おのぞみとあらば

「どうぞ」

 細く長い指先が、すっと目の前に差し出した華奢なカクテルグラス。
 その深緋色の液体よりも、彼の形良い指に見惚れて。
 オーダーもしていないのに自動的に出てきたそれを、不思議に思う余裕もなかった。

「今日は、お一人なんですね」
「ええ。友人とはぐれてしまって」
「そうですか」

 控え目な低い響きが、耳に心地いい。

 時々通うこのバーで、ただ職務に徹しているストイックな彼の姿は、しっかり記憶に残っている。
 涼やかな顔立ち、鮮やかな手付き、そしてバランスの取れた相貌。

 ふと、顔を上げれば、口を付けるのを促すように、無言の笑みが降って来た。
 こんなに間近で彼を直視するのは、初めてだ。

「頂きます」
「どうぞ」

 軽くグラスを持ち上げて、目の前に差し出すと、小さく彼が頷く。
 とろり、口内を滑り落ちる液体は、見た目の華やかさを裏切って、かなり甘さ控えめ。
 キツいアルコールの風味が、快く咽喉を焼く。後をついてふわり、香る果実が爽やかな酸味を誘った。

 完璧に、私好み…だ。

「美味しい…」
「それは良かった」

 口数の少ない彼は、優雅な所作で他の客のカクテルを作り、グラスを磨き、そして微笑む。
 動作のたびに、高い位置で一つに束ねられた黒髪がふわふわと揺れる。
 背筋を綺麗に伸ばしたままの彼の動きには、ひとつの無駄もなくて。
 普通に考えればかなり忙しない動作をしている筈なのに、まったくそんな風には見えなかった。

 胸に付けられたネームプレートには小さく"Nara"の文字。
 奈良さん、って言うんだ?

 ひとりのバーは、きっと退屈するんだろうな、と思っていたのに、彼を観察しているだけで心が満たされていた。


「次、お作りしましょうか」

 ぼんやりと、空想にふけっていたら、不意に耳元に注がれた掠れ声。
 気が付けば、手元のグラスはもうすぐ空だ。

「じゃあ、同じものを」
「かしこまりました」

 唇の端を少しだけ持ち上げて笑みを作る彼の、上目遣いが眩しい。
 薄暗い店内には、静かで心地よい音楽が流れている。

「あの、奈良さん」
「はい?」

 器用に手を動かしながら、私の方へ向けられる視線を、一瞬でも独占出来た事が素直に嬉しくて。

「そのお酒、なんていう名前ですか?」
「お気に召していただけました?」
「はい。すごく私好みで」

 っふ……ため息とも笑いともつかない小さな揺らぎ。
 奈良さん、いま、笑った?

「貴女の為だけのカクテルですから」
「え?」
「名前はまだ、ありません」
「あの……」
「いつもお飲みになるお酒から、好みを類推して」

 鮮やかな手つきでシェイカーからグラスへと、深緋色の液体が注がれる。

「俺が勝手に作らせて貰いました」
「……っ!!」
「どうぞ」

 差し出されるグラスを受け取る際に、指先が軽く触れて。
 その瞬間に、店内のざわめきが遠のいていく。

「よろしければ、いつでもお作りしますよ」

 きゅっと指先を掴まれて、鼓動が触れられた部分へ移る。
 見上げた奈良さんは、ほんの少しだけ眉を顰めて。
 びっくりするほどに艶っぽい表情で、私を見つめている。

 少しだけ屈んだ襟元に浮かぶ首筋のライン。
 頭がくらくらしそうな目付き。
 照明を反射して、キラリ、光ったピアス。
 手首に浮かんだ綺麗な骨の輪郭。
 掴まれた指先から、じわり、沁み込む彼の体温。
 そして…低く、甘い声。


 なにもかもに魅入られて

 浅くなった呼吸が

 止まりそうだった――



drawn by asami



おのぞみあらば

(毎晩、貴女の為だけに…)

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2009.01.09
my honeyアサちゃん!!もう、大好き。
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