ワレモノ注意

 他人とは、「自分に眼差しを向ける者」、いや、「眼差し」。
 そう言ったのは誰だったか、忘れてしまったけれど。彼女はその「他人」に対する意識が低すぎるのではないかと思うことがある。よくある。しばしばある。つうか、ほとんど四六時中そう思っている俺は、どこかおかしいんだろうか。シカマルは心のなかだけで呟く。

「シカちゃん、怖ェ顔になってんぜ」
「るせえ」
「あー…あれね」

 クンと鼻を鳴らして、キバが顎で示した先の光景。コイツの察し通りだ。やっぱりキバは鋭い。
 遠くから近づいてくる年上のカノジョ(と、連れの男一人)を見ながら、またかよ、と思った。

「シカちゃんもそーゆう感情は持ち合わせてんだ」
「んだよ、そーゆうって」
「……嫉妬、っつうの?」

 嫉妬。なのだろうか、この感情は。大好きなはずの彼女の笑顔を見て、腹立たしく思う気持ち。またかよと呆れながら、自然に顔が強張っている。見たくないのに、目が引き寄せられる。これは――。

「なんか俺、ちょっと安心した」
「ちげえよ、バカ」
「ま、どっちでもいいや」

 俺、お先ー。報告書よろしくな。ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべて去っていくキバに舌打ちをひとつ。
 確かに、不愉快だった。カノジョはともかくとして、並んでいる男の態度がカンに障る。
 苛立つ鼓膜に馴れ馴れしい会話が聞こえてきて、シカマルは眉間のシワを深めた。

「最近ますます綺麗になったよねェ」
「そんなの、気のせいですよ」
「いや、間違いない。口説きたくなるって、皆の噂だよ」
「……冗談が上手ですよね、先輩」
「まじまじ!!信じてよ」

 かなり遠くにいるのに、すぐそこで喋ってるみたいに聞こえてくる声。上手くいった任務の帰りだろうか、ふたりともやけにリラックスしている。それに反比例するように、ざわざわ波立つ心を、シカマルはじっと抑えつけた。
 こういう時は毎度、忍になったことを後悔するのだけれど、いまさらってヤツだ。俺の聴覚は既に、しっかり音を拾いあげるように訓練されてしまった後。聞きたくなかろうが何だろうが、忍の耳は勝手に情報を掬い取る。声だけで、彼らの表情まで見える気がした。
 たぶんカノジョは、きれいに笑っている。そして男はそれを見ながら、だらしなく顔の筋肉をゆるませているのだ。腹が立つほど、下心を剥き出しにして。





 受付に寄って外へ出ると、ちょうどふたりが建物へ入ってくるところだった。本心が見破られないように、強張る頬をゆるめて。入口ですれ違うカノジョと挨拶を交わしながら、そっと目配せ。

「お疲れさまっす」
「奈良くん……お疲れさま」

 読唇術を使わなくても、お互いの意志を確認できる程度には、繋がれている。

(先にお前ン家で待ってるから)
(わかった)

 返ってくる視線がほんの一瞬だけ俺を捉えて、嬉しそうに細まる。良い顔。口角をわずかに上げた顔のまま、ふたたびお前は男を見上げた。

 その表情は、俺のモンだったのに。俺のためだけの表情だったのに。なんでアンタまで見てんだよ。馬鹿げた感情が沸き上がる。
 なりふり構わぬ子供だったなら、いますぐその腕を取って逃げ出したい、と思った。
 だけど、そんなことが出来るはずもない。俺は忍で、カノジョも忍で、ここはまだ俺たちが後輩中忍と先輩くノ一でいるべき場所、だから。
 布の面積の少ない忍服から、惜し気もなく白い肌がこぼれている。夕暮れのひざしが、淡いオレンジに染める肌。邪魔にならないようにまとめた髪のせいで、あらわなうなじ。わずかな後れ毛が、ひどく色っぽい。
 わざと他人の目を引こうとするタイプじゃないだけに、カノジョは余計タチが悪いのだ。どれだけ自分が魅力的に見えているのか、どれだけ他人の視線を引き付けているのかに、まったく無頓着。

