あなたのその曖昧で柔らかい部分

 始まりはただ乱暴に。
 俺らしくない。そう思えるほど唐突で、衝動的なもの。




あなたのその昧で柔らかい部分


「どうする?」

 ふふ。と、静かに息を吐き出しながら紡がれる声が闇に溶ける。

 アンタはいつもそう。歳上の余裕を、やわらかい笑みを、無意識で俺の前に振り翳す。
 それを悔しいと感じる時点で、俺はガキだって事なんだろうけど。
 でもやっぱり悔しくて、つい、意地を張る。偶には翻弄してやりたいなんて、本心とは逆の主張を繰り返してしまう。

「俺、帰ります」
「そう…」

 どちらでも構わないと言うように、ふわりと紡がれる相槌。闇の中、こちらに向けられた顔は微笑んでいる。
 結局意地を張っただけの上っ面の言葉では、彼女を翻弄なんて出来なくて。寧ろ彼女の気のない返事に翻弄されるのは俺の方だ。
 分かっているのに何度も繰り返す俺には学習能力がねえのか(でも、今回こそは、なんて甘い期待が毎回首を擡げる)。

「まだ居てくれてもいいのに」

 満たされ切った表情と、甘く緩んだ声。たったそれだけで、胸が掻き毟られる。
 アンタにそんな顔をさせたのは、俺なのか…と思えば、胸の奥も腹の底もむず痒くなって、本心が溢れだしそうだ。

 本当は帰りたくない、とか。朝まで一緒に過ごしたい、とか。
 どうせ主張するのなら、幸せになれるそれを、と心の奥底では思っていた。
 言えないのは、俺の弱さで。"歳上か歳下か"。"オトコかオンナか"。そんなどうでもイイ事にこだわってしまう、愚かな劣等感のあらわれ。
 下らないと思うのに、錆び付いた固定観念が離れない(俺は案外、融通の利かない男らしい)。

 そう…。彼女の静かな声を頭の中で反芻すると、深く息を吸い込む。

「はい。また」

 感情の籠らない声をかえして、ゆっくりと起き上がる。
 ベッドの上 背中を起こした瞬間に、きゅっと軋んだスプリングは、真っ暗な夜のなか寂しい響きをひろげた。

「ん。またね」

 その何気ない声を聞けば、もっと執着して欲しいと心は騒ぐのに、気付かれたら負けだとこっそり唇を噛み締める。

 勝ちだとか、負けだとか、ふたりの間にそんなものは関係ないというのは、ただのきれいごとに過ぎない。
 結局のところ、客観的に見ればどうやっても俺は彼女に負けていて。
 ふたりで居るのに拭い去れない孤独が、握りしめた拳の中、痛みと一緒にぐちゃりと潰れた。

 一度くらい、引き留めてくれてもいいのに。
 でも。
 アンタが、ここで引き留めて縋るようなオンナなら、これほどまでに心を乱されることもないのだろう。

「それじゃ」
「気を付けてね」

 振り返らなくても分かる、彼女の微笑みを、もう一度だけ見たいと思う。
 脱いだシャツに袖を通しながら、背中に注がれる視線に、消し去れなかった欲望がちりりと音を立てて燻っている。
 だけど。見てしまったらそれだけで、ぎりぎりで保っている危ういバランスが壊れてしまう気がして。

「うす」

 短くかえすと、背中をむけたまま、ばらけた髪を無造作に束ねた。



 始まりはただ乱暴に。
 俺らしくない。そう思えるほど唐突で、衝動的なもの。

 心を奪われたヒトは、他人のオンナ。だなんて、面倒事の典型じゃねえか。
 最後には十中八九不愉快な思いをすることがわかっていた。分かっていても、はじめることを止められなくて。
 どこかで馬鹿みたいだと呆れながら、冷静な自分が、自分の姿を見ている。

 抑制力を臆病さと取り違えそうになるのは、いつも、意図的で(取り違えるというより、すり替えるニュアンスに近い。つまりは傷付くのが怖かっただけ)。
 本当は抑える必要性を意識するより先に、俺を見つめる彼女の瞳に、どうしようもなくやられていた。


 隣に誰がいても関係ないとか、常識や過去なんて大したものじゃないとか、
 筋の通らない理由をつけては、他人のモノを欲しがる腐った性根に言い訳をする。
 でもそれが俺の本音で、所詮俺はその程度のオトコだってことだ。

 アンタを手に入れたくて。ただ欲しくて。そのかわりに俺が差し出せるものなんて何もないけど。
 ちっぽけな理性なんて、飛んで行ってしまえばいいと、本気で思った。

 不愉快な思いをすることがわかっていても、止められない。
 もしかしたら、それも一種のカタルシスで、 不愉快な思いを誰もが無意識に求めているのかもしれない。そうやってヒトは、愚かな自分を浄化しようとするのかも。
 なんて、バカみたいな理屈を考え付く自分の頭に、自嘲の笑みを漏らす。
 でも、そんな理屈でもつけなければ説明できない自分の言動が、頼りなく俺の中で彷徨って、気持ち悪い。


「まだ外は寒いから」
 ちゃんと汗拭いて。風邪をひかないように。

 誰が。いったい誰が俺に、そんなに汗かかすようなことしたんだよ。そう言って、彼女を責めるのは筋違いだけど。
 心の中では、すべてを彼女の所為にしようとしている、さもしい俺。

