インソムニア

 生きていれば驚くほど色んな目に遭うし、この世には信じられないくらい多種多様な人がいる。
「色んな人がいるよねー」は、もはやあきらめ混じりの慣用句。あのモンスターはホントに自分と同じホモサピエンスなのかと生物としての種別すら疑いたくなるような人もざらで「色んな人がいる」では慰めにもならない、そんな大失敗をして私は果てしなく凹んでいた。

「なんか喋れや」
「……」

 真子の声はぼんやり聞こえていたけれど、大失敗に気をとられてとても返事をするどころではなかったのだ。口をひらけば愚痴になりそうで、失敗は真子になんの関係もないことだから余計に。
 価値観の違い、なんて上辺の言葉では済ませられないとっちらかった事態に陥ることも往々にしてあるのは頭では分かっている。世の中には色んな人がいるのだから。

「おい」
「いまちょっと無理」
「お前黙っとると静かすぎて気持ち悪いやんけ」
「人をスイッチ捻ったら喋りはじめるラジオかなんかみたいに言わないで」
「辛気臭いやっちゃなァ」

 たとえば。性善説や性悪説のようなシンプルで確固とした思考に添ってすべてを割り切れたらどんなにラクだろうかと思ったりもするが、ただ憧れの眼差しで思想をなぞっているだけの私ではきっといつまで経っても割り切れずにもやもやとし続けるばかりなのだろう。
 まるで公式を前に使用法が分からず途方にくれる子供みたいなものだな。と大きなため息をついた。

「えらいデッカイため息つきよって」
「まあ、ね」

 いろいろあるんだよ私にも。
 ごたごたとうざったい理屈をこね回してみたところで、結局私はいま自分自身に絶望しているのである。おそろしく絶望している。なにをやっても裏目にでて、上手く事が運ばない原因はそもそもの自分自身にあったのだと気づいて地の底まで沈み込んでいる真っ最中。

「なんぞあったんか」
「なにかも何も、語り尽くせないくらいいろいろ。あげく複雑怪奇に糸を絡みつかせてしまってね。自分で」
「そんで解かれへんと藻掻いたすえに余計こんがらがって絶賛落ち込み中っちゅうワケやな」
「そんなとこ」

 呆れたように笑う真子にむかってもう一度ため息をついた。私のなかのあらゆるバッテリーが残量ゼロにかぎりなく近くなっていて、何一つうまく行きそうにない。
 なんとか這いあがろうにも足元はずるずるだし、余力もない。落ち込むこともたまにはあるけれど、どうやって今日まで生きてきたのか分からなくなるなんて、相当重症だと思う。このままでは自己嫌悪の海に溺れる、また不眠症になる。悪循環のループだ。
 どうにかリカバリーしなくては、と思った瞬間。勝手に口から問いがあふれでた。

「私の良いとこってどこなんだろ」
「あほか」
「あほなところ…」
「んなワケあるかい」

 まあアホなのは認めるけど。と思っていたら、真子はさっきの私に負けないくらい盛大なため息をはきだした。

「じゃあ、どこ。長所」

 なにかに必死で縋るように、もう一度問うた。

「そんなんひとつもあらへんわボケ」

 かえってきたのは、素っ気ないひとこと。ある意味、予想通りすぎる答えだと思った。
 こういう時に分かりやすくご機嫌をとったり、歯の浮くような台詞で慰めるのは一番真子らしくない。もしそんなことをされたら、私はさらに別の疑いで落ち込まなければならない。それくらい有り得ないことだった。

「朝は弱いし、風呂は長い。寝付きも悪うて、なんや悩み事あるといつまでも夜中ごそごそしよるからこっちまで寝られへん」
「…う、」
「無茶ばっかりしとるからすぐ肌ボロボロに荒れるし倒れるし、他人の目ェ気にしすぎてアホみたぁに無駄に疲れをしょい込みよるただのアホ女や」
「はあ」
「おまけに他人気にしとる割には情が薄うてアンバランスで見てられへん」

 良いところについて聞いたのに短所のオンパレードとはこれいかに。哀しいかな、ひとつも否定出来ないのだけれど。

「俺に言わせれば、お前自身のお前ってどこやねんって感じやで。八方美人も結構やけどなァ、いっつも作りモン晒しとったら、そら誤解も行き違いも起こって当然やん」
「…ん」
「あとになって幾ら嘆いたところで過去に戻れるワケやなし、たとえ過去に戻れたところで同じこと繰り返して同じ事態に陥るのがオチや。せやろ?」
「……」
「なんか文句でもあるんか」
「ありません」
「所詮お前なんてその程度や、アホ」

 おっしゃる通りだと思います。思いますが、短所のオンパレードに加えて今度はお説教スタートですか。とことん沈むところまで沈んでまえ、ということですか。
 なるほどたしかに一理ある。
 一理あるけど、切ないなあ。

「しゃーけどな、」

 そう言って真子はいったん言葉を切った。

「聞いてんか、ボケ」
「…聞いてる」

 乱暴な言葉遣いの男の人が苦手だった。苦手というより怖かった。なのにこの人の言葉だけは大丈夫なのが不可解だ。
 アホとかボケとか連発するし、お前って呼ぶし、いつも横暴で命令口調なのになぜだろう。ふつうに喋っていても怒っているように聞こえるその言葉は、いつも、いつもあたたかい。
 いまも、さんざん短所を列挙されてお説教されて、ちっとも優しい言葉なんてかけられていないのに、不思議とじわじわ癒されている。さっきまでの地の底を這うような落ち込みなんてどうでも良くなっている。

「しゃーけどな、短所を裏返したら長所っちゅうこっちゃ」

 嗚呼。そういうことだったのか、と思った。彼のさっきまでの暴言が、すとん、と心に落ちてきた。

「それで満足しとけや」
「…ん」
「ほんま面倒臭いやっちゃなあ」

 そう言いながら、傍にいてくれる人なのだ。面倒臭さも愚かしさもぜんぶ受け止めて、包み込んでしまうから。だから、いつまでもはなれられないのだ。

「お前は、そのままでええねん」

 いまの自分に一番必要なひとことはそれだったんだ。彼の広い背に抱き着くと、金色のなかに鼻をうずめた。


(今夜こそぐっすり眠れそう)
(それはどやろなァ)
(なにその不敵な笑み)


インソムニア
夜を泳ぐ。溺れる直前に見えたのはあなたの笑顔でした。
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