窮屈なエデン

 身体弱ってるときにやさしく看病されるシチュエーションには、誰でも憧れる思うねん。せやからボクがこないな絶好の機会 見逃すわけないやろ、イヅルのアホ。

「市丸隊長っ、逃げないで下さい!!」
「イヅルこそ、追いかけんといて」

 朝から顔色の悪かった彼女がふらふらとボクの目の前で倒れるから、考えるより先に身体が動いただけ。
 それにしても人聞き悪いなァ、イヅル。別に逃げてるんとちゃうよ、ボクは好きな子ォに目の前で倒れられた時の正しい行動とっただけや。

「隊長っ!」
「しつこいなァ、ほんまに」

 ボクが彼女を抱き上げた途端に席官の女の子たちみぃんな「きゃー」て黄色い声あげてたの、聞いたやろ?やっぱり"お姫様抱っこ"は、古今東西 乙女の夢なんや。
 皆が今頃きっと「市丸隊長って意外に優しくて思いやりも行動力もあってス・テ・キ」とか「私もお姫様抱っこされてみたーい。羨ましい」とか思てるに違いないのに、ツンツンしてるんはイヅルだけやで。

「書類!!まだまだ山積みなんですよ」

 もしかしてヤキモチでも妬いてんのやろか、そないに眉ひそめて追いかけてくるやなんて。せっかくの別嬪サンが台なしやないの。でもさすがのボクでもイヅルをお姫様抱っこすんのは無理やで、細う見えてイヅルは意外と筋肉質やからねぇ。

「隊長。お分かりなんですか?」
「ボクのすべてはイヅルに預けてるさかい、」
「…っ、すべ て……?」

 ボクを追いかけていた足音がぴたりと止まって、釣られるように足を止める。

「ボクのモンはみーんなイヅルのモンや。せやから決済印よろしゅうな」
「………」

 振り返ると、イヅルは立ちすくんだままほんのり頬を染めていた。なにを顔赤うしてんのやろ、ボクなんもおかしなこと言うてへんよなァ?

「とにかく頼りにしてるで」

 俯いて黙り込んでしもたイヅルをその場に残して、腕のなかの彼女を抱え直すと自室へ向かった。





 ボクの布団で苦しげに荒い呼吸を繰り返す顔は、随分と火照っている。額にそっと触れたら、彼女はきゅっと切なげに眉根を寄せた。

「くる…し」

 熱で渇いた唇を薄く開けて酸素を必死で取り込もうとする表情は、執務中の真面目な顔とは別人に見える。

「しんどそやな…可哀相に」

 余りに苦しそうな様子を見兼ねて、きつく合わせられた襟元をわずかにゆるめれば、浮き出た鎖骨と胸の谷間が目に飛び込んで来た。
 白くて細い首筋…軽かったなァ、ちゃんとご飯食べてんのやろかこの子。でも案外出るトコは出てるんやね。
 ってボク 病人を前に なにを考えてんのやろ。アカンアカン、よこしまなこと考えるんは禁止や。

「彼女は病人、病人…病人……」

 でもいつものボクやったらここは手ェ出す所やんなァ。無理矢理ヤんのも嫌いやないし、むしろ苦痛に歪むキレイな顔見るんはめっちゃ好きやないの。せやったら、そない我慢せんでもええんと違うかな。

「…据え膳喰わぬは男の恥て言うし」

 せやけど、なんやこの娘には嫌われたないねん。やっぱりアカン、熱出て苦しんどるのに手ェ出すやなんて反則技や。純粋に看病すんねんボクは!そのためここに連れて来たんやから!
 ボクが不毛な一人脳内会議をしていたら、不意に呻き声が聞こえた。

「う……ん、っ…」

 なんで今そんな声出すんよ、わざとなん?ボクのこと試してるん?
 切なげな響きはやけに艶っぽくて、脳内の白ギンの決意が簡単に揺らぎそうになる。
 部屋にはふたりきり、彼女は抵抗する力もなさそうな弱々しい姿で布団に横たわっている。
 これはやっぱり男やったら手ェ出すべきトコなんちがうか?脳内の黒ギンに一瞬でそそのかされて、ごくりと唾液を飲み込んだ。

「狡い男で堪忍な……」

 布団に手をかけて、少し近寄る。色白の胸が呼吸に合わせて上下している。
 苦しげに歪む寝顔を覗き込んだら、ゆるりと彼女の目が開く。至近距離で目が合った瞬間、潤んだ瞳の無垢さに、ハッと我に返った。

