flicker flicker

- 揺らぐ、揺らぐ -


ここは、いつ来ても時間の感覚を狂わされる。
雨も降らず夜もこない常昼の空間に、満ちているのは地上とはまったく違う空気。
はじめて見た時には、信じられなかった(一体この光源は何なのだろうとか、これだけの大空間を支柱もなしに支える構造はとか、考え出したらキリがないので、全部まとめて受け入れた)。



「なまえサン」

穴蔵を抜ける。光の満ちる地面へ降り立って、いつもの喜助さんの声が聞こえるまで、ほんの数秒。
そのわずかな時間だけ、見慣れない尖った横顔に見惚れる。

「お邪魔してます」

振り返るともう、いつもの穏やかな表情(良くない言い方をすれば、すっかり気が抜けている)。さっき見た鋭利な顔は、幻影ではないかと思える。

「全然気にしないでください、なまえサンがお邪魔な訳ないっスよー」

間延びしたやわらかい台詞を吐く彼は、決して本心を見せない人だ。
私は毎回同じ言葉をかけながら、同じ理由で悔いている(お邪魔してますと告げながら、邪魔な自分を再認識するのだ)。
おそらく、ただの人間の私がこの場所を知ること自体、彼にとっては面倒事に違いなくて。
それを黙って許してくれる彼に、思い切り甘えている。
店に近付くだけで私の気配に感付いているはずなのに、振り返るまでの数秒間、私に見惚れる時間を与えてくれるのも、喜助さんなりの甘やかし方なんだと思う。

「ちょっと待ってて下さい、すぐに終わらせますから」
「はい」

邪魔をしている。
正面に向き直った喜助さんの顔付きはまた直ぐに鋭利さを増して、苦しくなる。
彼の生活は私とは別次元できれいに完結していて、自分はただのノイズなのではないか?
なんて、マイナス思考は柄じゃない。

「上、戻りますね」

だから
それ以上彼を見ていられなくて、揺らぐ思考を捩伏せ、慌てて来た道を引き返した。

学習能力がない訳じゃない。
すぐに引き返すと分かっていて、長い梯子を往復するのは、あの一瞬の喜助さんの表情を見たいからなのだと思う。

上がった地上は夜の闇に包まれている。
しんと静まり返る店内には、書き置きがぽつんとひとつ。
いつの間にか人影はない。


『ジン太と雨を連れて初詣に行って参ります。 テッサイ』

小さな紙片にはいかにもテッサイさんらしい金釘文字が並んでいる。
ふっ、笑みを漏らして、それを握り締めたまま障子に手をかけた。

明かりの燈らぬ室内の薄闇には、障子越しの月光が淡く陰影を描く。
寂しいけどキレイな光景。

除夜の鐘は終わったようで、こんな街外れにも参拝へ向かう人達の足音が静かに響いている。

今年も(去年と言うべきだろうか)また、間に合わなかったな。
年末の仕事を終えて、走って来たのに。塾講師ってのも因果な商売だ(というより、昨今の受験戦争の方が問題なのか…年越しで勉強してどうなる。なんてことを、講師が言ったらおしまいだけど)。

立ち尽くし、空を見上げたら、ため息がこぼれた。
痛い位に冷え切った空気の中、ほわりと白い靄が広がって、切なさが増す。

(喜助さん、おめでとう…大好き)

闇の中、言葉は白く溶けて。
まるで自分も、このつめたい夜にじわりと滲んで、簡単に消えていく存在に思える。
限りない命を持つ喜助さんにとっては、私もすぐに消えてしまう吐息に等しい、と。
今夜はやけにマイナス思考なのが厭になる。またひとつ、歳をとるからだろうか。

翳した両手に息を吹き掛けたら、後ろからふわっ、あたたかい物に包まれた。

「なーにしんみりしちゃってるんスか?」
「喜助さん、いつの間に」
「そういう事は、面と向かって言って欲しいんスけどねぇ」
「……っ!?」

気配も音もなく近付く彼は、やっぱり自分とは違う世界の人なのだと、思い知らされる。

「なまえサン、もう一度言ってくれませんか?」

耳元に注がれる低い声は、いつもより甘く掠れて。
鼓膜を直接愛撫される感覚に、腰から力が抜けた。

「…ね?」

腰にゆるく手を回す彼に、身体を委ねる。
応えるように肩越しに手を伸ばして、柔らかく頬に触れた。
うっすらと汗ばんだ肌から指先に彼の体温がじわり、染みこむ。
掌だけで知覚しているはずの喜助さんの笑顔は、脳裡にくっきりと像を結んで。
再びため息が漏れた…――







頬を撫でる彼女の手に掌を重ね、強く抱き締めたら、闇の向こうから届く遠慮がちな声。

「あの―…浦原さん。俺、」
「あー黒崎サン。すみません、忘れてました。よいお年を」
「って、おい!もう正月明けてんだろうが」
「そっスね。じゃあまた明日」

普通、新年の挨拶とかするもんじゃねぇのかよ?

