掻き毟る熱
暗い暗いどこかへ沈む。
頭の後ろの方を引っ張られるような感覚に素直に従えば、あとは自分の重みが勝手にそれに拍車をかける。
徐々に反る背中のカーブに合わせ、繋がった部分の密着度が変化して、思いもよらぬ快感を粘膜が拾う。
「こっちや」
やわらかい市丸隊長の声が聞こえたのは、意識のなくなる寸前だった。
こういう瞬間はいつもそうだけれど、その直前まで自分がなにをしていたのかすっぽりと記憶から抜け落ちてしまう。私の意識をぎりぎりまで追いやったのが、いかにも遊び馴れたその男自身だ、ということすら。
「ほら、手ぇ伸ばし」
半分霞んだ目にはほとんど何も映らないけれど、薄闇の中でかすかに光る銀色へ誘われるように手を伸ばす。
その手を包み込んだ彼は、当然のように首筋に縋らせる。ぐいと腰を引き寄せられて、繋がる場所に痛みに似た快感が走る。
内臓の奥にぎちぎちと分け入ってくるような深い融合の感覚は、不快感と紙一重でとてつもない快楽をもたらした。
隊長のもので充たされて、また意識が薄れそうになる。
「ええ子やね」
空いた手がそっと一度頬を撫で、髪の隙間に滑り込む。その掌がやけに温かいことと、彼の声がすっかり熟れすぎた桃の実のように甘ったるいこと以外、もう何も感じたくなくて唇を噛みしめる。
「我慢せんでもええよ」
齧り付けば甘い汁がじゅくじゅくに溢れだしそうな果実。そんな熟れた声が耳に入りこんで、ほとんど見えていない眼をそっと閉じ、肩口に歯を立てた瞬間。なんでこんな事になっているんだろう、とほんの一瞬だけ疑問が頭を掠める。
隊首室のバランスの悪い椅子の上、今にも崩れ落ちそうな姿勢で繋がったまま、呼吸を荒げている隊長と私。人気はとっくにないけれど、誰も来ない保証はない。
「……なぜ」
「わからへんの?」
答えをくれぬまま、荒い息を吸われて、今度は自分の意志で隊長の首筋に縋りついた。途端に敏感な部分が隊長の肌に擦れて、じんじんと痺れる感覚に身を捩る。
それに低く笑うと、彼はぎりぎりまで腰を引き、じっと瞳を見つめては一気に奥を攻める。ぎしり、椅子の脚が軋んだ。
こうなったのは半時ほど前。隊長に跨がって快楽を共有しているからと言って私たちは恋人同士ではない。ましてや割り切った関係でもない。ほんの少し前まではごく普通の上司と部下だった…と、少なくとも私は思っていた。じゃあこれはいったい何だろう。
肩に立てた歯に、布越しのしなやかな皮膚の感触。ほとんど着衣に乱れのない隊長の上で、私だけが一糸纏わぬ姿。
「…いや」
「そないなこと言うてても…」
「………っ」
「全然説得力あれへんよ」
ぎゅうっと抱き締めたまま下から突かれて、曲げた背が一瞬で仰け反る。弾んでから落ちる体に合わせ、一層強く突き上げられれば、肌と肌のぶつかる音が闇の中に大きく響く。
「……な、ぜ」
「今更聞かんといて」
揺さぶられるたびに髪がなびく。潤んだ甘い吐息が漏れるのに合わせて、身体と一緒にゆらゆらと頭の芯までゆれている。
……なぜ?問い掛けは隊長へ発したものではなくて、自分へのものだったような気がするけれど、撹拌され続ける脳内ではうまく判断ができない。
ゆさゆさと重力任せに揺れる膨らみを、綺麗な掌で両側から掬いあげられれば、よけいに頭の中が掻きまわされて。引っぱり出されるのはどうしようもない愛おしさだった。
「理由なんていっこしかないやろ?」
「……ひとつ」
絹糸のような銀髪が、さらり、目の前で揺れる。伸ばした腕でそっと頭を包み込めば、姿勢が愛おしさを増幅させる。胸が痛い。