「当然っす」

 身体を組み敷かれ、俺の下で喘いでいたアンタは、あんなに無防備で可愛かったじゃねえか。
 そのまま全てを征服できそうだ、とすら思えたのに。

 本当はアンタだって、あの日。俺と目と目が合った瞬間に理解したはず。
 常識もつまらない理性も、臆病さや煩わしい過去も。俺たちの間には、必要のないものだと、分かっているはずなのに(目の前の俺とアンタだけがすべてだと)。

 やたらに常識的な台詞で俺を気遣う彼女は、すっかり熱がさめていて。

 あの瞬間は嘘なのかよ、

 疑念が心を捉えれば、時間を戻したくなる。
 再びその身体を組み敷いて、俺の指で、俺の熱で、アンタからその冷静さを奪いたくなる。
 粘膜を刔り、思い切り揺さ振って、掻き交ぜて、意識なんて保てない所まで追いやってしまいたい。

 胸が痛くて堪らないほどに、不埒な想いが頭を離れない。

「どうかした?」
「……や、別にどうもしねえっすよ」

 どうもしない訳がない。頭のなかは、アンタを抱くことでいっぱい。
 たったいま抱いたばかりなのに、既に次の逢瀬に焦がれている。

 何度身体を重ねても、どれだけ深く繋がってみても、アンタの一番奥の部分には触らせてもらえなくて。
 つねに薄い膜で覆われたように、真実には手が届かない。

 どんなに隙間なく繋がっていても、切なさが消えないのはそのせいで。
 なのにアンタは、満たされたように笑うから。幸せを絵に描いたように、溶けそうな顔して笑うから。

 だから俺は、いつも、どうすればイイのか分からなくなる。
 分からなくて泣きたくなる。

 一度くらい。たった一度でいいから。
 アンタの笑顔の奥に隠された、柔らかいものに触れてみたい。強く爪で引っ掻いて、消えない痕を残せたら。


 ベッドの上、無造作に突いたままの掌で、シーツをわし掴む。
 そっと近付いて来る生温い気配に、背筋がぞわりとする。

 アンタが俺に触れる。指先で何かをたしかめるように。
 そうやってアンタは、いとも簡単に俺の心の柔らかい部分を掻き乱すのに。
 ふるえるみたいな、そのたどたどしい動きが、俺をどうしようもない気分にさせているなんて、気付きもしない。
 気が狂いそうな愛おしさで息が詰まる。

 手の平の先端からじわじわと這い上がってくる感覚。アンタの意図は分からないのに、単純な俺はまたすぐに熱くなる。

 やめて…くれ。

 アンタにそんな風に触れられると、我慢の限界を越えそうになる。
 もどかしく皮膚を這うその指を捕まえて、アンタの全部を確かめたくなる。


「やっぱり、帰んの止めるわ」

 勢い込んで振り向けば

「そう…」

 先刻とまったく変わらないトーンで紡がれた相槌に、酷く苛立つ。
 "帰る"でも"帰らない"でも、まったく揺らがない彼女の心には、俺の居場所など存在しないのかもしれない。

「んだよ、それ」

 掴んだ両手をシーツの上に強く縫いつけると、仰け反った顎の下 頼りなくさらされた首筋に、歯を立てた。

「何なんだよ…俺は、」

 痛みに逃げる肩を押さえ付けて、ぎゅうと強く閉じられた瞼にキスをする。
 瞬きで揺れる睫毛の動きが、唇を小刻みに弄る。擽ったい。
 瞳を開いた隙に、目玉を舐めて。シーツに隠れた肌を乱暴に撫でまわす。


「そんなの、奈良くんらしくない」

 ふふ。と、静かに息を吐き出しながら紡がれる声。

 悔しい。でも、それより前に愛おしい(ほら、やっぱり俺はアンタに勝てない)。
 首筋に吸い付けば、束ねたばかりの髪を彼女の指がするすると解く。

「シカマル…」

 唇を重ねながら、やわらかい声で名前を呼ばれたら、もうダメだ。

 カチャリ。焦ってベルトを外し、自らの指でジッパーを下ろす音に、どうしようもなく煽られる。
 まだ何もしていないのに、触れてもいない部分が熱くて。頭の中も顔も爪先も、身体のど真ん中も熱くて。
 ぐるぐると渦巻く欲が、体内を駆け上がる。
 乱れた荒い息を吐きながら、眉根を寄せる俺を、アンタはどう見てるんだろう。

「また、したいの?」

 勃ったモノをやさしく包まれて、腰がびりびりと痺れる。

「……っ!」
「珍しいね」

 相変わらずの微笑みが悔しくて、睨み据える目を、見上げる上目遣い。俺の気持ちなんてぜんぶ分かってるクセに。
 せり上がってくる甘い痺れに、愛しさが絡みつく。ぶる、と身体が震えて。

 アンタから余裕を奪うつもりが、すっかり自分の方が余裕を失くしていた。



――俺らしくない。

 じゃあ、聞くけど。"俺らしい"ってなんだよ?


あなたのその昧で柔らかい部分
二度とそんな風に笑えないよう、ぐちゃぐちゃにしてやる

ほんとうはね、
とっくにぜんぶ君のもの。
脆い姿にこっそり見惚れている、
狡い私を許して――

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2009.03.11
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