ことの始まり


お父さんの言う通りにしなさい。先生の言い付けを守るのよ。先輩の言うことが聞けねえのか。普通は親友なら、こうしてくれるモンだよね。オンナなんだったら、せめてそうしろよ。 etc. etc...


 私の前にはいつも、たったひとつの道しかなかった。周りの人間の言葉に疑問を感じることもなかったし、目の前に与えられた唯一の方向へ進むことには躊躇も感じない。
 選択肢が一つに限られている時点で、それは"選択肢"ではなくなるのだけれども、そうやって周囲から固められていく未来に議論の余地はなく、不自由だと感じることもなかった。
 ――その方がずっとラクだし。
 だって、何も考えなくてもいいのだ。悩まなくてもいいのだ。ただ指示されるままに動けば、それで明日がやってくる。
 もし望ましくない未来がやってきたとしても、自分には何の責任もなくて。私に「こうしろ」と命じた者の判断が間違っていた、というだけ。だから、がっかりする理由もない。
 "自由が欲しい"という欲求を感じるよりも逆に、選ぶ必要もなく自然に進行していく自らの人生の"不自由さが楽だ"とすら思っていた。
 ずっと。彼に会うまで。


「お前って、いっつも黒い服着てんのな」
「この色が好きなの」

 するりと口をついて、そんな台詞がこぼれ落ちる。
 常に誰かの言うがままに流されて生きてきた私が、たったひとつだけ自分の意志で選んだもの。それが"黒"という色で。理屈抜きにその色が好きだった。

「へえ、お前が何かを主張するなんて珍しいんじゃねぇ?」

 確かにそうだ。
 そうなのだけれども、本当にその選択は私の意志だったんだろうか?ことの始まりは曖昧だ。
 もしかしたら、たまたま黒い服を着ていた日に誰かに"その色、あなたに似合うね"と言われたのが理由だったかもしれない。母親に"今日はこの服を着なさい"と、与えられたのが発端だった気もする。
 だったら、その色を好きだと思っているのは私ではなく、私にその言葉をかけた誰か、または母親?
 ただ、私の頭の中にはそれ以外の色の服を身に着けると言う選択肢は、ない。少なくとも今は。似合わない、と思い込んでいる。

「そう?」
「ああ。いっつも流れるみたいに他人の意見を吸い込んでんだろ」
「……だって、その方が正しいと思うから」

 だろうな、見てりゃ分かるって。シカマルが、ふ、と頬を緩める。
 頬の筋肉と一緒に弓型を描いた瞳が、優しい太陽を映して黒く光っていた。…黒。シカマルの目と髪の色。

「なのに、身に付けるものは頑なにその色ばっかって」
「変かな?」
「いや、そういう主張も必要じゃねえの?」

 特にお前にはな。言葉を続けながら、シカマルの掌がぽすんと頭を撫でては、離れていく。心地いい。
 やわらかく凪いだ風に揺れる、黒い結い髪を瞼の奥に焼き付けて。そっと目を閉じると、やさしい響きの低音がするりと耳の奥へ滑り込んだ。

「無意識のうちに、選んでんだろうなあ。黒を」

 "選んでいる"等と言う動詞が、自分の人生に入り込んでくるなんて思いもしなかったけれど。シカマルが言うのならそうなのかもしれない。

「だって、クローゼットの中は黒い服でいっぱいだから」
「すげえな。そんなに好きなのか」
「う…ん、多分」

 シカマルはいつも、適度に力が抜けていて。まるで何も見ていないような緩んだ表情をしているのに、時々びっくりするほどの洞察力を見せつける。
 好き…なんだと思う。そんなシカマルと同じ"黒"という色が。何にも染まらない、永遠の色彩。

「お前もめんどくせぇから、いっつも流れてんのかと思った」
 俺と一緒で、な。

 瞳を細め、はにかんだような表情が私を見つめると、胸の奥がずくり、鈍い痛みを訴えた。
 シカマルのその表情、すごく好きみたいだ。たよりなく動く自分の感情が不思議なのに、その動きは見過ごせないほどの振幅で心をゆさぶっている。

「流れる……」
「そ。周りの奴らに逆らうのって、面倒じゃねえ?」
 反論されて、それを覆す労力が無駄っつうか。

「そうだね」
「だろ」

 シカマルの場合は"流れる"という能動的な行為なのかもしれないけれど、私の場合は"流される"だ。あくまでも受動的で、そこに意志は存在していない。だから、両者は決定的に違うのだ。
 "流れる"と"流される"の間に横たわる溝は、言葉ではたった一文字の違いなのに、限りなく深いモノだと思う。
 何故かその溝をいま、切ないと思っている。埋める方法があれば、と。
 だけど、選ぶことを知らずに生きている私には、きっとみつけることが出来ない。


「ま。似合ってるから、イイんじゃねえ?黒」
「……ありが、と」
「俺も好きだし」

 それが"色"を指した言葉だということは分かっている。
 だったら今、早鐘のように脈打ち続けている私の拍動は何だろう。
 流されてきた私と、流れることを選んできた彼。その差異が、"好き"のたった一言で埋められたような感覚に頭がぐらぐらと揺れている。

「でも、他の色も着せてみてえけど」
 似合うと思うし。

 呟きながら、シカマルは視線を反らして。頭上に広がる青空へ、そっと目を向けた。

「…え?」

 不意に感じた温かい感触。いつの間にか、掌が包まれている。
 理由を探るように繋がれた部分を凝視していたら、きゅっと指が絡んだ。まるで、見せ付けるみたいに。


「白、とか。どう?黒も悪かねぇけどよ」

 初めて与えられた選択肢に戸惑う私を、引き寄せる優しい腕。やっぱりシカマルが好きだ。



俺の色に染めてやる、なんてな。


 耳元に注がれる掠れた甘い声に目を閉じると、やわらかく塞がれる唇。
 脳内は薄桃色に染まった――
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