あおじろいイデア

 小春日和の午後。待ち合わせの公園へいくと、サイくんはブランコを漕いでいた。なびく黒髪とおしげなくさらされた白い腰が芸術的にみえる。
 この寒さに背中も丸めず、表情さえ変えない。きっと彼の周り限定で万年適温気候なのか、それともチャクラを特殊に張り巡らせて肌に触れる気温をコントロールしているのか、どちらかだと思った。でないとこの冬のさなか、無心で風を受けられるはずがない。神様の贔屓だ。
 ブランコのつくりだすゆるい波動に順応して、優雅にゆれている横顔に見蕩れる。言葉をうしなったまま立ち尽くして数分。とん、と軽い足音をひびかせて土が舞う。私の真横で空気がゆれた。

「ごめん、乗りたかった?」

 とてもやわらかい声だった。掴みどころのなさがそのまま音になったような、それでいて真ん中にはしっかり芯がとおっているような不思議な声。淡々としているのにやさしい温度があって、毎回それに聞き惚れる。サイくんの声。

「ううん、全然」

 こんな歳になってブランコに乗りたがる子供っぽい嗜好を私は持ち合わせていないし、なによりこの寒さのなか更に冷たい風をみずから全力でカラダに受けるような真似はしたくない。私はマゾではないのだ。

「案外、気分がいいものなのに」
「ノーサンキュー。寒いのダメ」

 暑いのも寒いのも苦手だが、どちらかと言えばより寒さに弱い。そのくせ、今日の私はコートの前ボタンを全開にしていた。
 風があいた胸元をひやす。短いスカートの裾がひらひらとひるがえる。寒い。寒いけれど、こんな格好をしているのには理由がある。ちゃんと理由があった。

「言動に矛盾があるね」

 そう言って、ほんの一時だけサイくんの視線が胸元にとまる。その角度からは谷間がみえるはずだと思ったら、視線が刺した肌の内側がちりりと焦げた。すぐに反らされた目を追いかければ、およそ年頃の青年らしくない醒めた目が私を見下ろす。呆れた顔のままサイくんはコートのボタンに手をかけた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 むっつ全部ボタンを掛ければ、コートの内側は見えなくなる。味気ないコート姿の私の首に、サイくんがマフラーを回す。一瞬だけゆるく抱きしめられるような体勢になって跳ねた胸は、目的を思い出して急速にひえてゆく。

 新しいワンピース、見てほしかったのに。口内で止まった台詞がむねのなかを不愉快に掻き交ぜていた。

「なんでそんなに不満げなんだい」
「そんなことない」

 別に色仕掛けをたくらんでいた訳ではないけれど、もう少し反応があるものだと思っていた。なのにほぼ無反応だなんて、気合いを入れてこんな格好をしてきた私がばかみたいじゃないか。

「寒いんでしょう?」
「そう、だけど…」

 寒いよ。たしかにものすごく寒いんだけど、寒さを我慢しても見せたいものがあった。サイくんに一番に見て欲しかった。せっかく着てきた新しいワンピースが台無し。これではもう着ていないのと同じだ。
 グレーのコートに阻まれて私の心まで灰色だよ、サイくんのばか。無神経。私の不機嫌に気づくのなら、その理由にまで気づいてよ。

「やっぱり女心って難しいや」
「………」

 わがままを飲み込んだまま黙り込んだら、ナチュラルに手を繋がれた。そのまま、行く先も告げず歩きはじめる彼に引っ張られる。

 もくもくと歩きながら、おろしたてのワンピが急に恥ずかしくなった。昨日の晩に上機嫌で試着して鏡の前で悦に入っていた自分が恥ずかしい。表情に乏しい彼が、どんな顔をするのだろうと浮ついていた自分が滑稽で仕方なくて。
 物心つく頃から精神訓練を受けていた彼が、こんな簡単なことで動揺するはずもないのに。いつも悔しいくらい平淡なのが彼なのに。おなじ忍の私とは覚悟がちがうといつも思っていたのに。私はなにがしたかったんだろう。なにを望んでいた?

 俯いたまま機械的に動かしていた足が止まったのは、それから8分後。

 ここはどこ、と見上げたらサイくんの一人暮らしの部屋にいた。

 今日はデートじゃないの。ふたりで買い物をして、一緒にご飯を食べて、映画でも見ようって、たまには普通の恋人同士のまね事でもしてみようって、そう言ったじゃない。なぜここに?問い掛けようと数分ぶりに彼を見上げたら、形のよい瞳が一度だけゆっくり瞬いて、私を映した。


「大切なのは自然にちらっと、だよ」

 真面目な顔のままサイくんが言う。コートのボタンに白い指が這う。ひとつ、ふたつ。ボタンがはずされる。
 ただ、さっきとは逆の動作を繰り返しているだけなのに、追い詰められるような息苦しさを感じた。

「あの…」
「意図的に見せないでくれる?」


 なにを。
 谷間。肌。かわいい格好。いましている困惑した表情も。


「見せてくれるなら、ほかに誰もいないとこにして」

 ちょっと切なげに眉をひそめたサイくんが、ひどくやさしい声で言った。

 みっつ、よっつ、いつつ。

 6個すべてのボタンがはずれたコートは足元にすべり落ちる。ぱさっ、無機質な音が部屋にひびいて。いつもより少しだけ開いた胸元を、視線が舐める。空気にさらされた太腿を這い纏わる。
 頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくりなぞった瞳が熱くて、サイくんがサイくんじゃないみたいだ。

「可愛いワンピースだね」と望み通りの言葉が聞こえて、あわててコートを羽織ろうとしたら腕をつかまれた。

「なんで、こんな」
「生物学上の適齢期男子としては自然な反応だと思うけど」
「でも 全然興味なさそうに して…た、のに」

 なんというか、私いま恐ろしいパラダイムシフトに直面している気がする。ついさっきまで支配的だった物の見方や考え方が 180度転換したような。信じていた理論的枠組みがガラガラとくずれ去ったような。そんな感じ。
 サイくんが雄の顔をしている。いつもの平淡な瞳が熱っぽく私を捉える。食べられる。私、食べられてしまう。

「そんなこと、ひとことも言った覚えはないよ」

 本当は私浅ましいんだよ。最初から色仕掛けだったんだよ、認める。だけど、ゆるく張ったトラップに、ほんの少しでも引っ掛かってくれたら満足だった。
 望まれたくて期待して。打ち砕かれて落ち込んで。諦めて納得したところをまた引きずりあげられて、そのくせ今度は怯えている。

「こうなることは、予想外だった?」
「サイくんは、乗らないと思ってた」

 短い時間で感情を上から下へ、下から上へとぐらぐらに揺さぶられて、いまはもう、何も考えられない。考えたくない。

「忍は裏の裏を読め、だよ」

 腕を引き寄せられて、腰から下がぴたりと密着する。背中を反らせて上を見れば、すぐ傍にある首筋が白くて。やわらかい声がほんの少しだけ余裕をなくしている。
 そうかもしれない。私は忍失格かもしれない。だってこんなに近くにいる人の心ひとつ読めないのだから。そう思ってきれいな瞳をみつめれば、やけにかすれた声が私の名を呼ぶから。

 彼のなかの些細なゆらぎも、意外な熱っぽさも、あおじろい肌が染まるところも、ひとつも見逃したくなくて。
 傾きながら近づいてくる唇を、目をひらいたまま受け止めた。



あおじろいイデア

へえ。僕を草食系だと思ってたんだ
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