約束の3秒前
教室に自分をよく知る人間がいる、という状態は微妙なモンだ。好ましいと面倒臭いの狭間でいつもゆらゆらと行ったりきたりをくりかえす。
放っておいてほしいという意志は、尊重されることもあれば、無遠慮に踏みつけられることもあって。それに規則性を見つけられないのは、俺が分析の手間を惜しんでいるからではなく、ヤツらの思考回路に一貫性がないからなのだと思う。
シカマルは机に俯せたまま、雑音のようなキバとナルトの会話にテキトーな相槌を返す。昼休みがもうすぐ終わる。教室中にいろんな食べ物の匂いがまざりあって漂っている。
「で、覚悟はOK?」
「は?」
今日はどうも無遠慮に踏み込まれる方の日、なのらしい。
口数は昔から多いほうじゃない。言葉にする必要性を感じることなんてそれほどたくさんあるもんじゃねえから。けれどキバの台詞の脈絡のなさに、ほかにどう反応すればいいんだろう。
は?なんの覚悟だ。うーとかあーとか適当に返事していたさっきまでの会話のなかに、覚悟を必要とする内容があっただろうか。
半分も聞いていなかった会話の断片を繋ぎあわせるのは面倒だ。こういうときは黙っているに限る。
「今日こそはシカちゃんの意中の人とやらに会わせてもらえんだろ」
「見たい、みたい!すげえ興味あるってばよ」
「バーカ」
んな簡単に会わせられっかよ。
そう思ったけれど、口にはしなかった。何がどう転んでそんな話になっているのか、さっぱり見当もつかない。
「あ。ずりぃ、また逃げる気かよ」
「イイ加減、腹くくれってば。シカの選んだ人、見たいだけだから」
それとも、見せたくねえの?
「別に」
そんなんじゃない。見せたいとか、見せたくないとか、そういうことはかんがえたこともなかった。見られるのが恥ずかしい訳でもない。でも見せるのはちょっともったいない気もする。
恋をした相手がどんなヤツか、他人の評価は欲していない。ただ俺が好きだと思っていればそれでいいと思う。多分あの人の本当の姿は俺以外には分からないから。へえ、なるほどね。なんか意外だけど、いいんじゃねえ。そんな適当なことばで形容されるのはイヤだった。自分はいつも適当な相槌しか返さないくせに。どこかでは、むしろあの人の本当の姿に俺以外気付かなければいいと思っているくせに。
面倒だ。言葉にするのがただ面倒だった。それだけ。
だから黙っていた。
「何スカしてるんですかァ」
言葉にすればそれに付随して面倒事が広がるのが人生だと思う。
個々の言語認識にはどうしても差が生じるもの。常識とか共通理解というものですらたいしてアテにならないから、ひとつ言葉を発すればそれを説明するために何倍もの言葉が必要で、またひとつ言葉を発すればその何倍も。そうすれば必要な言葉は何十倍何百倍と増えていく。鼠算式に。
だから黙っているのだと言ったら、キバにはシカちゃんって面倒臭がりのくせにいつもめんどくせーことばっか考えてんのなと背中を思い切り叩かれ、それがシカちゃんだってばよとナルトは大声で笑う。
「るせぇな、放っとけよ」
確かに。面倒臭がりなのは認める。めんどくせーことを考えているのも認める。でも意図的に考えているのではなく、すべてがオートマティックなのだ。
例えば人を認識したと同時に開く自動ドアみたいなもので。鍵を回したら動き出す車のエンジンのようなもので。熟考するとかそういうのとは全く逆。目の前に現れた状況とほぼ同時に勝手に脳が動いている。
「強がってもムダだってばよ」
「そうそう。朝からそわそわしてんのは、分かってんだから」
だったら、そっとしといてくれ。思う存分そわそわさしてくれ。
朝からそわそわしていた?こいつらに分かるほどに?だから同じクラスになるのは嫌だったんだ。黙ったまま立ち上がる。
「やっぱ逃げんのか」
「ちげえよ」
ベンジョ。短く吐き出して教室を抜けだせば、廊下の空気は澄んでいる。
帰ってこなかったらテキトーに言っとくってばよ。ナルトの声がちいさく聞こえた。なんだ結局放っといてくれんじゃねえか。ってことは俺が黙ってても喋っても、ぜんぶ気付かれてるっつうこと。面倒だし照れ臭いけど。
だったらさっきまでの会話はなんだったんだろう。やっぱりアイツらの思考回路はさっぱり分からない。
「ごゆっくりー」
間延びしたキバの声に、背中越しで手の平をひらひら。
行く先はひとつ。午後の授業を抜け出して屋上で。多分あの人は先にきて待っている。俺が来ても来なくてもどっちでもイイって顔で。空はあおい。
約束の3秒前 ちいさくサンキュと呟いた。 ちょ、どけってキバ。
押すな、バカナルト。