ぶつぶつ言ってる黒崎サンには悪いんですけど、新年の最初の挨拶は最愛の人としたいじゃないですか。
そこは、いくらアタシでも譲れません。

「じゃあな、また明日。浦原さん」
「はーい。明日はゆっくりで良いっスからね」

カラリ、小さな音を立てて店の入口が閉まる。
察しのいい黒崎サンは好きっスよ。

「喜助さん…よかったんですか?」
「なまえサンは心配しなくても大丈夫っス」
「そう…ですか」
「ええ。冷えたでしょう?アタシの部屋、行きますか」

くるり、華奢な身体を反転させて正面から向き合う。
そのまま黙って すこし屈むと、首を傾げて唇を重ねた。

「明けましておめでとうございます、なまえサン」







「明けましておめでとうございます。お誕生日おめでとう、喜助さん」
「一言足りないみたいっスねー。さっき、最後に何か言ってなかったっスか?」
「………」

悪戯っ子みたいな目で覗き込まれて、心臓がどくり、騒ぐ。


「まあイイっスよ、今は」

今は。ということは、あとで言わせられるんだろうか。
言葉は紛れも無い本心なのに、喜助さんの端正な顔に向きあうとどうしても言えなくて。
めずらしく帽子を脱いであらわになった双眸に、言葉もでないほど見惚れた。

「何スか?アタシに見惚れちゃいました?」
「はい」
「今夜のなまえサンは、やけに素直なんスねぇ」

目の慣れた暗闇に、喜助さんの明るい髪が映える。
見慣れない双眸は月を遷して鋭い光を放つ。
なんて綺麗なんだろう。

「じゃあ、部屋行く前にお風呂いきましょーか」
「え、あの 」
「ダメっスよー、拒否権はありませんから」

へらへらした笑いに似合わぬ強い力で捉えられてしまえば、もう私には背く余地はない。
包み込む大きな身体からは、喜助さんの匂い。
有無を言わさぬ意志を持つ腕から逃れられないのは、なんて幸せなんだろう。
息も出来なくなる位に抱きしめられながら、このまま呼吸が止まってもいいと思った。







「一緒にお風呂は、久しぶりでしたね」
「…は い」
「可愛かったっスよ?」

風呂上がり、アタシのベッドに並んで腰かけて、そっと肩を抱く。
さっきまで、互いの肌を晒していたと言うのに、まだ恥じらう様子が愛おしい。
バスルームは異質の空間ってことっスか。
強張る肩を少し引き寄せて、こてんと預けられた頭にキス。てっぺんに一つだけ
膝の上、絡めた指はほんのり湯に染まっている。

何を悩んでるかは知りませんけど、アタシの一番大事なものはなまえサン…アナタっスよ。

繋いだ手の甲に唇を落としたまま、彼女の瞳を見上げる。
細めた目の縁で小さくふるえる睫毛に、顰められた眉。
いまにも吐息が漏れそうな形に、薄くひらいた唇。

息を飲む表情、堪んないっスね…――
さっきお風呂で我慢したアタシにそろそろご褒美くれませんか。



「なまえサン」
「……っ、」

耳朶を緩く食みながら低い声で名を呼ぶ。
力が抜け倒れそうな身体を片腕で支えて、重力に任せゆっくりと覆いかぶさる。

「おめでとうの続き、そろそろ聞かせてもらえませんか」

耳の裏を辿り、首筋に舌を這わせる。
肩口に歯を立てたら、あまりの愛おしさで身体の芯が痛いほどに疼いた。

「なまえサン」

唇で着衣の合わせ目を挟んで、すこしずつ開いて行く。
あらわれた谷間に顔を埋めて、ちゅっ、音を立てて吸い付くと、鮮やかな朱が刻まれる。

布越しに両胸へ掌を這わせ、人差し指でカリッ、突起に触れた。
その瞬間、甘い声があふれる。こぼれる。

「可愛いっスよ なまえサン」
「喜、助……さ、」

かたくなった尖りを親指と人差し指で挟んで弄びながら、甘い声をもらし続けている唇を塞ぐ。
下唇を食みゆるく甘噛みしたら、吐息混じりのちいさな声。

「喜助 さん」
「何スか?」

胸の愛撫はそのままに、舌を絡めれば、呼吸はだんだん浅く早くなる。
意識がゆらゆらと揺らいで、身体は熱を上げて。

「き、すけ…」
「…なまえ サン」

するりと胸元に掌をすべらせる。
吸い付くような肌の感触がひどく官能をあおる。

なまえサン、まだっスか?

ぐいっ、勢いよくはだけた胸に舌を這わせる。
吐息で頭の芯が痺れはじめる。

全裸に比べて、微妙に隠された肌ってのはなんでこんなに厭らしいんっスかね?
アタシの動きでふるえる身体が、可愛くてかわいくて堪らないっス。



「喜…す…けっ」
「…なまえ」



「好……き…」



言葉を聞いた途端に

なにもかも

抑えが効かなくなった――



flicker flicker
-揺らぐ、揺らぐ-

(そんな可愛い声出されちゃ、アタシの理性も限界っス)
 


今夜は二人っきりっスから 誕生日の我儘、たっぷり聞いてくれるんでしょ?
住む世界が違うとか、生きて来た時間が違うとか、そんなこと関係ない。ただ、アタシとアナタがいま此処にいる。それだけで充分じゃないですか。
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