「ったく、ちったあ自覚しろよな…」

 音にならないくらい小さな声で呟けば、一緒にため息がもれる。惚れた欲目を度外視しても、ドキドキするような姿。

 無意識で振り撒くその色に、惑わされるのがオトコってモンで。行き過ぎたあとに振り返れば、隣の男はやっぱり物欲しげにカノジョを見ていた。
 他人が物としてではなく人として存在するのは、そこに眼差しがあるかないか。椅子や机などの物体との違いは、眼差しの有無だ。物はカノジョを見ないが、人はカノジョを見る。そうやってつねに見られていることを、もう少しだけ意識してくれたなら。

「このあと、暇?飯でもおごるよ」
「いえ、今日は…ちょっと」

 彼は彼女を見ている。熱のこもった眼差しで。
 俺も彼女を見ている。眉間にシワを寄せて。
 今日は、ちょっと…ってなんだよその隙だらけの返事は。もっとハッキリ断ればイイのに。

「なに?誰か良いヒトでも待ってんの?黙ってれば分かんねえって」
「いえ。本当に、無理なんです」
「つれねぇな。じゃあ」

 また今度な。男がカノジョの腰を抱く。振りほどくこともせず、微笑みを浮かべた顔は、遠目にもきれいだった。

 見ていても、不快になるだけ。
 シカマルはぎゅっと眉間のシワを深めたまま歩き始めた。カノジョの部屋までは、ここから数分。

 願わくば、いつも笑っていてほしいと思う。だけど、俺以外の奴の前では、そんなに幸せそうに笑うなよ、とも思う。独り占めするつもりはないし、信用もしている。
 なのに、なんだろう。この苛立ちは。もやもやと胸を焦がす感覚は、いったい何なのだろう。





「ただいま」
「思ったより遅かったな」

 おかえり。玄関先まで出迎えるなんて、面倒臭い真似をしている自分に驚く。でも、ほんの少しでも早く、カノジョをこの腕に収めたかった。

「ごめんね、あの人しつこくて」

 抱きしめてホッとした気持ちは、他の男の存在を指すたった一言で消え失せる。「あの人」。さっきの物欲しげな男の顔がちらついて、ムカムカする。
 衝動的な行為だった。とん、と、壁際に細い身体を押し付けて低く笑う。両腕で囲いこめば、簡単には逃げられない。勢いに任せた行為の裏で、何かがほんの少しだけ満たされて、口端を歪める。

「な、に…」
「…何、じゃねえだろ?」

 頭ひとつ分下にある顔へ、触れそうなほど額を寄せる。ぎりぎりまで。でも、まだ触れない。
 自分でも笑ってしまいそうに低い声をこぼす咽喉。

「……あの」
「理由もわかんねえのか、っつってんだよ!」

 ぴくりと肩を揺らして、俯く顔。顎に手をかけ、そっと持ち上げて、無理矢理視線を合わせた。

「さっきのアレ、なんすか…先輩」
「奈……っ、シカ」

 何ですか、も、なにもない。カノジョはただ、平常通りに任務を終えて、マンセル相手の男と一緒に里へ戻ってきた。それだけ。頭では理解しているのに、心がついていかない。唇からは、言葉が勝手に溢れだす。
 忍の心得 第25項 感情制御の項文なんて、くそくらえだ。カノジョの前では、そんなことすら身につけられない未熟な忍になり下がる。

「なんであんな奴に隙見せてんだよ」
「隙なんて」
「見せてないとは言わせねえ」

 ただの馬鹿な男になり下がる。
 言葉を続けようと薄く開いた唇を、乱暴に塞いだ。


 腕の中で足掻くカノジョの体温が、手の平に触れる。肌の露出が大きな忍服。さっきまで俺じゃない奴がそれに触れていたのかと思ったら、身体がカッと熱をあげた。

「だいたい、なんで…お前は」

 使う技の関係で、その形状のほうが忍服も髪型も効率的なのは分かる。頭ではわかるけど、やっぱりイヤで。この類の自己主張なんて、ガキっぽいから絶対に通したくないのに。口にするつもりもなかったのに。

