呑み込む

 そういう人だった。
 はじめからずっと、そういう人だったじゃないか。わかっていて、それでも近づいたのは私。

 至近距離で鼻先を掠めて揺れる金髪を目で追いながら、喉の奥でためいきをかみ殺す。「あれは誰?あの女の子は誰?」聞けないくちびるの輪郭を、やわらかな感触がなぞっている。そっと腰に回された腕がやさしい。
 誰にでもやさしい。彼は誰にでも優しい。乱暴な言葉を吐きながらやさしくされるのが、受け手の側にどんな感情を生み出すのか、彼は知っているのだろうか。
 彼はやさしい。誰にでも。誰にでもやさしいのは、誰にも優しくないのと同じだ。さっき頭をなでていた見知らぬ女の子と私との間には、なんの差もないということ。
 かすかな吐息の乱れを見咎められて、鋭い瞳はより鋭く光を増す。鋭く光って澄んでいる。
 騙された、というならば、騙されることを選んだのは私自身で、騙されたいと思わされてしまったのも私自身で。騙されたくて騙された。

「文句でも、あるんか」

 ない。
 そんな短い否定の言葉も発する余裕を与えずに、物言いたげな舌が台詞をすべて奪い去る。ざらついた質感のなか、硬質な一点からつたわる熱が背筋をぞわりとはいあがる。

「文句あるんなら 言うてみい」

 そう言いながら薄いくちびるの端をゆるく持ち上げる彼は、私が文句など言えないことなんてすべて見通しているのだ。それを知っていて反論すらさせてもらえないことを嬉しいと思うなんて。疑いのちいさな種すら芽吹く前に摘み取られるのが嬉しいなんて。
 ニッと笑ったくちびるの奥に、きらきら光る金属片が見えた。
 服をつかんだ指先に、反射的に力がこもる。勢い余って皮膚の表面を抓ってしまったのか、彼の肩がかるく揺れた。

「口で言われへんから、行動で示そうとしてんか」
「ちがう」
「どない違うねん」

 ちがうのだ。
 なにも着けていない身体の表面に、なにかたったひとつだけ、しるしのようなものがあるのは、ごちゃごちゃとたくさんの装飾品で飾りたてるよりもずっと心に引っ掛かる。それだけのこと。
 そこを、どうしても見なければならないような気にさせられる。気がついたら既に見ている。見てしまう。目が勝手に注意を引かれている。
 平子くんの舌をそっと飾っているピアスがまさにそれ。さっきの不敵な笑顔は、きっとわざとだ。わざと私に見せようとしたのだ。何が人の心を引っ掻くのか、それを知っているひとのやり口。

「……」
「言われへんのか」

 言葉は聞こえていた。聞こえる言葉の隙間からちらつくピアスを見ていた。黙ったまま、呆けたように。
 めくれたり、目を奪ったり、隠れたり。ちらちらと見え隠れするそれを、無意識で追いかけながら、気持ちがぶわっと広がって胸の膜を内側からぎゅうぎゅう押し広げられる。増幅して、いまにも漏れだしそうなそれは、たぶん名前をつけるとしたら興奮という種類の感情なのだろうな、と思う。思っているうちに、さっきまでの不穏な感情は消え去っている。消し去られた。消さざるを得ないところへ押しやられた。消してもらった。

 ああ、狡いなあ。
 この人は本当に狡い。

 彼はそういう人。
 都合の悪いことはみんな、みんな、くちびるでふさいで呑み込んでしまうような、そんな。

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2012.10.25
5周年ありがとうございます
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