綺麗なばかりじゃないけれど
かさり。草の根が踏み潰される音は、やけに印象的に昼間の空気に混ざり合う。
軽く首をあげた男の頭頂で、しなやかな黒髪が優しい風に揺れている。
ホントの所は彼をどう思ってるの? 他人のことにさして興味を持てない俺が、つい気にしてしまうほどに、彼と彼女の関係は危うく揺れていて。
ごく普通の付き合いなんですけど。 それ以上何も言う事はないとの彼女の態度は、きっと真実なんだろうと思った。
彼女の"普通"が、一般的なそれとは違っているとするならば、目の前で青空を見上げながら寝転ぶ男もまた、所謂"普通"からは外れていて。
普通でないもの同士の、普通の付き合いというのが指すところは、やっぱり普通ではないのだろう。
ま。ほどほどにネ。 意味のない諭しに、曖昧な笑みを見せた彼女は、確かに恋する女の顔で。
彼ばかりが振り回されている訳じゃないことは充分伝わってきたけれど、彼女の事だからシカマルの前では決してそんな表情は見せないのだろう。と、思ったら彼が気の毒になった。
青空の果てを見つめる彼の視線は、きっと瞼の内側で全く別の像を結んでいて。
切なげに眉を顰める顔は、男の俺から見ても綺麗だ。
それにしても。お前はナルトと違って"分かり易い"タイプじゃないのにネ。
見ていれば勝手に思惟が流れ込んでくるように思えるのは、お前の彼女への想いがそれだけ強いからなのか、それともお前がまだ若い所為なのか。
眉間に寄せたその皺の奥で、お前がいま何を考えているのかは、手に取るように分かって。
何と言うか、むず痒くなるヨ――
◆
目の前でパタリといかがわしい本を閉じた男は、何も言わず俺を見つめる。
顔の殆どを不自然に隠して、見えているのは片眼だけだと言うのに、なんでこんなに圧倒されるんだろう。
小さく動く瞳。わずか数ミリの揺らぎで、いちばん見られたくない部分を見透かされたように後ろめたくなる。
「何すか、カカシ先生」
「んー…別にィ」
別にと言いながら、彼は明らかにモノ言いたげで。
俺と彼との間に、接点なんて数えるほどしかないから、彼が何かを言いたいとすればひとつだと分かっているのだけれど。
口にしてはいけないことのように、互いが無言のままで腹を探り合うこの時間は、なんとも言えず居心地が悪い。
「いい天気だネ」
「そうっすね」
飄々とした空気を纏ったまま、隣に立ち尽くす男。
また右目のなか、小さく瞳が動く。
何を問われた訳でもない。思考や心の動きまで読み取ると言われる片目も、額宛ての裏に隠されたままなのに、心許なくて。
胸の奥からじわりと滲み出る不愉快さは、彼が近付くだけで確実に膨らんでいる。
「随分と憂鬱そうじゃないの」
こんなに良い風なのに。
表情になんて出したつもりはないのに、もし何らかのものが滲み出してるのだとすれば、その憂鬱さの何割かは彼のせいで。
分かっていて問い掛ける彼の意図が見えるから、余計に憂鬱さは増幅する。
噂が事実かそうでないか、確かめる事には意味を見出だせない。
それよりも、彼が彼女側の真意を手に入れているのなら、そっちの方がよっぽど重要で。
決して近付けない彼女の真実を、知りたい気持ちと知りたくない気持ちとの間で、心が揺れ動いていた(でも、彼女の本心を彼女以外の人間から聞くなんて、やっぱり胸糞悪ぃ)。
「どうしたんすか?」
「んー…、たまには空でも見ようかと思ってネ」
含みのある笑顔。見ようによっては、ただの善人に見えなくもない下がった眦が、俺の心に不思議な感覚を齎す。
昼下がりの温い空気の中、胸に痞えた漠とした想いは、水を含ませたようにゆるみ始めていて。
彼の持つ独特の雰囲気が、俺に及ぼす影響は、日ごろ意識しているよりずっと大きなものらしい。
「……今日は雲が少ねぇんすよ」
「そうだネ」
柔和に弧を描く片眼のラインに、本心もなにもかも、洗いざらい吐き出してしまいそうだと感じている自分が意外に思える。
立っている足元がぐらぐらと不安定に傾いで、深い地の底に引き込まれそうな錯覚。
視線の端でゆれる柔らかそうな銀髪は、見上げた青空に淡く溶けて。
とすん。小さな音を立てて隣に腰を下ろした彼を見上げると、逆光になった太陽で目が眩んだ。
何をどんな風に言えば、今の俺の中にある感情を正確に伝えられるんだろう。
幾ら頭を捻ってみても、浮かんでくる言葉は全てどこか微妙にずれているように思えた。ならばいっそのこと、伝えるのを止めれば。
伝えたいことを正確に伝えるのが言葉の役目だというならば、正しく伝えられないと判断した時点で、中途半端な言葉は罪になる。ならば、無言のままの方がずっといい。
伝えねばならない義務もなければ、伝えたい欲もなくて、彼に対して吐き出したいと思っていることがなんなのかも、自分で理解できていないのだから。
