ほっぺた以上くちびる未満

いつになく甘い香りに嗅覚を刺激されて、平子は重い瞼をゆるりと持ち上げる。

頭イタ―……
完璧、二日酔いやな。

ずきずきと痛むこめかみを押さえながら寝返りを打てば、甘い香りの原因が視界を占領した。

可愛い顔しとんなぁ、やっぱり。
ほんま、お前って俺の好みの顔やねんで?
まあ、好きなんは顔だけやないけど(気ィ強いトコも、考えこむ時の仕草も、声も、スタイルも…要するに全部っちゅうこっちゃ)。


「真子―…やけ酒付き合って」
「なんやお前、またフラれたんかいな?」
「うるさい!男なら黙って付き合え」
「そんなん、めちゃくちゃやん」
「良いでしょ?私と真子の仲なんだから」
「どんな仲やねん」
「友達以上、恋人未満。異性で唯一の親友!!」
「自分勝手なこと言いなや。まあ、泣かれるよりは怒られてる方が俺も気ィ楽やけどな」



という訳で、昨夜はふたりで散々飲み明かして、朝方雪崩込むようにベッドにダイブした。

それにしても、友達以上恋人未満って、どっかで聞いたようなフレーズでやんわりとバリアなんて張って…まあ、お前のことやから無意識なんやろけど。

隣からじわりと感じる体温が愛おしくて、そっと手を伸ばす。
もう、時刻は真昼。
開きっぱなしのカーテンの隙間からは、眩しいほどの陽光が入り込み、明るめの髪を照らしている。
するりと髪の隙間に掌を差し込むと、指先から伝わるなめらかな感触が、じわりと欲望を呼び起こす。

――あかん、あかん
ここで手ェ出してもうたら、せっかく我慢したのが水の泡や。

サイドボードに出しっ放しのミネラルウォーターに口を付けて、ごくり、一口飲み下す。
温い液体が咽喉を潤す感触は、ほんの少しだけ気持ちを落ち着けた。

かなり酔うてたし、なまえは何も覚えてへんのやろな。
俺が理性的な男やったこと、感謝せえよ?
ほんまなら、喰われてても文句言われへん状況やってんから。

「んんー…」

小さく体勢を変えた彼女の腕が、俺の胸に触れる。
きっと彼女も二日酔いなんだろう、眠りに落ちたまま微かに顰められた眉根が色っぽい。
その下で、小さく震える睫毛をじっと観察していたら、ため息が漏れた。

