横暴なあなた
朝の執務室でもくもくと書類にむかっていたら、ごつん、鈍い音に続いてやわらかな挨拶が聞こえた。
「おはようさん」
ゆるく間延びしたようにしか聞こえないのに、そのずっと奥にはぴんとはりつめたものを上手に隠している。そんな声。いつもの平子隊長の声だ。
反射的に書類処理の手をとめ、挨拶をかえしつつ顔をあげる。
「おはようござ、」
!!?
目の前の平子隊長にまといつく違和感。
その姿は予想外で、あまりに衝撃的だったから。目をみひらいたまま、固まった。
「なに中途半端なとこで挨拶とめとんねん」
額をさすりながらこちらを見下ろす隊長から、目をはなせない。あ、の形で開きっぱなしの口は、きっと間抜けに違いないけれど。目に映る彼の姿に、どうしようもなく息を飲む。
喉のおくが、ひゅう、と渇いた音をたてた。
なにあれ、なにあれ!
「おい、聞いてんのか」
「や、」
てっきり、いつもの隊長の姿がそこにあると思っていたのに。
なんなんですか、その、素晴らしすぎるオプション仕様は。乙女の夢ですか。
形にしてみれば、些細な変化にすぎない。だけど、わずかな変化が恐ろしいほどの威力を発揮していた。
「おはようさん」
もう一度やわらかい声で告げて、隊長はずるずると椅子を引き寄せる。私の執務机のそばまで移動させると、無言のまま真向かいに腰をおろした。机に肘をついて、こちらを見ている。額がちかい。
かすかにちらつく額の下、斜めの前髪に連なって白い生地が覗いていた。
ちいさな四角い白――眼帯。
きらきらの斜め前髪だけでも、いまだに慣れなくて。見るたびに胸がさわぐのに、それに加えて眼帯って。あまりに狙いすぎというかなんというか。これは、お顔に相当自信のある人にしか出来ない芸当だと思った。
なぜ今日に限ってそんなに近くへ座るんですか。どうしてそんな恰好をしているんですか。見せつけるようなその視線はなんですか。
聞きたいことは山ほど浮かんでくるのに、口を開けばため息がもれそうで、黙りこんだまま視線を外せない。心臓が、ばかみたいに跳ねている。
片目で私を凝視しているせいだろうか、負荷のかかった瞳にはうっすら涙の膜が張っている。しっとりぬれた長い睫毛が、一層 胸に迫った。
平子隊長、その眼帯姿おそろしくお似合いです。格好いいです。口にしたらますます調子にのりそうなので言いませんけど。絶対に言ってあげませんけど。
「なんや、アホみたいな顔なってんで」
そう言いながら、すこしだけ隊長はこちらへ顔を寄せる。前髪がゆれて、くっきり眼帯が見えた。
なんなの、それ。ほんと、なんなの。しっくり似合いすぎてて心臓に悪いです。
ちいさな白片に弾かれるように後ろへ身を引いて、呼吸を整える。ゆっくり深呼吸して、背筋を伸ばした。
「なに逃げとんねん」
「い、え。おはよう ごさい ます」
「ああ。お疲れさん」
ふっ、と口角を上げて隊長が笑う。眼帯がほんのすこしだけ持ち上がる。
眼帯――物理的には、ただの四角い布だ。
ただの布、なのに。
平子隊長に眼帯が加わると、なんでこんなに破壊力がでかいのだろう。自覚していなかったけれど、私はもしかしたら眼帯フェチなのだろうか。
それにしては、更木隊長を見ても心がこんな風に動いたこと、ないな。
「どう、なさったんですか」
「さっき、そこで執務室の扉と喧嘩してん」
たんこぶ出来るんちゃうかな。言いながら、ふたたび隊長が額をさする。
いやいや
私が聞きたいのはそういうことではなくて、その、片目を覆う小さな布片のことなんですけど。
「ほんま痛いっちゅうねん ボケ」と続けて、隊長が斜めに切り揃えられた前髪を無造作に持ち上げた。さらり、なびいた髪の隙間、額の一部がほんのり赤くなっている。
さきほど ごつん、と ひびいた鈍音は、隊長がぶつかったせいなのか。なるほど。痛そうな音だった。冷静に状況を整理する一方で、ひどく胸がいたい。
