世界をはじめよう

 その日、朝早い時間にはめずらしく、校内のとおくの方が不自然にざわめいていた。どこか浮足立った落ち着かない空気がこの教室にまで伝わってくる。
 こんな季節外れな時期に転校生でも来たのだろうか。それか、新しい先生が赴任したとか。そんな話はまったくきいてないけど。

「何だこれ」
「さあ。転校生とか?」

 隣の犬塚くんの呟きに適当な相槌をかえしながら、鞄から取り出したノートを開く。ざわざわが、またすこし近づいた。

「そんなの俺聞いてねーぞ」
「だよね。私も」
「んだよそれ。紛らわしいな」

 ごめんごめん。会話しながら犬塚くんとふたりで廊下に顔を出してみたけれど、なにも見えない。理由は何にせよ、あまりに騒がしい空気のせいで、あちこちの教室から人が飛び出しているようだ。時間を追うごとになおさら騒がしくなっている。

「俺、ちょっと見てきてやるよ」

 そう言って席を立った犬塚くんの背を見送って席につくと、私はノートへと視線を戻した。
 見てきてやる、とか言いながら本当は彼自身が気になって気になって仕方ないだけのくせに。くすっと笑ってシャーペンを握り直す。
 もうすぐ1限目がはじまる時刻、あの先生は決まって授業の最初に小テストをやるのだ。できるならぎりぎりまで足掻きたい。
 そうこうしている内にざわめきはどんどんこちらへ近づいてくる。あきらかにこの教室の方向。

「おまっ!それどうしたんだよ」

 叫ぶような犬塚くんの声がずいぶん離れた所からきこえて、おおかた誰かが髪をバッサリ切ったとかそういうことだろうと思った。相手の声はくぐもってよく聞こえないけど、数分後にはいやでも分かるし。別に焦って見に行くほどのことでもない。いまはテストテスト。そっちのが大事。
 そう言い聞かせてノートをめくっていたら、ますますどよめきは大きくなる。男子だけじゃなく女子の大半も騒いでいる。というより女子の浮き立ち方がハンパない。何かおかしい。
 どう考えてもおかしいよ、これ。いったいなにが起きてるの。

 やっと私がおもたい腰を上げかけたのと同時に、教室の扉が開いた。

「…!」

 そこに立っている人物が目に入ったとたん、あ!と息を飲む。教室のあちこちから同じようなため息が漏れていた。

「マジどうしたんだよそれ、シカマル」
「あ?別におかしかねぇだろ」
「いや、おかしいだろ。いつものお前じゃねーぞそれ」

 おかしくはなかった。おかしくはないし、目をみはるほど格好いいのはいつもの事だけれど、今朝はいつも以上。そこに立っている奈良くんはまるで別人だった。毎日きれいに束ねられているはずの長い黒髪が、今日はさらさらと肩で揺れている。

「るせぇ。ちっと寝坊しただけだろ」

 悪ィかよ。言いながら長い前髪を掻きあげる仕草が、びっくりするほど色っぽい。つやのある黒髪が白く細い指に絡んで、さらりと重力に逆らわず落ちてくる。いつも束ねてたから気づかなかったけど奈良くんの髪思ったよりやわらかくて下手な女子よりきれいなんだなあ、とか思ったら、またため息がでそうになる。
 なんなのこの理想ドストライクの黒髪イケメンは。声もでないし、校内がざわつくのも分かる。だって今、私のなかはまるでカオスだ。ドキドキと心臓は好き勝手に暴れまくってるし、冬なのにやたら熱いし、冷や汗でてきたし、おまけに喉もからから。ノートに並んだ文字も判別できない。

「ったく、どいつもこいつも放っとけっつうの」

 顔にかかる髪を鬱陶しそうに耳にかけながら奈良くんは私の前の席につく。ゆったりと鞄をおろして、面倒臭そうに上着のボタンを外した。
 片耳にかけた長髪の隙間から、ピアスがちらりと覗いている。いつもは剥き出しのそれが、申し訳程度にみえるレアものになるとなぜこんなに胸を騒がせるんだろう。ただの金属片なのに、ヘン。今日の私ヘンだ。

「どうしたんだ、顔赤ェぞ」
「そ、そんなことないし!」

 犬塚くんが余計なことを言うから、ますます私がヘンになる。かさかさの掠れた声しかでないし、昨日まで普通に言えてた「おはよう」さえ言えなくなる。

「なんで声嗄れてんだよ」
「か…ぜ…」
「風邪って!お前さっきまで普通の声だったじゃん。普通に喋ってたじゃん。なんで風邪?」

 うるさいバカ犬!もう黙れ!急に風邪ひいたとかでいいじゃんそっとしといてよ頼むから。ただでさえ心臓こわれそうなんだから。


「変なのー」

 それだけ言って犬塚くんは解放してくれたけど、きっと、鋭い奈良くんにはばれている。今朝の私の挙動不審っぷりも、嗄れた声の理由もぜんぶばれているに違いない、恥ずかしい、どうしよう。どうしたらいい。
 ノートの余白に無意味なぐるぐるパターンを描きながら、言い訳を探して頭をフル回転。
 していたら。
 やけに緩慢なうごきで振り返った奈良くんと、ばっちり目が合った。

「おはようさん」
「お、おはよ…」

 掠れた声をやっとのことで捻りだす。早く、はやくまた振り返ってよ。いつもの背中見せて。黒髪をおろした奈良くんの姿は何と言うかあまりに艶っぽくて心臓にわるいから。お願いします。

 必死な心の叫びは届かずに、奈良くんは私の机に肘をつく。シャーペンを持って固まった私を、あろうことか下からのぞき上げたりするから、思わず声が出そうになってくちびるを噛み締める。

「風邪、ひいたのかよ」

 黙って首を降れば、ますます上目遣いで見上げる。長い睫毛の下からするどい瞳に捉えられて、目をはなせない。視線をはずしてくれない。おろしっぱなしの黒髪が私の机をなでている。
 なんで、なにこれ。もう勘弁してください。

「な…なにか?」
「いや。お前、そんな顔もするんだなァと思って」

 なんつうか、意外。そう言って、奈良くんは口角をあげ、にやりと笑った。

 そんな顔って、どんな顔!?



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テスト0点だったらどうしてくれるんですか奈良くんのバカ


2011.12.23
髪を解いた奈良くんが見たかっただけ
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