――ほんまに綺麗な顔やわ。

俺の隣で無防備な寝顔さらしとんのは、信頼されてるっちゅうことなんやろけど。
男としたらめっちゃ複雑な気持ちやねんで、分かってんのか。


「おーい、なまえ」

うすく開かれた唇の隙間からは、寝息が漏れて。
やわらかい唇にそっと指先で触れてみたら、ますます顔が歪む。

お前は、そんな顔しててもめっちゃ可愛いな。
見てるだけで、のぼせてまいそうや。
俺、頭イカれてんのやろか。

「もう昼やでー、腹減ってへんか?」
「……っん」

何やねん、その色っぽい声は。つんと突き出した唇も。
寝てる時まで俺を煽らんでもええのんちゃう?
ほんま、堪忍してーな。無意識で身体が反応してまうって。

前髪を掻きあげて、綺麗なカーブを描く額にそっとキスをする。

こんくらいは許されるやろ?
よう寝てるし、時効ってことにしといてな。

ぴくりと肩が揺れて、伏せられた瞼の中、眼球が小刻みに動く。

やっと目ェ覚ますんか?
起きて一番に俺の顔見たら、どんな反応すんねんやろ。
なんや、怖いようなワクワクするような変な気分や。

「なまえ、ええ加減に起きい」

呼吸を妨げるように、きゅっと鼻を摘む。
やがて苦しげに口で浅い呼吸を繰り返して、長い睫毛が小さく揺れ始める。

そろそろ、か…――


「んー…ぷはっ」
「起きたか?」

ゆっくりと開かれた大きな瞳に、俺が映る。
彼女を見つめながら、無意識で目を細めてしまうのは、やっぱり嬉しいからなのだろう。

「……真子、あれ?」
「おはようさん」

明らかに戸惑った表情で俺を捉えて、瞬きを数回。
触れそうに近くにいた俺の身体を、両腕で押しのけようとする仕草に、悪戯心が首をもたげる。

「っ、私…なんで?」
「覚えてへんの?昨日は可愛かったで?」
「え?!あ、あの…」
「寂しいなあ、全部忘れてもうたん?」

青褪めた表情で一度目を伏せると、思い切ったように俺の目を見つめて。

「もしかして、私たち…」
「まあ、当然やわなあ。こんな部屋にふたりでおったら」

目ェ白黒させるっちゅう言葉があんのは知ってたけど、ほんまにそんな仕草するヤツおるんやな。
焦ってるお前が、可愛いてしゃーないわ。

「嘘っ!?」

勢いよく身体を起こしたなまえは、呻きながら頭を押さえて。

「っ痛…!」
「あー…そないに勢いよう起きたら、頭に響くやろ?アホか」

半身を起こした後、すぐさま倒れかけた身体をそっと支える。
後ろから抱き締めるような体勢は、甘い香りを色濃く嗅覚に伝えて。
心臓がドキドキと、鼓動を速めて行く。

「イター…。な、なにこれ」
「二日酔い以外の何物でもないと思うねんけど」
「ふつか、よい」
「水、飲みたいんちゃう?」

サイドボードに置いたペットボトルへ手を伸ばす。
キャップを取って手渡すと、渇きを癒すように勢いよく咽喉を鳴らして水を飲み下す姿に、微笑みがこみ上げる。

「それ、さっき俺も飲んだんやけどな」
「間接キスってこと?」
「そや」
「真子なら、全然良いよ。それに…私たち、」
 もう最後まで…なんでしょう?

恥ずかしそうに眼を伏せて、続けられる言葉に、心臓がどくりと跳ねた。

いやいや、嘘やってんけど。何やこの反応って。
もしかして、満更でもないっちゅうことなん?

「なまえ、ほんまに昨日のこと全然覚えてへんの?」
「……えーっと、確かやけ酒に付き合って貰って」
「それから」
「散々飲んで、真子に絡んで」
「ほんで」
「そこから先は、記憶が途切れてる」

消え入りそうな声でそう言って、彼女はくちびるを噛んだ。

記憶がない?
そら、そうや。
頭痛のする頭を必死で捻ったって、それ以上は何も出てけえへんはずやで。
だって、それ以上の事なんて何もなかってんもん。

「その後はな、」
「ちょ待って」
「まあ 聞きィ」
「真子、恥ずかしいって」
「ええから」

照れて顔真っ赤にするなんて、ほんま可愛いやっちゃ。

「お前が俺にめっちゃ絡んで、その後はやなあ、」
「……っ」
「飲み潰れたお前をベッドに運んで」
「や、やっぱり止めて」

ここまで言うて、止めれるかいな(ちゅうか、もうこれから先言う事なんてないねんけど)。

「ふたりで」
「……」

そんな泣きそうな顔せんでもええって。安心しィ。

「並んで、グッスリや」

言い終えて、ニッと口の端を持ち上げると、呆気に取られたようななまえの顔が俺を振り返る。

「へ?」
「しゃーから、おとなしぃ寝ただけっちゅうこっちゃ」
「じゃあ、さっきのは?」
「俺、何か言うた?」
「昨日は可愛かったとか、忘れてしもたんとか、意味深な言い方したじゃない」

怒ってつんと突き出された唇。
すこし潤んだ目。

「だって、お前の寝顔 ほんまに可愛かってんもん」
「……真子の、バカ!!」

寝起きで乱れた胸元も、少し掠れたその声も、堪らんわ。


への字に歪められた唇の端に

素早くキスをして

思い切り抱きしめた――


ほっぺた以上くちびる未満
(いっそのこと、勘違いをほんまにしたらええんちゃう?)
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