so sad

 いつだって、ただ静かに寄り添いたいと思っているだけなのに、どうしてこんなに現実はうまく行かないんだろう。

 背中合わせで互いにそっぽを向いたまま眠れずに、数分。時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。きっと真子もまだ眠ってはいない。ふたり暗闇で息を殺して、次の言葉を必死で探していた。
 小さく身じろぎするたび、体温が伝わる。続く無言はじわじわと心を押し潰して、呼吸をするのも苦しい。売り言葉に買い言葉。そんな単純なことでは済まされない空気が、いつの間にか部屋いっぱいに広がって。言葉の代わりにそっと吐き出した息は、重たく澱む。
 先に沈黙を破ったのは、彼だった。

「なにため息ついとんねん」
「別に」
「嘘つくなや」
「………」
「言いたいことあんねやったらはっきり言えっちゅうねん」

 わざとらしく盛大に吐き出されたため息と、棘のある言葉。それを聞いた瞬間、私の中でなにかのスイッチが入る。

「真子がこんな人だとは思わなかった」
「俺かてお前がそない頭悪いて知らんかったわ」

 さっきから何度も繰り返した言葉を再び蒸し返して、それで何になる訳でもないのは自分が一番よくわかっている。事態は好転する気配もない。めんどくさい、と簡単に投げ出すわけにはいかないのに、これ以上続けば投げ出してしまった方がラクな気がしてくる。
 すべてを投げ捨てたくなるのは、判断力が薄れてきた証拠だ。


「出ていけや」
「……」

 いつもより低い真子の声。
 先に投げ捨ててしまったのも、彼だった。

 そもそも、なにがきっかけでこんな風にこじれてしまったのかも、もう、思い出せない。忘れてしまった。それくらい、長い時間が過ぎたということなのか、それとも、忘れてしまえるくらい下らないことだったのかはわからないけれど。

「文句でもあんのか」
「ある」
「文句言うやつなんて要らんねん。出ていけ」

 なんて理不尽なんだろう。いくらでも溢れそうな文句は、そんなふうに言われてしまえばひとつも言葉にできなくなる。結局私は、彼に弱いのだ。

「文句あんのか」
「ない」
「ほな出ていけ」

 だから、ぜんぶ噛み殺してさっきとは逆の返事をした。いまの私にできる、精一杯の譲歩だった。
 なのに帰ってきた言葉はさっきと同じだなんて。

「なんで」
「出ていけ、っちゅう命令に文句ないんやろ?」
「う、ん」
「ほな出てったらええやんけ」

 ただの屁理屈を主張しているだけのくせに、一度口にしたらこの男は絶対に曲げようとしない。そんな筋なら通さなければいいのに。

「やっぱり文句ある」
「文句言うやつは要らんから出ていけ」

 予想通りの答えが返ってきて、ためいきが出た。
 文句があると言っても、文句はないと言っても、どちらにしろ彼の理屈で捻じ曲げられて私は出ていかなければならないことになってしまう。なんてバカバカしいやり取りだろう。

「なにそれ。どっちにしろ出ていけってこと?ひどい」
「ひどい男から 早よ逃げてまえ」
「やだ逃げない」
「ひどいことされたいんか」
「それもやだ」
「どないやねん」

 不毛すぎて、言葉をなくす。
 どないやねん、って言いたいのは私のほうなのに。いつだって、ただ静かに寄り添いたいと思っているだけなのに。
 どうして現実は、こんなにもうまく行かないんだろう。