こわごわと覗いた顔は、私の心を見透かすように美しく歪んでいた。
――やっぱり怖いヒト…。
ずっと前から、いちど捕まったらもう終わりだと思っていた。だから必死で線を引こうとしたのに、気が付くとあっさり捕まっている。必死になればなるほどいつの間にか逆に嵌って行く。そんなヒトだ、市丸隊長は。わかっていたのに、なぜ私は――こんな。
囚われて私だけがなにもかも剥がされて、すべてをさらけ出している。なのに彼はほとんど自分を曝さない。
いまの一見着衣の乱れのない彼と全裸の自分の姿は、ふたりの関係を象徴しているのだと思ったら、今更ながら羞恥心を煽られた。
「狡い…」
「ほんまは何でか知ってるくせに」
一段と低い声が目の前の薄い唇から漏れて。ぐるりと円を描くように内壁を刔られると、勝手に腰が揺れる。まるで、もっと とねだってるみたいな自分の行動が恥ずかしい。
意識を失いそうになる寸前にも感じていたはずなのだ、消えてしまいたくなりそうな羞恥心を。でも片膝を持ち上げられ、深い部分を刔られるうちにそんなことは忘れてしまった。
「知らへんフリして、ボクになに言わせたいん?」
「なに…も、っ」
「キミは嘘つきやねんね」
「………」
「せやけど、」
嬉しそうに眼を細めて、見下ろす隊長の目尻は、泣いた後のように赤らんでいる。いつも病的なほどに白い肌は上気し、切なげに眉を顰めた顔はうっとり見惚れそうに艶っぽい。
欲情している――そう言葉にされるよりも表情のほうがずっと強く彼の欲を伝えるから、もっと恥ずかしくなる。
「ボクがこない丁寧に誰かを抱くやなんて…滅多にないねんで」
「市丸、隊…長」
「今までどんだけ辛抱してたんか気付いてへんの?」
そんなことを言いながら、衝動を我慢し過ぎた思春期の少年みたいな顔を見せられたら、下腹の奥がずくずくと疼きはじめる。擦れ合っている部分のずっと奥のほうが、むず痒い。
腰を抱き寄せる大きな手が背中をはい上がって首筋を辿り、優しく後頭部を支える。まるで愛し合っている男女のような仕草で髪を梳かれて、心臓がぎゅうぎゅうと締め付けられる気がした。
しがみついた隊長の衿元が乱れ、現れた鎖骨に唇を寄せて、肌にわずかな跡を残す。彼はその愚かな行為を止めようとはしなかった。
「伝わらへんかってんねや…」
たとえばその欲が、刹那の快楽を追いかけるものではなくて、愛情に比例しているものだったら。
額に落とされたキスがあまりに慈しみ深いから、そんな身の程知らずなことを考えてしまう。自分はただの慰み者ではないのかも、と。
「ほんなら、もっとしっかり分からしたらなアカンね」
とん、と両肩を押されて眼を閉じたまま首を傾げる。ふたりの間に出来た隙間を少し寂しいと思っていたら、私のなかで彼がぴくりと動いた。
「わかる?今どないなってるか」
「…い え」
「目を開けて、見てみ」
「………」
「ほら、ここ」
瞼に触れた唇がはなれるのに釣られて目を開けば、視線が私を下へと誘導する。
「恥ずかしがらんと、よう見て」
「……っ!」
繋がって、いる。
さっきからずっとこうして揺さぶられていたのに、目で捉えた事実は別の具合になにかを刺激して、身体がぶるりとふるえた。
きゅっと痙攣した奥であたたかい彼が脈打っている。濡れた肌に感じるかすかな息遣い。粘膜が拾いあげるカタチ、熱、感触。
繋がっている、隊長と私。
「ちょっこっとだけ、触ってみ」
首に回したままの手を取られ、導かれる。ふたり分の体液で濡れた部分は、目で見せられた上に触れればさらに心をざわめかせた。
