世界を測る物差し 01

細く開いた障子の隙間から、ひえた夜気に乗って青白い月の光が入り込む。
森閑とした辺りに、仄明かりが満ちるほかには、何の装飾もない空間。
なにを考えることも出来ず、冷たい布団の上に座りこんで、私はじっと待っていた。

真夜中の回廊をじわじわと近付いてくるのは、この部屋の主。
足音に気付く前、すでに、強すぎる霊圧にあてられる。
乱れるそれに、背筋をぞくぞくする感覚が走り抜けるのは、恐怖だろうか畏敬だろうか。
それとも期待…――

望んでなどいないはずなのに、気配を感じない待ち時間は居心地が悪いとすら思う。
人の感覚というものが、いかに曖昧で微妙なものなのか、身を以って思い知らされる。

彼の目的もわからないまま、この場所へ拘束されるのは、今日で何日目だろう。
足枷も、なんの物理的な捕縛物もなしに、私をここへ縫い付けるのは何なのか。自分でもよくわからないのに、動けない。
やがて組み敷かれることが確定している身体は、数日の間にすっかり慣れてしまった記憶を求めてじわりと汗ばむ。
彼の与えるその行為は、荒々しいのに、どこかやさしくて。ひどく、優しくて。
いつの間にか、彼の擦れた声を待ちわびている。武骨で繊細な指を焦がれている。

"篭の鳥"と呼ばれるこの状況は、自らの意志ではないかと錯覚するほどに。


――監禁、されていた。




世界測る差し

scene01



ずくり、胸の奥の鈍い痛みに気付いたのは、オレンジ頭の旅禍と戦ったすこし後。
最初はたいして気にも留めなかった。
物理的な傷は時が癒すものだと知っていたから。
なのにあれから数週間、鈍い痛みは薄れるどころか、ますます強くなる一方だ(目に見える部分はすっかり肌色を取り戻しているのに)。
普段頭なんて使わねえ俺でも、流石に何かおかしいと気付き始めていた。



「更木隊長、どうかなさいました?」

近付いて俺の目の前にことり、茶の入った湯呑みを置いたみょうじの小さな手。
白く細い指の先には、形良い爪が桜色に色付く。それが目に入った瞬間、痛みが一層激しくなる。

「別に、何でもねえ」
「そうですか。だったら、良いのですが」

柔らかく微笑むみょうじを見下ろしながら、顔に出ねえように苦笑した。
あの程度の闘いで後遺症が残るなんて情けねえ。自分はそんなに打たれ弱え男だったか?
"剣八"の通り名の風上にも置けねえと、ひそかに自らを恥じていた。

渡されたばかりの湯呑みを持ち上げ、ずず、音をさせて熱い茶を啜る。
髪を靡かせて去っていく彼女を、なぜか夢中で片目が追っていた。







穏やかな昼下がり。
みょうじ七席の歩く姿を見つめながら、ため息を吐く隊長に笑いがこみ上げる。

「弓親、テメェ…なに笑ってやがる」

不愉快そうに低い声を響かせる顔に、浮かんでいるのは困惑。

「いえ、別に。ただ、」
 隊長が何かを思い悩まれている様子が、意外で。

鋭く尖る瞳が、限界まで見開かれる。
何を驚いているんだか。
もしかして自分が悩んでいることにすら気付いていなかったんじゃないだろうね?

「オメェ、何言ってんだ?」
「なにって、隊長…たった今、ため息つかれてたでしょう?」
「そうか?」

訳がわからないって顔をされると、僕の方がため息出そうなんだけど。

目の前で、チリンと鈴の音が響いて、隊長の眼が再びみょうじ七席を追いかける。
そのあからさまな仕草に気付いていないのは、きっと隊長本人と彼女自身だけだ。
一角と副隊長の方へ目を向けると、案の定呆れたような苦笑いが返ってくる。

