うましか

「嘘じゃねえってばよ、あんなに幸せそうな顔してるシカなんて初めて見たってば」
「ああ。俺も…何にでもめんどくせーが口癖なのによ」

 やけに勢い込むナルトに、半ば呆れ気味のキバ。そんな話になったのは何故だったか忘れてしまったけれど。
 彼らがその光景を見たという時刻を狙って、こっそりと奈良家の森に忍びこむ。
 朝の冷たい空気が、寝起きのぼやけた脳に心地いい。ストレスなんて意識したこともなかったけれど、森林浴などという酔狂な行為が流行るのもわかる気がした。

 チャクラを潜め、足音を殺し、一歩一歩慎重に進みながら、シカマルの幸せそうな顔を見たくて胸がうずうずする。かさり、朝露に濡れた緑はやさしい音を奏で、木々の隙間からこぼれる日差しはまだやわらかい。

「……っ、くく。こら、リク丸」

 風に乗って聞こえてきた声は、淡い光よりももっとやわらかくて。するりと耳たぶの奥に入り込んだ瞬間に、胸をきゅうと掴まれる。

「ほーら…待てって。いっぱいあるから、順番な」

 餌を片手にガシガシと鹿たちの頭を撫でる姿。言葉も仕草も、なんてしあわせそうに力が抜けているんだろう。いつも眉間にシワを寄せて、近付く事象のすべてを拒絶しているようなシカマルなのに。
 ナルトたちの言葉、大袈裟じゃなくてホントだったんだ――

 見たこともないほど愛おしげにゆるんだ彼を見たら、心臓がぐっと締め付けられる。何だろう、これって。苦しい。
 ふっ…ため息をついた途端に、シカマルはみるみる眉間のシワを取り戻して。ぴんと張り詰めた空気が辺りを満たすのに、時間はかからなかった。


「誰だ…ッ!?」

 尖った声を察してか、鹿たちは軽快なステップでばらばらに散らばって。シカマルの幸せなひとときを壊してしまった私は、後ろめたさで声も出ずに踵を返した。
 頭のなかでは一瞬だけの彼の表情が、何度もフラッシュバックして。そのたびに心臓は痛いほどに軋む。

 あんな顔を、こちらに向けてくれるなら――


 ◆


「で、急にあんなヘンなことを言い出したって訳ねー」
「そんなに変かなあ?」
「おかしいに決まってるでしょ」
 最初にあんたが"鹿になりたい"なんて言い出した時には、本気で修業のやり過ぎで馬鹿になっちゃったのかと思ったわよ。

 あ…なるほど、馬鹿と鹿が懸かってるんだ、流石いの。なんて感心している場合じゃない。
 大袈裟にため息を吐き出すいのに向かって、ごめんねとうなだれる。でも"馬鹿"ってのはあんまりじゃないかな。

 あれから、何をしていてもシカマルのあの顔がちらついて仕方ない。寝ていれば夢に見るし、朝早く目覚めればまた奈良家の森に向かいたい気持ちを持て余す。任務でシカマルと顔を合わせれば仏頂面の向こうに記憶を辿っている。
 その結果として「彼氏なんて要らないから、鹿になりたい」と思うのは、そんなに変なこと?
 だいたい元々私はいのやサクラみたいに恋愛に興味はないし、将来の夢が「鹿になること」でも別にいいじゃない。誰に迷惑かけるわけでもないし。

「最近アンタがやけにアイツを目で追ってたのは、そういう訳か」
「え?…あ。うん」
「どうせ気付いてないんでしょ」

 気付くって、何が?問い返す私に、楽しくて堪らないと言いたげないのの笑顔。

「アンタも鈍いから…」

 くしゃくしゃと私の頭を撫でる彼女は、同い年なのに大人びて見える。

「鈍いって、なにが…よ?」

 もう一度、呆れたようなため息をついたいのに、鼻の頭をぴんと弾かれた。

「じゃあ…もう一度。アンタの夢、聞かせてちょうだい」
「うん。鹿になりたい」
「………馬鹿」
「どうして?私だって、本気で鹿になれるなんて思ってないし…」
 でも例えばそうなったとしても、誰にも迷惑なんてかけないよ。

「だからアンタは馬鹿だって言うの」
 なんで鹿になりたいのか、その理由のほうを先に考えなさい!

 やさしい苦笑を浮かべたいのの顔をじっと見つめる。私が鹿になりたい理由、って……。


「シカマルの幸せそうな表情をみたいから?」
「ん…そうね」
「あの顔を向けられる対象になりたい…から、かな?」

 自分の言葉に心臓がばくばくと騒ぎ始める。そうだ、私が鹿になりたいのは――

「それってどういう意味だか、アンタにももう分かってるんでしょ?」
「……―!!」

 どうしよう、どうしよう。ってことは私「鹿になりたい」なんて叫んで、自分の感情を皆に暴露しまくってたってこと?
 それってたしかに頭悪すぎる。いのに「馬鹿」って言われても文句なんて言えないじゃない。

「つまりねぇ。アンタはシカマルのことが、」

 決定的な台詞を聞きたくなくて、両手で耳を塞ごうとしたら、すぐそばで低い声が聞こえて。頼りなく垂らした腕を、誰かがそっと掴んだ。

「いの!ストップ」
「シカマル…」

 ふわり。近くで漂う日なたの匂い。頭上から降ってくる心地よい声。

「そっからは俺が話すわ」
「リョーカイ…」
「わりぃな」
「いえいえ、じゃあごゆっくり。邪魔ものは消えるわねぇ」
「ばっ…!るせぇっつうの」

 笑い声を残して去っていくいのを、呆然としたまま見送れば、訪れるのはむずむずするような静寂。
 やわらかく掴まれた腕が、熱い。触れられた部分に心臓が移動したみたいに、肌のしたで血が騒いでいる。

「あ…の、聞いてた?」
「…ああ」

 怖ず怖ずと見上げた顔は、あの朝脳裡に焼き付いたものよりもずっとやさしくて。まるで愛されている錯覚に陥りそうになる。
 そんな都合のいい話があるわけないのに。なんておめでたい思考回路なんだろう。そういう所も私ってつくづく頭悪い。

「ごめ。気にしないで」
「謝んなって」

 恥ずかしいのに、彼の表情が驚くほどにやわらかく歪んでいるから。向かいあったシカマルから目が離せない。
 やっぱり私は――
 こつん。肩にシカマルの額の感触。今度はそこに心臓が移動する。

「シカ…?」

 ふるえる声。至近距離で感じるシカマルの匂いに、息が止まりそうだと思った瞬間。麻痺しかけた鼓膜の奥に、甘すぎる声が侵入した。


うましか
つうか。お前に鹿になられちゃ、俺が困んだけど
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2009.05.18
奈良家の鹿になりたいんです…
某アサちゃん宅のイラストにインスパイア
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