繋がっている、その事実がますますリアリティを持って心に染み込んでくる。どくん、どくん、触れ合った部分で互いの薄膜の下、熱い血が脈動を繰り返す。
熔けるようにやわらかくなった器官が、ちいさく震えながら、もっともっとと騒いでいた。
「キミとボクが繋がってんの、わかる?」
隊長はなんのために、こんなことをするのだろう。
頷きながら浮かんだ疑問は、彼が腰の動きを再開してしまえば瞬く間に消える。
ぐちゃぐちゃと響く水音、リズミカルに最奥へ与えられる刺激、網膜の捉えるイメージ。すべてがいっしょくたになって私を襲うから、堪えられずに眼を閉じる。
「ほら、ボクにつかまっといてええから」
「…っ、は ぃ」
啜り泣くような声がでて、片手で口を覆う。隊長ばかりが余裕で、私はどんどん追い詰められている。綺麗な濃緋色の瞳は瞬くことも忘れるように、はしたない部分に注がれているのだろうか。
見られていると思ったら、泣き出しそうな恥ずかしさと快感がいっぺんに訪れて脊椎を鈍い衝撃が走った。
「アカンよ、隠したら。ボクに全部見せぇ。全部聞かせ」
ボクが知りたい思うんは、キミだけなんやから。付け加えられた隊長の言葉がどろどろに溶けて鼓膜を麻痺させる。ずん、と身体中を駆け抜ける刺激に、爪先が反り返る。
すっかり力が抜けて、もう自分で縋り付くこともできない。
「ちゃんと掴める?」
手を取って首に回してくれる指は相変わらず泣きたくなるほど優しい。その間もテンポを保って続く律動に、泣きそうな声がもれる。こんなに気持ちいいのは初めてで、勝手に動く腰に羞恥を感じる余裕もない。
二人分の重みを支える椅子が小さく悲鳴をあげている。
「落ちんといてな」
声を出せば嬌声になりそうで、返事の代わりに背中に爪を立てる。快楽を追いかけて短く浅い呼吸を漏らす彼を信じたかった。いちいち私の反応を確かめるように表情を覗き込む彼を信じたかった。
「ほんまにキミん中、気持ちええね」
「たい、ちょ…」
「やっとこうなれた」
いつから願っててんやろ、もう忘れてもた。甘く掠れた吐息混じりの声は、官能を跳ね上げる。
「ボク、ほんまに好きなモンにはめっちゃ臆病やねん」
「…す、き…?」
「ああ。誰より」
誰よりも誰よりも。誰よりってどれくらい?
啄んでは離し、角度を変えてはまた啄む。声にならない問いをキスで飲み込んで、互いの与える快感に集中する。
「せやけどもっと早うにこないすればよかった」
「………」
子供のようなこの人だから、いつかは飽きてしまった玩具のように捨て置かれるのかもしれない。でも今はこうして繋がっていることに、快楽以外の意味があるはずだから。時折聞こえる呻き声には興奮だけじゃない別の感情が見えるから。
ぎしぎしと椅子が軋むほど揺さぶられたら、感じすぎて腰が砕けそうになる。声を我慢できずに唇を繋げれば、柔らかい舌が生き物のように絡みつく。
「ほんま、誰よりも…」
「す、き?」
「せや。好きや」
甘い台詞に耳たぶを撫でられて予想外に肩が揺れた。いっしょに心もぐらぐらと揺れて、再び自分から口唇を重ねる。
唇も指先も、粘膜も、繋がったところすべてが敏感に悦びを感じとるから、本気で泣き出しそうになる。
一層激しく打ち付けられる腰の動きに比例して白んでいく意識のなか、細めた眼で隊長を見つめたまま、甘く痺れる頂点を必死で手繰りよせた。
誰よりも誰よりも。誰よりってどれくらい?
掻き毟る熱縊り殺したなる愛しさて、キミにもわかる?