ヒステリックな夜には抱いて
胎児のように身体を丸め、痛みを放つ部分を庇う姿勢で横たわると、細く長い息を吐き出した。じわり、額には汗が滲む。胎内ではまるで鋭い金属の爪でやわらかく弱い粘膜をぐちゃぐちゃに引っ掻き回されるような痛みが続いていた。
(痛い いたい イタイ………)
口にしても楽にはならないと分かっているのに、言わずにいられないのはなぜだろう。それどころか口にする度より明確に痛覚が根付く気すらする。せめて、隣に寝ている真子を気遣かって声なき声で繰り返すのが精一杯。
先程飲んだ鎮痛剤はなかなか効いてはくれない。いっそのこと腰から下を切り離してしまいたい、と思った。
ごろごろと転がり回りたくなるほどの腹痛に必死で堪えていたそんな深夜。そっと何度目かのため息を噛み殺したら、闇を縫って低い声が耳に届いた。
深夜の彼は、いつもよりすこしだけやさしい――
「どないしてん」
「真子…ごめん、起こした?」
「気にしなや。大丈夫か」
ごそり、きぬ擦れとともに近づいてきた手の平がやわらかく頬を撫で、髪を梳く。無意識に強張っていた身体から、すうっと力が抜けた。
「ちょっとお腹が、ね」
「痛いんか?こっち来ぃ」
「……でも」
躊躇している間に腕を引かれ、真子の胸にすっぽりと包まれる。自分以外の肌の温もりを感じるだけで、ほんの少し痛みがやわらいだような気がした。
「しんどかったら遠慮せんと起こしたらええんやで」
普段は分かり易い優しさなど滅多に見せない彼があまりに穏やかな声を出すから、それにまず驚いた。寝ぼけているのだろうか。私と真子の間ではかなり突飛な出来事だけに、戸惑いを隠せない。
「どこや」
「ちょ!」
そんな私の反応なんてお構いなしにぐいっと腰を引き寄せられて、大きな手の平が腹部にそっと触れる。
「ここか?」
「…ん」
しばらくじっと手を当てた後、ゆるゆると撫でられる腹部から痛みが少し引いた。もしかしたらやっと鎮痛剤が効き始めただけなのかもしれないけれど、真子が触れるたび確実に痛みは緩和されている。その理由なんてもうどうでも良かった。
「どうしたの、寝ぼけてる?」
「そんな訳ないやろ」
真子の手の平が私のお腹をさすっている、私にとってはこの世の奇跡みたいに特別な手――その事実だけで、充分。
「でも、やけに優しい」
「俺はいっつも優しいわ、アホか」
そう言って喉の奥で笑うと十数分、真子は黙ってお腹を撫で続けた。
怪我や病気などの処置をすることを「手当て」というけれど、もともとは文字通り患部に手を当てて回復を図ったことが語源らしい。真子はそれを知っていたんだろうか。
「ちょっとはマシか?」
「うん、だいぶ…」
ちょうど良い強さと速度で下腹部を這う指先。真子の手の平の熱がじわじわと痛みを溶かしてゆく。
本当に「手を当てる」ことは痛みの処置に有効なんだな、と頭の隅っこで思いながら、いつの間にかゆるやかに眠りへ落ちていた。
◆
翌朝、まだ鈍痛のうちに鎮痛剤を飲んでベッドへ戻ると、ちょうど目を覚ましたばかりの真子と眼が合う。
「おはようさん」
「おはよう、夜中はありがとね」
「なんやねん突然。俺なんもしてへんぞ?」
「え……覚えてない、とか」
いや、あれはどう考えても寝ぼけているとは思えない声と仕草だった。そう思いながら首を傾げれば、訝しげに額を小突かれた。
「覚えてるも覚えてないも、なんもしてへん言うてんねん」
「……………」
「黙り込むなや。何があってん?」
ベッドの上、片肘を突いてこちらを向く姿が、朝から刺激的だ。とかそんな事を思っている場合ではなくて。
「えっと。お腹…」
「腹がどうかしたんか」
「昨日からずっと痛くて」
「おいおい、大丈夫なんかァ?」
その口ぶりには演技の欠片も見当たらない。ということは、本当に真子はなにも覚えていないらしい。寝ぼけていて、尚、あんな態度を見せてくれたのだろうか。だとすれば、その優しさが真子の持つ本質に思えて、つい口元がゆるんだ。
「ん…今はだいぶ落ち着いてるけど」
「そーか、そら良かったな。てかさっぱり要領得ぇへんねんけど」
「昨日はかなり痛みが酷くて、深夜にこっそりのたうちまわってたら」
真子が長い間お腹さすってくれたでしょう?そう呟くように言えば、一瞬の沈黙のあとに盛大な罵声が降ってきた。
「………アホか!!俺がそんなんするわけないやろ?」
「いやいや、」
「勝手にそない恥ずかしい事実を捏造すんなや、ボケ!」
そんなことを捏造して、私に何の得があるというのだろう。せいぜいこうやって罵倒されるのがオチだ。というか真子、恥ずかしいのか…。
「嘘ついてんのはこの口か!?」
ぷにぷにと引っ張られる頬に、鈍い痛みが走る。でも見慣れない真子のレアな照れ顔に、ついつい微笑みが漏れた。
ヒステリックな夜には抱いて不意打ちで照れさすなっちゅうねん…アホ。