曖昧なあさ

 禁欲的であることをよしとする思想もなければ、取り立てて古風なつもりもない。けれど、抵抗のすべを失ったオンナに手を出す程に非道なわけでもなかった。

「おはよ」
「…っ!!」

 だから、目覚めたらすぐ隣に柔らかい身体があったとしても、後ろめたい想いを感じる必要はないはずだ。いくら酔っていたからと言って、そこまで理性が崩壊するほどに飢えている訳でもないし。いや、飢えてないこともないんだけど。いわゆる思春期ってやつだから。
 でも、酒に任せてなんてのは俺のイズムに反するし、彼女も流されてそういうことを受け入れちまうオンナには見えなかった。

「シカマル?」
「あ…ああ。おはようさん」

 記憶の糸を手繰る、たぐりよせる。でも、何も引っ掛かってこない。端なんて見えなくて、自分の頭の中のはずなのに果てしなく広い。途方にくれそう。
 二日酔いにはなっていない。前後不覚に陥るほど、酒に飲まれても居ない。
 不思議そうに顔を覗き込んでいるのがたとえ惚れた女だったとしても、手を出していない自信はある。たぶん。きっと。希望的観測ではなく。

「大丈夫?」
「なにが」
「何がって、決まってるでしょう」

 カラダだよ。言って、ふふと笑った彼女の吐息が鼻にかかる。

 ――カラダ。

 小さく身じろぎをすれば、膝頭が布団の中でぶつかった。それだけで、どくどくと血流が乱されている。
 至近距離で重なる視線、額がふれそう。
 化粧を落とした彼女の顔、久し振りに見た。すっぴんでも全然イケる。可愛い。
 ひどく咽喉が渇いていた。

「大…丈夫みたいだけど」
「そ。よかった」

 いやいやいや、良くねえだろ。気が付けば俺、上半身には何も纏っていないし、彼女も薄いキャミソール一枚だ。くる、こちらを向いた瞬間に滑り落ちた細い肩紐。わざとらしく目の前に迫る鎖骨。笑っててイイのかよ、この状況って。

「昨日はもうすっかりダメって感じだったから」
「わりぃ」

 むしろ今のほうがすっかりダメって感じなんだけど、と心の中で思ったけれど。口に出す勇気はなかった。
 まともに見ていられなくて、顔を反らす。視線を流す途中に飛び込んできた首筋の赤い痕には、気付かないふりで。あれ、どう見ても――
 でも、記憶にない。まったく。
 もしかしたら迷惑をかけてしまったんだろうか。嫌がる彼女を無理に、とか。だけど、そうだとしたら今の友好的な態度はあり得ない。じゃあ、彼女も同意の上で?

「まだ早いから、もう少し寝てたら」
「おう」

 意識的か無意識か、首筋の変色した部分を彼女が撫でる。

「それ」
「え?ああ」
「ムシ刺され、とか?」

 そんな訳ないよなと思いつつ、また希望的観測に縋ってみる。

「……まあ」

 ほんのり染まる頬。口ごもる仕草。じゃあ、それを付けたのは――
 ムシは俺、か。でけえ虫。

「忘れちゃった?」
「……わり」
「そっか」

 同意の上かどうかはともかく、何某かの行為があったことは間違いない。でも、まったく覚えていない。なんか、すげえ勿体ねえけど。
 勿体ない。
 動けない。
 指先同士がかすかに触れている。
 ずくん、肌の接触面が熱を持つのと同時に、昨夜も感じた感覚が身体の中に落ちて来る。臍の裏側がむず痒い。熱い。
 いつもは隠れている肌の、あまりの白さ。それを味わいたくて、押し倒したこと。首筋に吸いついて、感じた甘い香り。
 そこからぷつり、記憶が途切れている。
 あれから俺は、何を――

「のど、渇いた」

 天井の白い部屋。レース越しに差し込む光はまだ薄い。グレーに染まった壁、天井。
 お水で良いかな。立ちあがる彼女の声も、いつもより嗄れている。それが、さらに臍の裏側を擽った。この感覚、良く知ってる。欲。
 半身を起こす彼女の動きにあわせて、ベッドが軋む。
 入りこむつめたい空気。それに反比例するように熱を持つカラダ。

「ちょっと待ってて」

 ベッドサイドに腰かけた彼女。その細い背中を見ていたら、衝動的に抱きつきたくなった。たぶん、昨日の夜と同じように。無防備な柔肌は反則。
 白いうなじに、やわらかいブラウンの髪がかかる。隙間に覗く痕。 
 
「やっぱイイわ」
「シカ…」
「それより、ここに」

 括れた腰に後ろから腕を伸ばして、引き寄せる。強引に。
 背中に押し付けた頬に伝わるお前の鼓動。どくんどくん。びっくりするほどに早い。確かに俺は、昨日もこれを聞いた。おぼろげなのがすげえ悔しいけど、たしかに。

「思いだしたんだね」
「へ…?」
「昨日と一緒」
「いや」
「そうなの?酔っ払ってのど渇いたって言うから、」
 お水取りに行こうとしたのに。抱きつかれて、押し倒された。

 言って振りかえったお前が、乱れた俺の髪をくしゃりと撫でる。

「……なんか、色々わりぃ…な」
「ぜんぜん」

 表情は、はじめて見るほどにやわらかくゆるんでいて。
 何それ、まるで俺のことが大切でたまらないって顔。俺にだったら何されてもイイって顔、すんな。堪らなくなる。

「つうか。覚えてねえのがマジ勿体ねえ」

 するり、掌を滑らせて。なめらかな太腿にふれる。ほそく漏れる吐息、ゆらゆらと揺れる肩。指先が溶けそう。思いながら、唇を塞いだ。
 昨日の俺も、こうしてお前に触った?


曖昧なあさ
なくした記憶は、これから埋めるから
昨夜は紳士なままだったのに、ね。
ふりつづける口付けに翻弄されて
何もなかったと言う隙がなくて―
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