「……市丸…たいちょう」

 ぎりぎりセーフや、なんとか今回は非道い男にならずに済んだみたい。

「えらいうなされてたで」

 その後は、熱があることも気付かずに帰ろうとする彼女を無理矢理寝かしつけて。帰る帰らない、帰る帰さない、でも帰る絶対帰さへん。一通り押し問答を繰り返した。
 せっかくキミを看病するシチュエーション手にいれたのに、おまけに愚かな葛藤にやっと打ち勝ったトコやのに、簡単に逃がすわけないやないの。

「ボクが好きでキミをここに連れて来たんや。勝手には帰らせへんよ」
「…はい」

 ましてや四番隊になんて行かせへんに決まってるやろ。キミの看病はボクの役目なんや、おとなしい言うこと聞きィ。

「それから、ヒトの心配なんてせんかてええから。さっさと治しィ」
「……はい」

 キミの具合悪い内は、ボクも手ェ出されへんやないの。焦らされんのは苦手やねん。

「ボクの寝る場所なんてどないでもなるんやし。な?」
「………はい」

 とか言うてても、ほんまはこの部屋に布団は一組しかないから、最初っからほかに選択肢はないんやけどね。

「それとも……ボクに"添い寝"して欲しん?」
「…………は い」

 素直にはいなんて言われたら、嬉しすぎていつもの顔保たれへんようになってしまう。キミが熱のせいでぼんやりしてるだけやて分かってても、もう言い訳は聞かへんよ。

「ほんなら、お邪魔します」

 おんなし布団に潜りこんで火照った身体をそっと包み込めば、恥ずかしそうに身をよじる。腕の中でキミが小さく動くたびに、緊張で心臓が止まりそうになった。
 おかしいなァ、ボクこないな純情キャラじゃあれへんはずやのに。

「さっきまでもずーっとキミの寝顔を見つめててんけど、気ィ付いた?」
「いえ、寝てましたから」
「うなされてる顔も悪うないね」

 余裕ぶって会話しながら、キミの短い台詞だけで心拍が勝手に上がる。いつもの声も可愛らしい思てたけど、その熱のせいで掠れて鼻にかかった声はアカン。ドストライクや。

「寝る前にもういっこだけ」
「……はい、なんですか?」
「もう、あんましその声で喋らんといて欲しねん」

 耳元で囁いたら、くすぐったそうに小さく震えて肩を竦めた。そんな初々しい仕草もドストライク。

「すみません、風邪…遷りますよね」

 ほんまに何も気付いてへん子はかなわんな、そんな掠れた声でこれ以上しゃべらんといて。お願いやから。

「そんなんはどうでもええんよ」
「……え?」
「そんな鼻声 近くで聞かされたら、ボク変な気ィになりそやから」

 て言うよりも、もうすっかり変な気ィになってるから、それを抑えるんに必死なんやけどね。

「分かってくれた?」

 そっと額にキスをすれば、まだ随分熱が高い。こんな状態の彼女にはやっぱり無理はさせられない。
 それとも…汗かいたら熱下がるんやろか?いっそのことこのまんま組み敷いてしもたらええのかな。

「す…すみません」

 また、鼻にかかった掠れ声。その響きで官能と庇護心をいっぺんに刺激されて、胸がずくずくと疼く。
 頭ン中ぐるぐるするやないの。いつもやったらこないアホみたいに悩んだりせえへんのに。キミが相手やといつものボクでおられへん。

「ええから、寝ェ」
「はい。おやすみなさい」

 キミがぎゅうっとボクにしがみつくから、心臓が痛いほどドキドキして大変や。ほんまはキミもボクに抱かれたいん?そうやって誘てんの?
 ひとつの布団の中で密着しあった身体は、バカみたいに熱を持つ。鼓動はどくん、どくんと高まって、キミの香りに頭がくらくらする。

 ――アカン、やっぱ無理。神様ボクこんなん無理です。

 好きな子ォと一緒に布団のなか入って身体密着させて、それで何もせえへんのなんて無理!絶対ムリです。もし神様がボクの道徳心を試してはったんなら、潔う負けを認めます。ボクの完敗です。

 ごくり、唾を飲み込んで、さあ狼になろうと覚悟を決めた瞬間。

「すー…すー…すー……」

 小さく聞こえてきたのは、安らかで規則正しい彼女の寝息。


「……嘘やろ」

 ボクはこの世で一番情けないため息をこぼして、もう一度そっとキミの額にキスを落とした。



デン

このまま朝までじーっとしてるやなんて、ボク我慢できるやろか。まるで拷問やわ、ほんまに堪忍して――…
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