「弓親さんの分は、こちらでよろしいですか?」

隊首席の隣にいた僕の方へ、彼女が近付けば、面白いほど顕著に隊長のキツい顔立ちが歪んでいた。

「うん。そこに置いてくれる?」
「はい」

カタカタと小さな音を立て、盆の上で湯呑みが揺れるのは、隊長の霊圧が乱れているせい。

「隊長…大丈夫ですか?」
「おう……」

彼女に声をかけられて、相変わらず無表情のまま、声だけが僅かに上擦っている。

「皆さん、熱いうちにどうぞ」

言い残して部屋を去る彼女の背中を、名残惜しそうに追いかける隊長の視線には、闘争本能とは別の本能的な情動が潜んでいた。

でもきっと、あなたは自分にそんな本能が備わっていることすら、全く知らないんでしょうね。
仕方ない、僕がそのあぶり出しに少しだけ協力しましょうか。

「隊長、顔がちょっと歪んでますが」
「そうか?」
「痛い所でも?」
「胸の奥の方が…少しな」
「へぇ…」
「多分、黒崎のやつとヤり合ったせいだろうけどよ」

返って来た言葉はやっぱり予想通り。
全く。鈍いというか、純粋というか…
あなたのそんな、ある意味無垢な所も魅力的ですけどね。

「あんなに楽しい闘いは久しぶりだったぜ…」
 眼帯外したのも何十年ぶりだか。

いやいや、そうじゃないでしょう?
さっき明らかに彼女が近付いた瞬間に、顔を顰めたじゃないですか。

ね?と、同意を求めるつもりで一角の方へ視線を流すと、彼は呆れ果てたように肩を竦める。

「剣ちゃん、バッカじゃないのー?」
「はあ?何がだよ」
「そんなの、イッチーに関係あるわけないじゃん」

副隊長の無邪気な台詞は、正しい。
けど、隊長にはそんな言葉位じゃ通じないんですよ。

「ずっと続いてるんですか?」
「いや、いつもはそれほどでもねえ」
「変、ですね」
「…時々、急にズキズキと痛みやがる。けど、」
 そんなもんじゃねえのか?痛みも欲望も、常に最強値って訳じゃなくて、思い出したように疼くもんだろ?

更木隊長のこういう所は、僕にとって魅力的に映る。
考えない、悩まない、一見ただの馬鹿かと思えば、物事の本質を本能的に見極めて鋭い言葉を吐く。

「さっきは痛そうでしたもんね」
「おう…分かっちまったか」

言いながら遠い目になる隊長。
その虚ろな目には、何が映っているんだろう。

「困りましたね、」
「まあな」
「タイミングに傾向か何かないんですか?」

僕の問い掛けを聞いて、隊長はしばらく首を傾げている。
更木剣八の物を考える仕草なんて、僕が瀞霊廷に来てから初めて見るんじゃないだろうか。
滅多に見れないその光景を脳裡に焼き付けておかなくちゃ、と思うなんて、僕はきっと喰えない部下だ。


「……そういや、」
「何か心当たりでも?」

白々しく親身に問い返しながら、彼女の名前が出て来そうな気配にワクワクする。

「なまえが……」
「みょうじ七席がどうかしました?」
「あいつが近くにいる時が多い気がすんな」
「へぇ…」
「オメェに言われて初めて気付いた」

当たり前だ、隊長がそう気付くように、会話を誘導してるんだから。

「何故、みょうじ七席が近くにいるときなんでしょうね」
「さあな。なまえのやつ、妙な鬼道でも使ってやがるのか…」

あくまでも戦いから離れない思考が滑稽だ(それでこそ、更木隊長らしいけどね)。
さて、どう返答をかえそうかと頭を悩ませていたら、草鹿副隊長の小さな声が響いた。

「剣ちゃんのニブチン」

瞬間、背筋が張り詰めるほどの鋭い眼光。
でもそれも、頬っぺたを膨らませた副隊長には全く通じない。

「ニブチンとは言葉が悪ぃんじゃねえか?やちる」
「でもニブチンだもん。ねー!?」

一斉に顔を見合わせて笑う僕たちを、不可解そうに見下ろす隊長が可愛くて。

「なまえちゃんは別に、鬼道なんて使ってないよね。つるりん?」
「ああ、それはあり得ねえ」
「僕もそう思うよ」

3人の顔を順番に睨み付けながら、傷を刻んだ顔は痛々しいほどに歪む。
その時の僕たちは、上司の色恋沙汰に夢中で

皺を深くした表情の裏、隊長が何を考えていたのかなんて、まったく気が付かなかった。







あいつらはあんな風に言ってるけど、なまえの近くに行けばあきらかに鳩尾の奥がぎりぎりと痛む。
その感覚は確かだ。



「みょうじ…」
「は、はいっ」

びくつく表情を見て、また身体の奥が軋む。
戦う相手に向かう際の気分の高揚に似ている、腹の底からじわりと何かが沸き上がる感覚。
その原因を探りたいと思うのは、人としてごく当たり前の要求じゃねぇか?

