無垢な叫び


 ひとつの噂がある。
 それが本当かどうかを確かめるためには、彼を疑う必要がある。けれど、確かめようとしたところでそんなに簡単に事実が発覚するわけはないし、そもそも確かめることの意味が、私にはよくわからなかった。





 呼び鈴もないその場所には、同じ色の鉄扉がいくつも並んでいる。シカマルが一人暮らしを始めたぼろアパート。薄暗い廊下を挟んで左右それぞれにずらりと列ぶ扉の群れ。およそ無機質でなんの特徴もない空間は、迷路にまよい込んだ錯覚に陥らせる。その内のひとつに「奈良」と書かれた表札がなければ、私はいつも途方に暮れるに違いない。
 薄暗い蛍光灯に照らされた廊下に、履いているサンダルが発する小さな音が響く。二度ノックすれば、渇いた音が闇に広がった。

「来たよ」

 シカマルの部屋に、私が来た。見れば分かる事実を、わざわざ口にするのは照れ隠し。本当は、ただいまとか、会いたかったというニュアンスと同じくらいの意味で。素直にそんな甘い言葉を選べない私の強がりも、多分彼にはぜんぶ見抜かれている。

「ああ、お疲れさん」

 鼓膜の溶けそうな声を発した後、伸ばされた彼の腕。縋るように胸を掴めば背中をぎゅうと強く抱きしめられた。シカマルも私を待っていたのだと、所作が伝える。
 それだけで満たされるのだから、なにを確かめる必要があるんだろう、と思う。毎回。女友達には会う度に焚きつけられて、あんたは甘すぎると説教されるけれど。
 私が確かめようとすれば、シカマルはきっと困るだろう。彼を困らせたいわけではないのだ。人間を十数年やっていれば、秘密のひとつやふたつ持っているのが当たり前だと思うし。普通の人間ではなく忍、それも優秀な忍だったらなおさらだ。


「だからこのままで良いと思うんですよね」

 翌朝たまたま待機所で一緒になったイズモさんに、事の経緯を話しながら、やっぱり私は確かめたいなんて思ってもいないのだ、と改めて気付いた。

「いいんじゃないの」
「そうですか」
「ああ。お前のそういうところ、俺は好きだな」
 女の子って普通、噂好きで面倒臭いことばかりやってるイメージだから。

「私にとっては多分、自分の知ってるシカマルだけがシカマルなんです」
「真理だね」
「そういう難しいことは全然考えてませんよ」
「でもお前は、噂の特性や本質を無意識で感じ取ってるんだと思うな」
 あいつの真実も。

 イズモさんの言うことは半分もわからなかったけど、何故かその言葉がとても嬉しい。片方だけ見える瞳は、いつもの醒めた色を抑えて、朝のやわらかい陽射しのようにやさしく見える。
 シカマルは話したいことがあれば話してくれる人だと思うし、彼が話さないのなら、それは知られたくないことなのか、または、たまたま話題にならないだけなのか。それとも、シカマルはサインを送っているのに私が気付かないのか。
 いずれにせよ、私とシカマルの間ではたいした問題じゃない。噂はただの噂だ。
 深夜に訪ねれば、任務のないときはいつも彼はそこにいて、差し出した腕を取ってくれる。心の溶けそうな声で名前を呼んで、隣にいてくれる。その瞬間はたしかに彼の意識が自分に向いているのを感じるし、言葉にできないくらいに充たされる。
 私に触れているときのシカマルは私だけのもので、泣きたくなるくらいに優しい指先が声にならないものを伝える。他人が彼をどんな風に見ているかは、どうでもいい。だから。見えない時まで彼を縛ろうとは思わない。
 いくら、そんなの信じられない、嘘でしょう。物分かり良すぎるんじゃないの?とくノ一仲間に言われても、それが事実。

「私って、冷めてるんでしょうか」
「いや…そんなことはないんじゃないかな」
 お前がそんな人間だからこそ、奈良はお前の傍にいる。そういうことだと思うな。

 イズモのやわらかい表情を見ていたら、自然に口許がゆるんでいた。十も年上の先輩を捕まえて、朝からなにを話しているんだろう。
 人生色々、か――
 この部屋に名前をつけた人物はなかなかセンスのある人だったのかも。もう一度笑って、イズモを見上げる。

「でも、」
「え?」
「そんないい笑顔は、やたらに振り撒かないほうがいいかも」

 ほら。顎宛てで隠れた、多分尖った顎が指し示す方角は部屋の入口。
 イズモの動きにつられて振り返れば、細く開かれた扉。かすかに眉根を寄せたシカマルが、ほんのすこし不機嫌そうに佇んでいた。

「お前よりシカマルのほうが、ガキなのかもね」





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