最終兵器、彼。

 昼間の気温は上がる一方で、まるで夏が自身の居場所を待ち焦がれているような6月だった。
 こんなに暑いとなにも考えられないしなにも考えたくなくてムダにいらいらする。まだ6月だよ、6月。なのに屋上に寝そべって長い足を投げ出した細いシルエットの彼は汗もかかず涼しげで、まるで君は何も考えなくていいよと許されている選ばれた特別な人みたいだからなんだか気にくわない。

「なんなのこれ、全く。神様の不公平っぷりにも程があるでしょ」

 理不尽な呟きだと自覚しながらこめかみにうっすら浮かぶ汗を拭う。
 ぎらつく太陽を受けて腹が立つくらいの眩しさをキラキラと垂れ流している色素の薄い髪に恨めしげな視線を送ってみても体感温度はまるでかわらないし。暑い。
 分かりきっているのに観察をやめられなくて、見ていたらますますあつくなって、おまけに考えたくもないことを考えてしまう私はほんとばかみたいで始末に負えない。ため息がでる。

「不公平ってなんや」
「公平じゃないこと」
「言葉の意味なんて聞いてへんわ」

 目の端に映り込んだ金色は私の気も知らず心にぐるぐると絡み付く。もつれて捩れる。だんだん息が苦しくなる。

「こっちの話」
「ほーか」
「うん」

 しずかに、しずかに、知らないうちに惜し気なく蔓延って気がついたらもうがんじがらめになっていた。まったく、この子はどこの育ち盛りの蔦だ。


「今日も暑いなァ」
「だね」

 遠くから授業の開始を伝えるチャイムの音が聞こえている。聞こえてはいるけれど動く気にはなれなくて、ここに当たり前の顔をしてただ居続けたいと思った。音も立てずしずかに進行していく夏をちゃんと味わいたかった。平子くんとふたりで。

 平子くんが眩しさを遮るようにさっと片手をかざす。その動作ひとつで彼は簡単に私をゆらす。指のすき間から透き通る双眸がこちらを見ている。

 キレイだと思う。
 平子くんの髪がきれいだ、指がきれいだ、手の甲に浮き出た筋がきれいだ、目がきれいだ、しなやかな足捌きがきれいだ。初めてみた瞬間からそう。

 ――きれい。

 単純な、あまりにも単純な形容詞なのに、出所がわからない。一体どこから生まれてきたんだろう。この言葉。
 きれいの概念なんていつ誰に教えられた訳でもないのに、勝手に芽生えて勝手に蔓延り勝手に私を食い尽くす。きれい、ってなに。ロジックもなにもあったもんじゃない。だってもう、息が苦しい。苦しいのに目がはなせない。

 ――平子真子は凶器だ。

 いっそのこと息を止めればいいんじゃないかと思った。息を止めたらむなもとの内側でなにかがカタチをもった。まるでわたしの中にはもともと平子くんが住んでいたような気がした。いつの間にか住み着いて、ほかのものの居場所を簡単に塗り替えて。
 ちがう。
 ほかのものの影にかくれて奥の奥に潜んでいたものが掘り返されてじわじわと姿を現した感じに近い。
 なんなの平子真子、まじでアンタいったい何者。私の何?


「そない見つめられたら穴開くわ」

 阿呆か、と呟きながら平子くんがゆるりと瞳を眇める。細めた片目に私が映っている。

「虚になってまうやんけ」
「……ホロウ?」

 耳慣れない単語に首を傾げる。

「こっちの話や」

 ニィッと楽しそうに唇を歪めて、平子くんの指がコツンと額を突いた瞬間に空気が薄くなった。吸い込んだ酸素がひゅうと音をたてて肺から漏れている。
 ホロウだかなんだか良く分からないけど、さっさと穴でもなんでもあけばいい。

 だって、

 私の胸は平子くんのせいでとっくに穴開きだ。
 勝手に住み着いて勝手に食い荒らして、涼しげな顔で四六時中私の目の前に居座って。

「どないしてん」

 どう、したんだろう。やわらかく力のぬけた低音がするすると耳たぶを掠めて落ちて行く。平子くんは声まできれい。と思ったら、目頭があつくなった。無理して眉間にシワを寄せたら頭がいたくなった。

「……べつに」

 本当にどうかしている。これじゃまるで私が、私が、
 どうした私。しっかりして私。

 そもそも、なんで彼をみたら反射的に「きれい」と思うのか、わからない。全然わからない。分からないのにやっぱりきれいだと思っている。
 ねえ神様、だいたいきれいってなんなの。ただ整ってるってだけじゃないの。なのになんでわたしの心、こんなに震えてるの。なんであの髪の毛になにもかも絡めとられそうな気がするんだろう。
 理屈なんてまったく分からないけれど脳のなかに最初から埋め込まれていた感覚のように、きれいが降ってくる。平子くんが私のなかに居座る。きれい。キレイ。起き上がる仕草も、裾から覗くくるぶしもきれい。


「もしもーし、アホみたいな顔になってはりますけどォ」

 ぽふぽふと頭を軽く叩かれただけで口元が緩むなんて。

「うるさいっ」
「そない怒りなや、」

 たったそれだけのことがこんなに嬉しいなんて。

「………」
「…な?」

 首を傾けたその姿に釘付けになって動けないなんて。

 たぶん。
 たぶん、最初からぜんぶ決まっていたことなんだ。
 平子くんの芸術的なうつくしさも、私がこうなることも、夏の暑さも。全部最初から決まってた。それだけのこと。

「怒って、ない」
「はいはい」

 くつくつと笑う彼の首筋で、白い咽がちいさく動いた――



最終兵器、彼。

どんな顔しとってもええで。
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2011.07.29
平子のきれいは理解不能ってことがわかっただけだった
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