酸素が足りない!

 不意打ちで名前を呼ばれて、変な声が出てしまった理由についてはあんまり触れてほしくないから、酸素を飲み込んで出来るだけ感情を圧し殺した。

「なに」
「なんやその声」
「いや、びっくりしたから」
「なんでやねん」

 触れてほしくないのに、「びっくりした」というぼんやりした理由では平子くんは許してくれないらしい。そんな変な声だったかなあ、変な声だったよね、うん。自覚あるけど。でもね、さらっと流すスキルはこういう時にこそ発揮するべきだよ平子くん。

「なぜ、って……私はそもそも不意打ちが苦手、かつ、名前を呼び捨てで呼ばれるのも非常に苦手だと常々申し上げているはずですがあなたの耳は飾りですかそれともあなたの脳が飾りですか」
「どっちもちゃうわ」
「じゃあなに」

 声をかけられる直前まで脳内で繰り広げていた口元ゆるゆるになりそうな妄想をむりやり中断させられた不機嫌さ全開の声で問い返す。
 そう。妄想の真っ只中にいたのです、ついさっきまで。そんな最中にやたらといい声で名前を呼ばれて、ちょっと、いやだいぶ動揺しているのですよ私は。頭のなかを覗かれたわけではないのだけれど何となく後ろめたいのです。後ろめたいから、攻撃的になるような、そんな分かりやすくひねくれた思考回路の持ち主なんですごめんなさい。

「そない噛みつくなや」
「噛みついてない」

 くちびるの歪んだ私の顔はきっとものすごく不細工にみえているのだろう。平子くんはすうっと眉間にシワを寄せる。あ、いい顔。
 イケメンは苦々しい顔をしてこそ一層美しさが際立つものだ、という持論を改めてかみしめていたら、また口元がゆるみそうになった。

「いやな。お前の顔みてたら、つい」
「つい、何?」
「こっちの世界に早よ引き戻したらなエライとこ行ってまいよるわ、思てな」

 眉間にシワを寄せたまま、平子くんのくちびるが片方だけ持ち上がる。意地悪そうなその表情はなおさらいい、と思った。

「なにそれ」とつっかかってみるけれど平子くんの言うことは正しい。確かに私さっきだいぶ遠いところまで旅立ってた。帰ってきたくないとすら思ってた。

「にしても、ひどい百面相やったで」
「……」

 いい顔でなんてこと言うの。人が楽しい世界に浸っている顔をみて、ひどいなんて言うあなたのほうがひどい。見るなバカ。変態。
 なんてことを面と向かって言える訳もないからためいきを吐き出して、胸の辺りにつかえたものをほんの少しだけ薄める。酸素がうすい。

「そんなに?」
「………」
「え、言葉にできないくらい?」
「……………」

 返ってこない返事のせいで落ち着かない。
 いったい私はどんな顔をしていたんだろう、どんだけ恥ずかしい顔を晒していたんだろう、なんで私妄想にどっぷり浸ったりしたんだろうバカじゃないの。
 煩悩まみれのだらしない顔を平子くんに見られてしまったなんてなんかもう死にたい。記憶を上書きさせてほしい。いますぐその映像塗りつぶしてしまいたい。忘れろ!忘れてくれるなら私なんでもするよ。

「う、あの、頭思いきりどついてみたりなんかしちゃってもいいですか」
「なんでやねん!」
「記憶喪失希望、というかなんというか」
「無理やな」
「な、なんで!?」

 ニヤニヤと笑う顔が憎らしいくらいカッコいいから余計に憎らしい。憎らしくて愛おしい。愛しいと憎らしいは似ている。

「ばっちり永久保存や」
「…、 ?」
「撮ってもうたからなあ、写真」
「なにそれ!ばか!消して!」
「却下」
「やだ、なんで そんな」

 泣きそうな声で責め募ったら、今日いちばんのあざやかな笑みを浮かべて平子くんは言った。

「勿体ないやん」
「え」

 それはどういう意味ですか。これから毎度会うたびにその恥ずかしい画像持ち出して私を思う存分にからかっていたぶってやろうとかそういうことですか。泣いてもいいですか。

「可愛ええから消せん」
「…は?」

 思いがけない台詞に、一瞬心臓が止まった。かと思ったら、かつてない勢いで脈打ちはじめてなにがなんだかよくわからない。にやついた表情のまま手のひらの画面に見入っている平子くんの横顔がやけにきれいで、ますます息苦しい。カラダ全体に張ったうすい膜がぐんぐん温度をあげていく。

「あない溶けそうな眼で、いったいなにを考えてはったんですかァ?正直、ちょっと妬けたわ」
「いやいや」
「白状せえ」

 むりむりむりむりむり。


酸素が足りない!
私を憤死させる気か。
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20130430
いじめっ子平子
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