彼色

 ホワイトデー期待してるからね。と、媚びを含んだ粘着質な声に見送られて店を出た。

「期待はすんじゃねえぞ」

 執拗に纏わり付く腕を振りほどく瞬間、濃い香水の匂いと酒臭い息が鼻をつく。
 飲みの席は嫌いじゃねえし、女も同様。酒と女は男の甲斐性とは、よく言ったものだと思う一方で、執着するほどの魅力を感じている訳でもない。
 そこらの男のように、日頃ばらまいた金をバレンタインの時くらい取り戻してやろうなんて、馬鹿げた意識ももちろんなかった。
 たまたまちょっと飲んで帰ろうかという気になった今日が、偶然そんな日だっただけのこと。

 お返しなんてめんどくせえな。
 吐き出す息は白い。見上げた空には真ん丸に近い月。
 寒さに軽く背中を屈めて家路を辿る足取りは、緩やかに。
 酔いで火照った頬に、夜風の快さを味わいながら貰ったばかりのチョコレートの袋をゆらゆらと揺らした。



「奈良さん…」

 近くから、やけに張り詰めた幼い声音が、耳の奥へ滑り込む。

「若ぇ女がこんな時間に何してやがる」
「待ってたんです。これ渡したくて」
 息子さんに聞いたら、多分ここだろうって。

 頬を染めているのはふたりとも同じなのに、唇を噛み締めて小さな箱を差し出す彼女の姿は、酔っ払った親父とは余りにも違っている。

「一、二度マンセル組んだだけの親父にまで義理チョコかァ?」
 気ぃ使うなら、もっと別の所に遣え。

 表情から漏れ伝わる本音は、敢えて見ないふりをして。

「違います…私はそんなんじゃ…」
「阿呆」

 短い蔑みで、引きずられそうな本能に蓋をする。

「でも、」
「ガキには興味ねえぞ」



(恋愛ごっこなら他を当たりやがれ)

 拒絶の言葉で顰められた眉の下、月色を映す大きな瞳に、不覚にも見蕩れた。
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