その曖昧で捉えどころのない感覚は、そのまま自分の彼女への想いとそっくり重なっている(言葉で伝えようにも、伝える術がない)。
誰のものでも構わないと言えるほど、割り切れている訳でもなく。かと言って自分だけのモノに出来るとも思っていない。
欲しい。彼女の内側へ入り込みたい。そんな我が儘な欲望は持っているけれど、強引に引き寄せても本当に欲しいものは手に入らない。
確かに気が狂いそうなほどの感情を彼女に対して抱いているのに、それを何と呼べば良いのかは分からなくて。
独占欲だとか征服欲だとか、嫉妬も劣等感も、そして泣きたくなるほどの愛おしさも切なさも綯交ぜになった想いが、四六時中俺の中で渦巻いていた。
言葉に出来ない想いを、人に説明するのはやっぱり困難で。
ふっ。溜息を吐き出すと、寝転んでいた身体を起こす。
カカシ先生と頭の高さが揃って、相変わらずモノ言いたげな視線と視線がぶつかった。
◆
「人間っつうのは不可解なモンに惹かれる生き物なんすかねぇ」
「お前みたいな頭脳派にも、不可解なものがあるの?」
分かんねえモンばっかっすよ。と、遠くを見る真っ黒な瞳は、既にこの世に溢れている悲しみも切なさもすべて背負っているようで。
歳には似合わない重圧を背負い、それでも自らの脚で立とうとする儚い強さを孕んでいる。
やっぱ、綺麗だネ…お前は。
「時々、どう考えても止めといたほうがイイって事に足を突っ込んじまうんすよ」
「へえー…」
「絶対後悔するって分かってんのに、それでも止めらんねぇっつうか」
繊細で危うく、かつ、絶妙な加減で秘めた強気さが見え隠れする横顔。
彼女が手放したくない気持ちも、このままの姿を残しておきたい気持ちも分かる気がする。
「不愉快な想いを自ら選んじまうような所があって」
「うん」
「それって一体なんなんすかね」
不愉快さで、自分の愚かさを消し去りちまいたいのかもしれねぇな…――
独り言めいた台詞に、相槌は打たなかった。
聞いて欲しいというよりも、吐き出したいというのが今の彼の真実だろう。
ま。俺も興味がない訳じゃないしね。
愚かさの浄化だとか訳の分からないモノを理由に、彼女との関係を位置付けようとするなんて、若いお前には早過ぎるでしょう。
ただ好きで堪らないから突っ走るのが、お前らの年齢で。
でも、浄化と愚かさを結び付けてしまう、その衝動的な思考こそが若さの証なのかも。
「カタルシス、ね」
「やっぱ、変すか?」
「いや、良いんじゃないの」
はにかむような笑顔を一瞬だけ見せて、再び彼はごろりと横になる。
下世話な人間というのはどんな所にも居るもので、俺と彼女のことがどんな風に見られているのかも、知っていた。
知ってはいたけど、そんな下らないモノを理由に俺達は築いた関係を壊すつもりなどなかったから、噂というものの本質そのままに、それはますます尾鰭がついて広がっていくのが道理で。
もちろんただの噂に過ぎないけれど、本人たちの耳に入るレベルのことをシカマルが知らない訳もない。
"カカシと彼女は特別な関係らしい。"なんて、蓋をあけてみれば暗部時代から続くツーマンセルの相棒というだけ。
相棒というには踏み込み過ぎた部分も勿論あったし、数多の死線をともに越えるという経験は、確かに極限状態に於ける微妙な感情を煽りもしたけれど、結局いまの俺達の間に残っているのは、肉親の情に近い仲間意識だった。
ここで噂を否定するのは簡単なことだけれど、いまの彼が心を囚われている事象は、そんなに単純なものではないから無意味だ。
ましてやその必要があれば、彼女が伝えれば良い話で。
「ま。お前は余計な事を考えすぎだとは思うけどネ」
「……」
汚いモノを見ざるを得ないのが忍びの性と言うならば、俺も彼女もそれにどっぷりと浸っていて。
反面、お前らの存在はまだ、限りなく清らかで眩しい。
純粋な恋をするには、死に近寄り過ぎたのかもしれないネ。俺も、彼女も。
だからこそ彼女にとってのシカマルは、アンバランスなゆらぎを包含した美しいものとして瞳に映って。
それをいつまでも見続けていたい気持ちと、自分の奥にある穢れたものを見せたくない気持ちとから、無意識にバリアを張ってしまうのだろう(その切なさが理解できるだけに、俺には彼女を責められない)。
「もっと貪欲になってもいいんじゃないの?」
「……っ!?」
だけど、それはきっと彼女の誤算で。
シカマルは、お前の狡さも過去も、弱さも愚かさも、全てを受け止めて包み込める男だと思うヨ。
――大きなお世話だけどネ。
綺麗なばかりじゃないけれど
ま、お前たちらしく仲良くネ。
やっぱり全て見抜かれていた事が、
妙に嬉しく思えた、ある午後――
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2009.03.15
あなたのその曖昧で柔らかい部分続編(別視点)
→結髪雫へ続く