無限の螺旋


 くるくるぐるぐる。回る。廻る。すべてが私の周りで、まわり続ける。いつからかは分からない、多分黒髪の下にある瞳がどこか見えない一点を見つめるように歪んでいるのだと気付いた頃から。じゃあ、いつまで。





 蝸牛。からからに干からびたカタツムリの殻が、夏の終わりの太陽を受けて鈍く光った。こんなところにも、らせん。空に向かってなだらかに渦を巻く螺旋状の貝殻。
 まだ乾いた九月の風、舞い上がる土ぼこりが目に痛い。なのに小さなそれから、何故か目が離せない。汚くてちっぽけなかたまり。
 回る、思考。
 回るカラダ。
 目に映るモノも回る。

 強い風に吹かれてころころと転がった蝸牛が、コツン。誰かの下足にぶつかる。綺麗な足の爪。縦長の親指は、女にしては大きくて、男にしては白すぎる。

「あ」
「…え?」
「いえ。お疲れさまです」
「お疲れさん」

 奈良さんの足元で、音もなく砕けた小さな欠片。
 渦を巻いたカタチは粉々で、もう元はどんな形だったのか分からない。ぐるぐるくるくる、ぺしゃん。

「あー…潰した、か」
「そうですね」
「わりぃ」
「いえ。ただの蝸牛の殼、ですから」
「…そうか?」

 ただのちいさな欠片に、執着していた。この人は、そんな些細な他人の心の動きまで読み取ってしまうんだろうか。視線や表情やため息で。
 回る思考。この人はいつも落ち着いていて、なのに、えも言われぬ切なさを纏って。真っ黒な瞳のその内を誰にも晒さない。
 ぐるぐるくるくる、ぺしゃん。無造作に潰された石灰質の物体は、回ることなんて何の意味もないと、言葉で否定されるよりもなにかが胸に響いた。深く刺さっていた。それすらも、彼には読み取られているのかもしれない。

「大丈夫、です」

 彼の足元から聞こえた、かすかな悲鳴は気のせいだ。きっと中はもう空っぽだったはず。身体はすでにどこかへうつったか、とっくに干上がっている。だって、あまりに季節はずれだから。
 俯いた視線を起こしたら、うすい耳たぶでピアスが光る。瞳に入り込んだ刺激が頭のなかで神経回路を伝って、感情を生み出す。きれい。また回っている。回路というくらいなのだから回る道なのだ。人間はまわるものとして作られている、最初から。

「ほんとかよ?」
「はい」
「じゃ、ちょっと手伝って」

 端正な横顔。いつ見ても、奈良上忍にそっくりだ、と思う。
 整っていて理知的で冷静でつめたくて、でもじわりと優しい横顔。奈良家の遺伝子、というものが目に見えるカタチになって現れたのが今の彼の相貌なのだとしたら、それもまたループだ。廻る、まわる。この世のすべては回り続ける。また回り始めた。
 気怠そうなのに無駄のない動き、ゆるやかで鋭い視線の運び。なにもかも見透かすような、瞳。心を吸いこんでしまうような、双眸。やっぱり、かすかに歪んでいる。
 その理由を知りたいとは思わないけれど。彼のなかにもきっと、ぐるぐる回るものがある。夢を、見ることはあるんだろうか。さめなければいいと思えるくらい、幸せな夢を。その顰めた眼をやわらかくゆるませるような夢、を。

「どこまで運べば?」
「ん。二階の端の執務室。時間、いける?」
「今日はもうあがりです」
「なおさら悪ぃな」

 申し訳なさそうにはにかんだ顔、遠慮がちに手渡される書類の束は、半分よりもずっと少ない。
 彼が夢を見ることがあるとしても、その無意識の時間はやっぱり目覚めている時間に繋がっていて。想いは途切れず回り続けるのだろうけれど。過去からいまへ、そして未来へと。

「いえ。どうせ暇ですから」
「用事とか、ねえのかよ」
「あり…ま、せん」

 部屋に帰っても、またくるくるぐるぐる回るだけ。思考が。そして身体の中では目に見えない体液が、神経を刺激する電気信号が、地面が空が、時間がまわる。
 今日の始まりは昨日の終わりで、この瞬間の終わりは次の瞬間の始まりで、何かがぷつりと途切れることなんてなく、いつも次へと繋がっていく。

「良かった」
「よかった?」
「これ、ぜんぶ運び終わったら」

 口元を歪めた奈良さんの顔から、切なさがすっと姿を消して。眦はやわらかくゆるんでいる。なぜ、だろう。

「飯、つきあって」

 ぐるぐる。
 回り続けていた時間が、ぷつり。止まった。



ちなみに 断るのは禁止、な。
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