「オメェ、今夜俺の部屋に来い」
「……は…い」

目を伏せたまま屑折れる細い身体を片手で支えたら、掌から鈍い衝撃が伝わる。
やっぱり、これは何らかの術に違いねえ。あいつらの言葉よりも、自らの感じている感覚のほうが正しいに決まってるじゃねえか。
そんな風にしか思えなかった。







隊長にひと睨みされただけで、身体中から力が抜けた。
軽い荷物でも持つように私を支えている彼が、何を考えているのか。露わな片目からは、何も読み取れない。

「文句はねえだろ」
「…は…い」

質問というより命令に近い問い掛けは、肯定の返事以外を初めから拒絶する響きで。
きっと私には、抵抗する余地などこれっぽっちも残っていないのだろう。
そして、それが嫌ではなかった。

「別に、晩じゃなくて今からでもいいけどよ」
「でも、まだ執務時間中ですし…」
「隊長命令でも、か?」
「………」

のびて来る隊長の太い腕から、逃れる術はなくて。
理由も分からないまま、いつの間にか視界が宙に浮いていた。







「ほら、行くぞ」
 どうせ、一人じゃ歩けねえんだろうが(俺の霊圧のせいだけど)。

肩に抱え上げると、やちるとほとんど変わらない重み。
なのに、強く掴めばふにゃりと潰れてしまいそうな圧倒的なやわらかさが胸を刺す。

「オメェ、ちゃんと食ってんのか?」
「…はい」

揺れで、舌を噛みそうなのだろう。必要最小限の短い台詞が、耳の奥を快く刺激する。
こんなに華奢な身体で、十一番隊の七席を務めているのか、と思えば、自分でも理解の出来ない妙な化学反応が身体の中で起こって。
咽喉のすこし奥とこめかみに、痛みに似た疼きが生じる。

陰り始めた陽に、死霸装の裾から覗く白い脚はまろやかに染まっている。
至近距離で感じる甘い香りと、背中にしがみつく指の感触は、腹の底をじわじわと熱く焦がした。



すとん。身体をおろすと、そのまま彼女は"へにゃり"とへたり込む。
同じ高さまで屈んで、綺麗な顔を覗き込んだら、怯えるように瞳が伏せられて。
頬に掌を添え、小刻みに震えている唇を親指でそっと辿った。

「寒ぃのか?ん?」
「いえ」

抑制された掠れ声は、聞き慣れた彼女のものよりも僅かに甘い。
響きが身体に入り込むと、心臓を捩じり上げられるような痛みが沸き上がる。

「なまえ、オメェよ」
「……っ」

名前を呼んだ瞬間に、ぎゅっと袖を掴まれる。
衣服越しの指の感触は、決して強くはないのに、ただ触れられているのとは違うものを俺の中に伝える(これが何かの術でなくて、何だというんだろう)。

「どうしたんだ、急に」
「……」
「なまえ」

腕に食い込む指が、僅かに強さを増す(どうも、俺が名前を呼ぶと彼女はその反応をするらしい)。
ちりん。鈴の音が静かな部屋の中に染みて、それが合図のように組み伏せていた。

問い質したいと思っていたことは、もう頭にはなくて。
自分の真下で伏し目がちに俺を見上げる双眸を、震える四肢を、すみずみまで喰らい尽くしたいとの一念が、勝手に俺を操る。

