渇いた浴室

 珍しくおだやかな相槌が続いていたから、つい調子に乗った。もともと私が調子に乗りやすいタイプだという自覚はある。

「ああ。せやな…」
「それでね、その後にアイツは――」

 自覚はあるし、そもそも人の悪口や愚痴というものは口火を切ったが最後、なかなか止まらないものだから気をつけようと思っていた。なのに、まるで舌のすべりを良くする潤滑油でもがぶ飲みしたかのように次から次から溢れ出す言葉に自分でも半ば驚きつつ、それでも止めることは出来なかった。
 相当腹に据えかねていたせいで聞き手の顔色を伺う余裕がなかったのはたしかだけれど、不意に消えた相槌に気が付いて顔をあげた時には「俺はめっちゃ不機嫌や」と顔に書かれた真子の仏頂面が目の前に迫っていた。

「ええわ、もう」
「…え?」
「エエ加減でやめとけ、言うてんねん」

 しまった…と反省するにはもう遅い。焦点を真子の顔にあわせれば、眉間に皺がくっきり浮かんだ典型的な負の表情。
 そんな顔をしているときの真子はいつも以上に鋭く尖って見えて格好いいと思ったけれど、いまそんなことを言えばきっと逆効果になるに決まっている。もちろん口から飛び出したのは全然別の言葉で。

「…真子、案外優しくない」
「俺が優しない訳ないやろ」
「思ったより肝が小さいんだね」

 さらに逆効果になりそうな言葉を吐き出し続ける自分の口を呪いたくなる。こんなことを言うくらいなら「格好いい」と言ったほうがいくらかマシだったんじゃないだろうか。
 違う、違う。私はこんなことを言うつもりじゃない。ぶるぶると首を振って否定する私の前で、真子の顔つきが攻撃性を増している。
 バカだ、私。やっぱり逆効果だった。

「そない優しい男がええんやったら、好きに捜せや」
「………」
「お前の下らん愚痴聞いて、そうかそうか可哀相になァ…よしよして頭撫でたるくらいしか能のないような奴、なんぼでもおるやろ」
「しん…じ……」
「残念やけどなァ、俺はそない優しいだけのアホとちゃうねん」

 そんなん絶対出来ひんから、と言葉を続けながら、真子は短くなった煙草を灰皿に押し付ける。フィルターの燃える微妙な異臭がして、そんなに煙草が短くなるまで黙って真子は私の話を聞いていてくれたんだと思ったら、胸がぎゅっと詰まった。

「違う…から」
「別に止めへんで」
「そういうことは言ってない」

 言っていないし、望んでもいない。ただちょっとだけでいいから優しくされたかった。それだけ。調子にのって甘えた、少し甘えすぎた。それだけのことだ。

「もっと優しい男がええねやろ?」
「私は、 真子に……」
「うんうん、てもっと長いことお前の話聞いてくれる男がええんちゃうか?」
「…………っ」
「どうなんや」
「……ごめん…なさ」

 他の男なんてどうでもいいし。ここにいるのが真子でなくては意味がない。別の誰かに優しくされたとしても意味はないのだ。

「謝るくらいなら、ほどほどでやめとけっちゅうねん。アホ」
「はい」
「ほんまに何遍言うたら分かんねん。俺は建設的やない話はキライや、言うてるやろ。時間のムダや」
「…はい」
「俺にそんなん話して、何か解決すんのか?状況が好転すんのか?いっこも変わらへんやろ」
「……はい」

 真子が立て板に水のごとくまくし立てるのはいつものことで。今日のような夜は、低い声に聞き惚れる余裕もなくす。

「調子に乗って延々喋りやがって。俺が黙って聞いとる内に、エエ頃合いで空気読めっちゅうねん。ボケ!」
「………はい」
「俺がお前に一回でも仕事の愚痴こぼしたことあったか?ないやんけ」
「…………はい」

 言われることはいちいち尤もなので頷いてはいるが、そろそろ真子の方もほどほどにして欲しいな。などと考えていたから、意識が散漫になっていく。
 それを悟られてはますます説教魂に火を点けるだけなので、反省を装ってそっと下を向く(もちろん、実際反省もしていた)。

「優しいに話聞いたったんに、優しくないとか責められてめっちゃズタボロに傷付いた俺の心、しっかり癒して貰わなアカンなァ?」
「………はい」
「ほな、」

 そこで一旦言葉を切って、笑いを噛み殺すように息を吸い込んだ真子の不自然さに、どうして私は気付かなかったんだろう。
 長引くお説教時の常でテーブルの木目を眼で追いかけたりせずに、まっすぐ彼に向き合えばよかったのに。


「 一緒に風呂入ってもらおか」
「……はい……………っ、え!?」

 俯いていた顔をあげれば、してやったりという表情の真子がこちらをじっと見ている。ニッと持ち上がった口角から覗く歯が、やけに白く感じた。

 やられた――はい、はい、はい…。肯定の返事をし続けて、誘導尋問の罠に嵌まるように、うっかり「はい」と言わされてしまった。お風呂に一緒に入るのだけは極力避けてきたのに。

「さ。風呂に湯入れてこーかな」
「ちょ!待って真子、いまの…」
「ナシとか聞けへんで」
「明かり、消してくれる?」
「アホか。何も見えへんやんけ」
「見えなくていいんです。見えないほうがいいんです」
「それやったら、罰にもお詫びにもならへんやん」
「………」
「却下!」

 素っ気なく言い放つ真子の意地悪な笑みを、また、格好いいと思ってしまった私は本当に救いようがない。



渇いた浴室

そん代わり、今日は特別に俺が髪洗ったるわ――
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