 ほんと、もう、やだなあ――と思った瞬間。彼が何度目かもわからない「出ていけ」を口にして。胸にあいた風穴を、ひゅう、とつめたいものが通り抜けた。

 ほんと、もう、やだ。



「やっぱり、」

 出ていきますさよなら。衝動的に呟いて、布団から抜け出す。彼のほうは一度も見ずに。背中を向けたままで。
 軋むベッドのスプリングが、胸のうちがわの軋みに重なる。

「清々するわ」という真子の声がやけに滲んで聞こえた。



 流れでベッドを抜け出してはみたけれど、こんな深夜に行くあてなんて一つも浮かばない。
 すこし目の慣れた暗闇のなか、手探りで荷物をまとめながら考える。どこに行くつもりなんだろう私。なんでこんなことになっているんだろう。どうやって収拾をつけるつもりなんだろう。私は。彼、は。どうやって。

 いっそのこと。
 機械になりたいなあ。感情のひとつもない機械。
 なにをどう悩んでいるのかも解らなくて脳みそのなかをやみくもに検索しまくっては最終的に疲れはてて途方に暮れるような、そんな時間をすごすくらいなら機械になりたい。
 なにが問題で、どうすれば解決できるのか。その選択に何の感情も交えず、絶対的ロジックに従って正しいと導き出された答えを単純に追いかけるだけの機械に。
 機械ならば、どんな答えを出すのかな。


 背後のベッドで、真子の気配。口を開こうとしてためらって、深く息を吸い込む音。
 夜の闇は、しずかで、やさしくて。伝わってほしくない余計なものまで伝えてしまう。彼の吸い込んだ息が、細く吐き出される音を聞いていたら、ああ、困惑しているのは私だけではないのだ、と思った。
 彼のためらいが、私の心のなかの澱みをじわじわと沈殿させている。上澄みが透き通って少しずつやわらかい気持ちになる。


「ほんまに、それでええねんな?」
「……」

 この人は、自分からは引けない人。そんな子供みたいなところのある人なのだ。知っているから、なにも言わない。
 どちらにしたって出て行って欲しい、と言ったのは真子のほうでしょう。さっきその口でそう言ったくせに。あの一瞬は本気で、そう思っていたくせに。私に選択権なんてくれなかったくせに。

「ええんか」

 答えずにいたら、もう一度問われた。
 声がずいぶん頼りない。台詞にじんわり滲む、弱々しさはなに。懇願するような、その声色はなに。

 そんな力ない声を出すくらいなら、さっさと引きとめればいい。
 謝って、私の腕を無理やりにでも引けばいい。
 そうすれば、すぐに振り返るのに。すぐさま、その胸のなかへ飛び込んであげるのに。

「ほんまに、」
「……」
「泣いて帰ってきたい言うて縋っても家入れたれへんで」
「……」
「謝ったって絶対許したれへんからな」

 ほんまやからな、と真子が続ける。
 ほんまや、と主張するたびに彼の内側にある逆の心情が炙り出される。そんなふうに感じるのは、きっと気のせいではない。
 本当は彼だって反省しているくせにどうしても謝罪の言葉を発することができなくて、真逆のことばかり口走っては「なにやっとんねん俺」って心の中で頭をかかえつつも乱暴なセリフを止められず吐き続けているに違いない。そんな真子のことが可愛くて、どこぞの子供に「ごめんなさい」のやり方を教わって来なさいって言いたくなる。言えば彼はもっと意地になるだけだから、と黙りこめば、閉じた口元はゆるんだ。ほんと可愛い。
 結局のところ、どうしたって、何を言われたって彼を嫌いにはなれないらしい。
 私も甘いなあ。


「お前がどっかで野たれ死んだって知らん、」

 俺にはもう関係あれへんし――強気なセリフを吐くその声が、いまにも泣きそうに震えているから。
 きっと背中のむこうで、彼は情けなさそうに眉をさげ、肩を落としているに違いないから。
 ふっ、とためいきをひとつ。


「なんやねん」
「仕方ないから一緒にいてあげる」

 そう言って振り返ると、傷ついた子供みたいな表情の彼を、そっと両腕で包みこんだ。


so sad
(俺の台詞取んなボケ) (はいはい)
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2012.07.08
ぜったい自分から「ごめん」が言えない意地っ張りな平子さんかわいいね
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