「更木隊長…あの」
「なんだ?」
「何故、なんでしょうか」
「何故って、何がだ?」

ここへなまえをつれてきた理由なんて、もうどうでもいい。

「ここへ連れて来られた理由は……っ、!!」
「オメェは余計なこと考えんな」

白い肌を覆う死覇装を、荒々しく剥ぎ取る行為が、頭を真っ白に染めて行く。

「でも…」
「俺も、忘れちまったからよ」
「そんな、たい…ちょ」

まだ震え続けている唇を塞ぎ、開いた胸元に現れた、骨の窪みに舌を這わせる。
胸の奥で感じていた筈の痛みは、いつの間にか恐ろしいほどの疼きにすり替わっていて。
耳元に注がれる、鼻にかかった吐息が、ますますそれを増幅させる。

「オメェだって、満更でもねえんだろうが」
「ちが…っ」
「じゃあ、なんでそんな声出してやがる」

耳の裏へざらりと舌を押し当てて、鼓膜に直接低い声を流し込む。
面白いほどに撓る彼女の身体を、柔らかく押さえつける。
頬を染めた表情に、ニヤリ、口の端を持ち上げて笑った。

「俺の空耳じゃねえだろ?」
「っふ、……や」

目を細め、擽ったそうに首を竦める姿に、欲望はあおられる。
ただ、夢中で彼女を味わうことしか、俺には出来なかった。







見た目は獣のような隊長だけれど、本質は意外に繊細だと、傍に仕えているから知っている。
すくなくともついさっきまでの彼は紳士だった。
なのに、抱えあげられて部屋までの数十秒で、彼の纏う空気は一変して。

すとん。身体を下ろされる頃には、いつも以上に乱れた霊圧の所為で、ちいさな身動ぎすら困難になっていた。
言葉を発するのさえも、嗄れた咽喉が拒んでいる。

何故、なぜ?

さっきまでいつも通りに執務室に居た私たちは、ここに居て。
まるでそれしかするべき事がないかのようなごく当然の流れで、組み敷かれている。

「なんだ、抵抗しねえんだな?」
「い…や……」
「嘘吐くなよ。その反応、嫌がってるようには見えねえぜ?」
「たい、ちょ…っ」

私は、どうしてもっと抵抗しないんだろう。

「そんな色気のねえ呼び方しやがって」
「でも、なん…て」

どうしてこんな甘い吐息を漏らして居るんだろう。
ニヤリと口の端を上げる彼に、どうしてこんなに魅せられているんだろう。

「名前で呼んでみやがれ」
「……け、ん」
「なまえ、呼べねえのか?」
「けんぱ…ち」
「呼べんじゃねえか」

ちりん――
響く鈴の音で幻術にでも掛けられたように、四肢からは力が抜けて。

「剣八…」
「ああ?」
「なんで?」
「理由なんて必要ねえだろ?」
「……」
「俺は男で、オメェは女。それだけで充分じゃねえのか」

すこしずつ近付いてくる、人間離れした厳つい顔を、ついうっとりと見上げていた。







もうすぐ陽が沈む。じわじわと押し寄せる闇が、身体の末梢から私を捉えて、記憶の再現を要求し始める。
ちらり、隊首席に座る隊長へと視線を泳がせたら、返される鋭い眼光で脊椎の真ん中を激しい痺れが襲った。

今日も、なんですね。
渋々という具合で独り言を吐きながら、本当は心も身体も逸っていて。なにもかもが隊長に支配されている感覚を追いかける。



それからの毎晩、私はかならず彼の部屋へ訪れていた。
命令の言葉は、まったくない。なのに、どうしても抵抗出来ない感覚が身体も心も捉えて、離してくれない。

「今日も来てたのか」
「はい」

すっ、と音もなく扉が開き、湯気を纏った部屋の主が現れる。
濡れた髪を下ろした隊長の姿にも、すっかり見慣れた(なのに、そのあてられそうな色気には、何度見ても慣れることが出来ない)。

「良い子だ」

来てたのかって、あなたが強要しているんじゃないですか。
言葉もなしに、その霊圧と言外の視線とが、目に見えぬ鎖になって私を縛るから。

だから、私は仕方なく

――監禁、されている。



世界測る差し

(夜は、これから)

たぶん、隊長の感覚も尺度も、ふつうの人とは違うのだ。
そして、それはきっと私も――


2009.01.04
ひそかにηさまへ、愛をこめて…
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -