素のボクら

 世の中に“色に惑わされる”という言葉があるのは知っているけれど、それは決してこういうことではないはずだ。色は色でも色事の色で、色彩の色ではないことなんて常識なのに、なんで私は。などと、どうでも良いことを、すっかり余裕のなくなった頭の片隅で考えていた。

「どないしたん」

 二人きりの寝屋で、こんなふうに私を追い詰めているのは自分のくせに、心配なんてすこしもしていない甘やかな声が鼓膜をなでて枷をする。私に。内側から。
 真っ白なシーツに薄い肌が溶ける。夜と混ざり合って色を変えたギンの髪が、誘うように闇のなかで光った。私の上から降り注ぐ、白銀の闇。

 もうすぐ。もうすぐあれが見られる。そして私は、やっぱり色に惑わされるのだ。ギンの、市丸隊長の、色に。

「今夜は趣向変えてみよか」
「……え?」
「ええ子にしといてや」

 頭のてっぺんに一度だけ慈しむようなキスを落として、戸惑う私に意味深な笑みを残すと彼は闇の奥へ消えてゆく。すっと、なにかを遮断するように締まる襖の音だけが、いつまでも耳にのこった。


 薄暗い部屋、ぽっかり虚空に浮かぶような布団のうえ。彼の温もりを失えばとたんに寒々しい。形をかえた空気が肌をすり抜けて、胸に穴をあける。鳥肌が立つ。
 あんなにつめたく尖って見える、不可解でおよそ得体のしれない市丸隊長にも、人らしい体温があったのだと、温かいのだと、こんなことでも気付かされる。

 知っている。本当は、とっくに。

 暗闇のなか、うずくまって自分で自分の両肩を抱きしめる。つめたく泡立つ肌が枷をされたまま彼を待っている。
 そっとくちびるに触れたら、さらさらに乾いていた。


「お待たせ」
「……隊長」

 音もなく。気配もなく。すぐそばに市丸隊長の体温があらわれる。背中から、そっと。

「あらら、呼び方戻ってしもたん」
「すみま…」
「謝らんかてええよ」
「………」

 隊長の顎がやわらかく肩に触れる。温かい、やっぱり。

「ほんまはな」
「はい」
「もうちょっと、観察してても良かったんに」
「いつ、から」

 キミが起き上がって両肩を抱くちょっと前からやったかなァ。言いながら、後ろからのびた腕が腰を抱く。やわらかい声が神経を搦めとる。また、市丸隊長につかまった。

「ほうり出されて傷ついた猫みたいで可愛かったで。ほんまに」
「ほうり出したのは、」
「ああ。ボクや」

 堪忍。そう言って隊長はいつも絶対的な力で私を捩じ伏せる。逃げられない。逃げる気なんて最初からこれっぽっちもないのに、逃げられないと思わせる声。

「お詫びに、後ろ向いてみ」
「………」

 おそるおそる振り返る私を見下ろしているのは、

 その髪と同色の細いフレームに縁取られた底の見えない双眸。

「なん、で」
「なんでて、キミの為や」

 執務をするときだけ、それもごく稀にしか見られない市丸隊長の眼鏡姿が、そこにあった。

「キミ、ボクのこの姿好きやろ」

 いつものように、ゆるりと持ち上がる薄いくちびる。不可解に閉じたままの瞳が、一枚の膜に隔てられている。それだけ。ただそれだけのことなのに、ぐら、と背骨の芯からふらつくような感覚が私を包み込む。

「……あの」
「ボクが気付いてへんとでも思たん」

 長い指が顎を掬う。

「市丸、隊長」
「ちゃうやろ?」
「え…?」
「呼 び か た」

 指さきがくちびるをなぞる。
 はやく、はやく呼べと私を急かす。

「ギン…」

 喉が渇いていた訳でもないのに名前を呼ぶ声はかさかさとかすれた。ずっと、ずいぶんと長い間、ギンを待っていた気がした。

「…ギン」

 月の光をうけて反射したレンズに、私の顔がゆがんで映っていた。透きとおるそのむこうに、ギンのもっと透きとおる瞳があった。射すくめるような目。
 あ、と息をのんだ。
 視線を逸らせなかった。

「よう出来ました」

 もうすぐ、あれが見られる。もうすぐあの色が。そう思っていた。普段はただするどくて静かなうすく澄んだ蒼の瞳、気持ちが高ぶると徐々に濃緋色にかわる深いふかい瞳。その色に夜ごと惑わされていた。
 そこに今夜は、もうひとつ色が加わるのだ。透明だけれど、確実になにかを変化させる色。それを想像すると、もう、どうしようもない気持ちになった。はやく、はやく、と声が出そうだった。

「ほな、ご褒美あげなあかんね」
「……ギン」
「なん?」

 なのに、碌な言葉はでてこない。
 ギン。あなたの瞳は、戦っているときと情事の最中、本当に神経が高ぶったときにだけその色が変わるんだって知ってる?ギン。私がとてもそれを好きだって。
 言いたいことはたくさんあるのに一つも言葉にならず、ただ名前だけを呼ぶ。

「ギン」
「そない喜んでくれるなんてボクも嬉しいわ」

 研ぎ澄まされた刃みたいな光が私の上で青くまたたいて赤く色づいて、深い深い緋色に染まって、そして、透明の膜をまとう。その繊細な膜のむこうから、本当のあなたが透ける。
 愛おしげに私を見下ろす、フィルター越しの視線。もしかしたら余計なものを加えると、隠された核心の部分がいっそうあらわになるのかもしれない。

「ギン」

 理性でおさえつけ、虚飾でいろどった、奥底にあるそれ。ずっとずっと奥底に、隠れて息をころしているそれ。
 さわがしい。私のなかがさわがしい。見せて、はやく、見せて。

「ギン」
「どないしたん」

 芸術品のようにきれいに生えそろった睫毛のしたで、あなたがもうすぐ生まれる。いつもいつも嘘のよろいをかぶった温かいあなた。だれよりも狡くてだれよりもやさしい、あなた。

 ふっ、吐き出された吐息がくちびるをなでて、吸いよせられた。心臓がきしんでいた。とびだしそうに。くるしい。

「…ぎ…ん」
「ほんまに、キミは。ボクを」

 どないするつもりや――
 聞こえないくらいかすかな、ありったけのため息を混ぜこんだようなひくい声が、夜の闇に縫いとられて消えてゆく。

 ほら。
 今夜もまた、色に惑わされる。



素のボクら

せっかくのご褒美 ゆっくり堪能してや
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2011.12.13
市丸隊長の戦闘イメージはセックス、らしいですよ。久保せんせー談
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