私の動揺に気付いているのかいないのか、「ほら見てみィ」なんて言いながら額をむき出しにした隊長がまた近づく。近い。近すぎる。
「赤くなってますけど」
「やっぱりな。男前台無しやんけ」
「……」
すう、と眇めた瞳が私を見ている。淡く澄んでいるのに深いふかい色。そんなに凝らして、いったい何を見ようとしているんだろう。なにが見えるんだろう。
「片目になると、途端に視界ワルなんねんな」
見えなければいい。隠した動揺が。狭まる視界に飲み込まれて、見えなくなってしまえば。
「そう、ですね」
「見えへんし格好悪いし勘弁してくれっちゅうねん」
身に覚えは、ある。距離感がつかめなくて、バランス感覚も失われる。片目ばかりを酷使して、視力は損なわれる。焦点の合わない視点では、いろんなものが狂うのだ。平子隊長のような人でも、それは同じなのだなあと思ったら、ふしぎとすこし安堵した。
「嫌わんとってや」
嫌いに、なるわけがない。なれない。ならないけれど、
「いえ。私がお聞きしたいのは、その目の」
「ああ、これな。更に男前台無しやで」
「……」
「ほんまいくら俺が男前やからゆうて、神様も意地悪しすぎちゃう?」
不遜な言葉を聞きながら、平子隊長はもうすこし台無しになるべきだ、と思った。
台無しになってしまえばいい。
でないと、私の寿命が縮んで仕方ないから。
「めばちこ」
「?」
唐突に告げられた聞きなれぬ単語に、首を傾げる。
「めばちこ、出来てん」
「メバ チコ?」
「ものもらいのことや」
「ああ、それで」
なるほど眼帯にはそういう意味があったのか、と頷いてもう一度じっくり平子隊長の顔を観察する。
きらきらの金髪に、斜めカットの前髪。真っ白な眼帯が、色素の薄い肌をより白くみせている。片方が隠れると、見えているもう一方の瞳のパーツとしての美しさが強調されて、この人がほんとうに整った顔立ちをしていることに気づかされる。
それにしても、顔面上部にオプション詰め込みすぎじゃないですか。
そんなにデコラティブな非日常仕様、あなたくらいじゃないときっと様になりませんよ。そう思いつつため息をついたら、いつもよりすこしだけ低い声が問うた。
「変か?」
「いえ、そんなことは」
否定すれば、にっと口角が持ち上がる。
「せやろ」
「……」
「自分でも結構イケてると思ててん」
「まあ、」
たしかに、隊長の格好よさを改めて刻みつけられた気になったけど。
だけど。なんでそんなにも得意げなんですか。
その自信満々っぷりはどうかと思います。
だいたいその斜めの前髪もどうかと思いますよ、似合ってますけど。舌にはピアスつけてるし、おまけに首元のそれなんなんですか。ギャグ漫画ですか。スカーフかネクタイかはっきりしてください。というより素肌に直接巻くのやめてください。更に眼帯って、どこまで非日常仕様突き進む気ですか。そんだけいろいろ血迷ったオプション追加しても格好いいって、どんだけ素がイケてるんですか。私の寿命をどれだけ縮めれば気が済むんですか。殺す気ですか。
脳内で、言えもしない批判の言葉をあげ連ねていると、ますます平子隊長の素材としてのパーフェクトっぷりが際立つようでだんだん腹が立ってきた。
「似合てるやろ」
「ソウデスネ」
「なんやそのカタコト」
たいして気にも留めない様子で言うと、隊長は肩を竦める。
そんな仕草すらさまになっているのが、口惜しい。
それを見て波立つ自分の心は、もっと悔しい。
「お大事になさってください」
「せやな」
おおきに。と言いながら、平子隊長がひときわ私に近づく。
額どうしがふれそうに、近く。
隊長。それは、流石に、
「ち、近すぎます」
「ほんま距離感つかまれへんわァ」
鼻先を吐息がなでる。前髪がゆれる。ほんとうか嘘かわからないその言葉に、私の心もゆれた。
「嘘、だ」
「嘘ちゃうて。しゃーから、」
横暴なあなた(またどっかぶつけたアカンし、一日俺の手ェ引いて歩いてくれ)
それどんなバカップル。
やっぱり平子隊長は私をころすきだ。