、手が届いた瞬間に布団へ引きずり込む。
「隊長…」
「昨日キミの着替えさしたん、誰やと思う?」
「……市丸隊長、です」
「当たり。ボクもうキミの身体も見てしもたし」
せや、彼女かてボクに好意持ってるはずなんやから躊躇う必要なんてもうあれへんやろ?襲え、襲え!黒ギンの囁きに従おうとしたら、彼女の口から予想外の台詞が飛び出した。
「市丸隊長は、その…男の人がお好きらしいと言う噂で」
「はあ?なんやのそれ」
「だから着替えさせてもらうのもOKだと」
へ…?ボクてっきり好かれてるから着替えさしてくれたんや思ててんけど勘違いやったん?
「…吉良副隊長と怪しいって、一部の女性死神の間でもっぱらの噂です」
「そないな話、……ほんまやの?」
「ええ。だって隊長の言動が…」
「たしかにイヅルは別嬪やけどな」
「いや…だからそれが」
「せやけどソレ誤解やから」
「誤解…?」
「そ。ボクが好きなんはキミやから」
「え…隊長ってバイなんですか?」
なんや微笑んでるキミの顔は可愛らしけど、思い切り勘違いやからソレ。ボクは女の子が好きなんやで?
「堪忍して…それ」
「でも、両刀遣いってある意味興味があります」
「………はあぁ――…」
たぶんボクの覚えてる限り今までで一番でっかいため息がでた。
まあええよ、今はそれで。ボクもう弁解する気力ないし、イヅルにキツう言うんもまた今度や。
せやけど昨日からずーっと我慢してた分は、きっちり元とらしてもらうから。
「ほんなら試してみる?」
卑猥な純情ここまで焦らされたんは初めてやから、ボク何するか分からへんよ。