百年の孤独

「百年…」

 口に出して、言ってみる。百年。
 たった一、二秒で発音できてしまうその言葉は、短い単語とは裏腹に、気が遠くなるような長いながい時間を孕んでいる。
 百年。
 さっきから、今までのわずか二時間で私がしたことに思いを馳せて、その12倍の365倍のさらに100倍の時間でいったい何ができるのだろうと考えたら、なんでも出来るような気がした。
 なんでも、できる。できてしまう。
 たとえば一人の人間の中身をそっくりすべて別のものに入れ替えてしまうことだって、できるのかもしれない。平子隊長の中身は、もしかしたら既に百年前とはまったく違うものになっていて、彼は彼の形をしただけの別の誰か、なのかもしれない。
 百年前の記憶よりずいぶんと短くなった金髪に、さらさらと指を通しながら、そんなことを思う。
 膝の上ですっかり警戒心をなくした子供のようにやすらかな寝息を立てている金髪のぬくもりがじんわりと肌に沁み渡る。これは、このぬくもりは、百年前の彼のものと同じだろうか。あどけなく開いた口から、やわらかい息が漏れている。規則正しく、心臓の動きに合わせて、ゆるやかに。

「百年…か」

 もういちど呟いたのと同時に平子隊長が寝返りをうつ。まだ見慣れない 斜めに角度をえがく前髪のラインが、あざわらうように心臓の表面を薄く剥いだ。
 まだ、慣れない。
 斜めのラインに慣れることができない。
 奇を衒うような、そんな、たったひとつのラインにざわざわと心が騒ぐ。ただの前髪なのに。現世ではごく普通のもの、なのかもしれないのに。ジャキリ、と一太刀。鋏を入れてしまえばあっけなく消えてしまうような、それが、私の心を騒がせる。彼が彼でなくなったような、そんな錯覚に陥らせる。騒ぎたくない。彼が、もう、傍にいるというのに、私はこれ以上騒ぎたくない。安らげ私の心臓。百年の空白を断ち切れ。
 断ち切れ。
 断ち切る。断つ。
 断てばいい。
 断てばいいんだよ、断てば。

「断ってやる」

 思いついたとたんに、それしかないと思った。そうっと膝の上の頭を片手で支えたまま、文机の上に手を伸ばす。軽い、頭。そこから繋がる前髪が、重力に従ってさらり、揺れた。揺れて、私の心をざわざわと撫でた。
 切らなくちゃ、と思った。今すぐ彼の前髪を切らなくちゃ。文机の上にはまるで私の行動を先読みしたかのように鋏が、出しっぱなしになっている。つめたい、その金属片に指が触れた。つめたい。右手に触れるあたたかい熱と、左手で感じている冷たさ。温度差が両端から同時に届いて、胸の真ん中で絡まり合う。絡まり合ってゼロになる。ゼロになって無温の心臓が、やっぱりざわざわと震えている。

「元にもどそう、ね」

 元にもどれ。隊長の風貌がもとに戻れば私は少し落ちつくはずだ。物理的に戻すことが可能なのだから、戻してしまえ。パッツン前髪の、あのころの彼に。
 そっと頭を膝上ポジションにもどして、右手にしっかりと鋏を握りなおす。シャキン、と一度空で鋏を動かしてみたら、胸の奥のわだかまりが少しだけ軽くなった、気がした。シャキン。シャキン。金属と金属の触れ合う音が、一度ごとに自分のなにかを軽くする。
 カタチよい頭をさりげなく覆う金髪が、私の心を騒がせているのだとしたら。斜めの前髪が、私を必要以上にざわつかせる正体の大元なのだとしたら。切ればいい。切ってしまえ。
 刃先を平子隊長のおでこに近づけて、真っ直ぐラインのパッツン前髪の予備動作。シャキン。
 よし。これでいい。おでこだけが隠れるぎりぎりラインで眉上真っ直ぐのパッツンライン。想像のなかの平子隊長が、すこしだけ百年前に近づいた。よし。

「いざ、」

 断つ!
 待ってろ在りし日の平子隊長!

「覚悟」

 そっと鋏をそえる。彼は微動だにしない。慎重に、慎重に真っ直ぐラインになるように持った鋏の角度調整をしつつ、彼がまだ寝ていることを確認しようと瞳を覗きこんだら、ぱち。色素の薄い目とばっちり視線がかち合った。

「せえへんわ」
「うあわあああああ」

 驚きすぎて誤操作をしそうになった鋏を、伸びてきた長い指にあっさり奪われる。なにこのさりげなく素早く最適な問題解決策をとる能力に長けてる人、まるで百年前の隊長と一緒じゃないか。私のたくらみなんて、これでもう終わり。
 終わった。終了。どぼん。

「何を変な声出しとんねんお前は」
「ね、寝て、寝てらしたのでは」
「なんや変なことたくらんではる気配をそないビンビンに垂れ流されたら寝てる子も起きてまうっちゅうねん。おかしな色の霊圧垂れ流し放題やんけ」

 にぃっと唇を持ち上げた隊長の口内に、もうひとつ。見慣れない、あれ。
 あれが、また、私をざわつかせる。
 目立たないようにそっと、舌に乗っかったピアス。
 身体の表面に、たったひとつ。小さな金属片がたった一つだけ。ごちゃごちゃとたくさんの装飾品で飾りたてるよりも、たった一つだけのそれの方がずっと効果的なのだと隊長はご存じないのですか。それともご存じだからわざと、そうして見せていらっしゃるのですか。ああ、後者ですね。私はあなたの思うままに踊らされてしまう人形のようなものなんだ。踊らされて見抜かれて、そして。ああ。

