チェリーの誘惑
あんたが俺に触れるから――
チェリーの誘惑「とにかく、一時間ほど動かないで休んでなさい」
「うす」
「そのうち薬が効いてくるから」
もう少し落ち着いたら、ベッドにうつる?私の声に、奈良くんは無言で頷いた。
昼下がりの保健室は、ふたりきり。しずかだ。白すぎる壁に太陽が反射して眩しい。
そっと片手をとる。とく、とく、とく、規則正しい脈。少年らしいみずみずしい皮膚の下、血液は順調に巡っている。なめらかな皮膚に透ける青い血管。
「奈良くん、ちゃんとご飯食べてるの?」
「まあ」
「一番食べ盛りなんだから、しっかり食べなくちゃだめだよ」
「………」
その言葉に返事はなかった。
聞いているのかいないのか、奈良くんは目を眇めて窓の外を見ている。
私もたいして意味のない決まり文句を並べているだけ。返事は最初から期待していなかった。
それにしてもこの少年は、すこし痩せすぎだ、と思う。痩せすぎの上に、白すぎる。ちゃんと太陽を浴びているんだろうか。
草食系男子がはやりだかなんだか知らないけど、生き物はみんな必要な栄養を摂取して、太陽あびないと。そういう風にできてるんだから。
背けたままの顔。ほんのり耳が赤い。熱もあるのかも、ベッドに入れたら計っておこう。
「ん。脈は安定してるみたいだね」
さ、ベッド行こうか。促す台詞を遮って、鋭いまなざしが私を見据える。突然、手首からはなれた指を掴まれた。絡む指先。
「そんなんじゃあんた、そのうち保健医クビになんじゃねえ?」
「は…?」
くつくつと喉の奥で笑うやり方は、そこらの大人の男よりもずっと余裕がある。そんなの、いつ、覚えたんだろう。
「ちゃんと取れっつってるんすよ」
「なにを」
「……脈」
保健室で取るっつったら他になにがあるんすか。
じゃあ、私がたったいままで、手首をつかんでいた行為はなんだと言うんだろう。脈を取ってたんでしょうが。抗議するのもバカバカしいし。教師をからかうのもいい加減にしてほしい。
「たしかにほんのすこし早めだけど、乱れてないから問題ナシ」
ほら。さっさとベッド行って。突っぱねるように言ってみる。奈良くんはそれでも手をはなさない。それどころか、ますます深く指を絡める。
「マジでわかんねえの?」
「だから、なに…が」
「ほんのすこし、じゃねえっすよ」
「……!」
ふわりと香る爽やかな香り。急に閉ざされた視界。細いカラダからは想像もつかない力で、抱きしめられている。
「ちょ!はなしなさい」
「いやっす」
とく、とく、とく、と、と、と、と、と。びっくりするほど早い鼓動。なんだこれ、何故さっきは気付かなかったんだろう。たしかに保健医失格と言われてもしかたない。
「なんで、こんなに」
「あんたが気付くまではなさねえ」
「なに…を」
「いい加減、わかんだろ」
しなやかな筋肉に覆われた胸からは、むせそうな男っぽい匂い。
「つうか、分かれ…。頼むから」
強気な言葉とは裏腹に、かすかにふるえているカラダ。
耳元では、うるさいくらいに脈拍が息づいていた。
チェリーの誘惑なんなら一緒にベッド行きます?