「たくらみなど、何も」
「してへんわけないやろボケェ」

 しるしが、また、チラリと見えた。たったひとつの、しるし。それが引っ掛かる。心の一番やわらかくて弱いところを引っ掻く。容赦なく引っ掻く。
 いつも引っ掛かる。例外なくやられる。そこを、どうしても見なければならないような気にさせる。気がついたら既に見ている。見てしまう。目が勝手に吸い寄せられている。
 平子隊長の舌をそっと飾っているピアス。ピアスが心を引っ掻く。痕をつける。平子隊長の、痕。

「いえ、私はただ」
「ただ何やねん。ただ、で鋏向けられる俺の身にもなってみい」

 喋るたび、翻弄するようにちらちらと見え隠れするそれを、無意識で追いかけながら、引っ掻かれた気持ちがぶわっと広がる。胸の膜を内側からぎゅうぎゅう押し広げられる、増幅する。いまにも漏れだしそうになる。ざわり、ざわり。ざわつかされている。いやだ。これ以上は、いやだ。

「だって」
「ん?言うてみ」
「……」

「聞いたるから」と言いながら平子隊長の腕が私の方へ伸びてくる。百年前と同じ温度で頬をなでる。百年前と同じ声が、私の名前を呼ぶ。呼ばれたら、嬉しくて、なぜかもっとざわついた。うれしい。
 さっきまでいやだ、と思っていたのに、なぜかもっとざわつかされたくなった。

「何しようとしてはったんですかァ」
「まず、前髪を断つ」
「なんで!?」
「私の迷いを断つため」
「なんでお前の迷いのために俺の超イケてる前髪くんがたった数週間で命を失うような犠牲負わなあかんねん。ぜんぜん意味わからへんわヤメテ」
「うーん…どうしようかな」
「悩むなアホ。やめろ」
「ええぇー」
「やめなさい。やめてください」
「もう一声」
「ヤメテクダサイお願いします」

 棒読みの口調。バカバカしいやり取り。ああ、平子隊長だ。
 やわらかくざわつかせるこの感じ、間違いなく彼だ。あのころの彼のまま。思えばこんな、意味のないどうでもいいばかばかしいやり取りが好きだった。いまも好き。

「仕方ないなあ、もう」
「なんで俺が聞き分けのないガキみたいな扱いになっとんねん それオカシイやろ」
「そうですか?」
「そーです。で、どないすんねん」
「切っちゃってもいいんですか?」
「あかんわ、ハゲ」
「ハゲるほどに切ってほしいと」
「ちゃう!違いますヤメテクダサイお願い頼む」
「やめます。やめました」

 空気をすこしだけ含んだやさしい響きが、もう一度私の名を綴る。名前の合間にちらりと見えたピアスが絡まり合う。ピアスと融合した自分の名前が、聞いたこともないようなあたたかい音になって鼓膜の奥に染み込む。
 じゅわり、染み込んで、うっすらと肌が泡立つ。

「どうせ断つんやったら、己の疑いを断て」
「隊長…」

 ほら、やっぱり平子隊長はなんでもお見通しだ。
 斜めの前髪や舌ピアス、見慣れない彼の姿にまつわる私の不安も、百年前からきっとお見通し。見通したうえで、あえてこんな姿を見せている。こんな姿を見せて、斜めの前髪で私を掻き乱して、より一層心の奥深くに根を張る。蔓延る。決して彼を消せなくなる。

「百年前とずーっと同じ恰好しとるなんて俺のファッションリーダーとしてのプライドが許さへんやろ。オシャレサン超上級者としては絶対に許されへんっちゅう、それだけや。早よお前のなかのNEO平子隊長像を上書きせえ」
「ですよね」

 久しぶりに聞いた「オシャレサン」なんていうふざけた単語に、途方もなく癒されながら、きっとまた、今の自分は彼の思い通りに操られる人形になっているのだろうな、と思う。そのことをなによりも幸せに感じる。彼の予想通りの反応を示すことにしあわせを感じる。彼に操られる、ということは、彼が操りたいと思ってくれているということ。私はまだ、彼が操る価値のある存在。つまりは、認められている。必要、とされている。
 変わらない。変わったけれど、変わらない。
 彼が、生きて、ここにいる。
 同じ言葉を同じ温度で同じように繰り出せる人なんて、この世にふたりといるはずがない。いる、はずがないのだ。斜め前髪の隙間から届く 薄くて深い色の視線も、頬をなで続ける指先から滲み出る かぎりない慈愛も、私の名を呼ぶ溶けそうにやさしいその声も、どこにもない、彼だけのもの。世界中、宇宙中探したってどこにも見つからない、彼。その彼が、生きてここに、自分の傍にいる。
 頬からするりと伸びて首筋をとらえた腕に、不意に引き寄せられる。平子隊長の匂いにつつまれて少しだけむせる。息が苦しくなる。ちらりと舌ピアスを覗き見たときよりももっと息苦しい。斜め前髪の隙間から瞳を捕まえられたときよりももっとずっと息苦しい。心臓がぎゅうぎゅうと潰されて、むせび泣きたくなるような気持ちが、湧き上がる。押し付けられた広い胸からは、百年前とかわりない心臓の鼓動が聞こえている。

「たまには刺激も必要、やろ?」
「ほどほどでお願いします」

 香り。ぬくもり。肌の感触。
 こうして彼のあたたかな腕に囚われれば、百年分の不足は一瞬で埋まるのだ。


百年の孤独
(いろいろとおたがいさま)
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2013.10.30 mims
じつは彼女の興味を自分に繋ぎとめるのに必死で、あれこれ画策&セルフプロデュースに余念がない平子隊長(つまりは無意識の彼女に操られっぱなしな彼)、とかどうですか

G・ガルシア=マルケスとは全くなんの関係もありません 
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