「なんで、んな格好しなきゃなんねえんだよ」
「……シカマル?」

 なんで他の奴に簡単に触れさせてんだ、なんで誰にでも笑顔を晒してんだ。
 なんで、どうして。
 カノジョの背中の壁を、ごん、抑えた拳で一度だけ殴り付けて。

「……クソッ」

 不思議そうに、でも、心配げにこちらを見る上目使い。

「俺以外の奴に、肌見せんな」
「どうしたの……」

 どうしたの、って、全部お前のせいだろ。そんな顔、誰にでも見せるのは止めてくれ。頼むから。黙って余裕のフリすんのも、限界。
 両肩をぐい、と壁に押し付けたまま、無言でくちびるを貪る。何度もなんども。このまま飲みこんでしまえたらイイのに、ぜんぶ俺のモンになればイイのに。

「無防備すぎんだよ、バーカ」

 なんども重ねた唇が、やわらかく溶けて、赤く色付き始めた頃。カノジョは苦しげに、震えている。だけど、こんなもんじゃ全然足りない。足りない。もっと。

「ちょっと待って」
「待たねえ」

 腕を伸ばす身体を、抱え上げる。抵抗する両手を頭上で束ねて、押し倒す。男と女の力の差なんて歴然。
 諦めろ。





「他人の視線をもっと意識しろっつうの」
「……ん」

 組み敷いて見下ろせば、やわらかい微笑みがそこにあった。怯えの欠片もない優しい眼差し。俺のすべてを受けとめて、包み込むような視線。
 俺はいま、どんな眼差しでお前を見ているんだろう。

「俺の身が持たねえから」
「ごめんね……シカマル」

 両手の拘束をといて、肩に顔を埋めた。甘くてやさしい、お前の匂い。首筋に縋り付く、細い腕。
 それを感じたら、さっきまでのもやもやなんて、どうでもよくなった。

「マジで」
「うん。ホントに、ごめん」

 謝っているけれど、コイツはきっと忍服を変えることはしないし、これからも無防備に笑顔を晒すんだろう。他人の眼差しなんて、気にもしないで。
 それでも俺は、決してお前を手放せない。手放すつもりもさらさらない。だっていま俺を見上げる顔は、今までで一番、愛おしげにやわらいでいるから。

「んじゃ、お詫びの印。見せてもらうかな…」

 きっと明日のお前は、今日よりももっとイイ顔をして、俺を見つめるに決まってるから。

「どうすれば、イイ?」

 白々しい問いかけに、喉の奥で低く笑って。額にキスをひとつ。

「知ってるくせに」

 カ・ラ・ダで。耳たぶを甘く噛みながら囁けば、こぼれ落ちる吐息はもう、潤んでいる。結った髪に手をかけて、解けた瞬間、匂い立つ色気にため息が出る。

「じゃあ、ベッド…行こ」

 返事の代わりに唇をふさいだまま、もう一度カノジョを抱き上げた。

 細い指が、俺の髪をほどく。息を飲むカノジョに口づける。
 そのあとのふたりは忙しかった。
 飽きるほど唇を重ね舌を絡ませて、合間に何度も名前を呼ぶ。謝罪の台詞に混ざる、浅い吐息。自然にあふれだした愛の言葉。
 首筋に、鎖骨に唇を落として、ひとつ、ふたつ、みっつ…いくつもの朱が真っ白な肌に散らばる。そのたびにきゅっと寄せられる眉根に、毎回心臓を握り潰されそうになる。その表情が、すごく好きだ。
 なぜだろう、「身体を重ねる」、同じ行為を繰り返しているだけのはずなのに、重ねるたびに新しい発見がある。見たことのない顔を見せられる。

「…シカマ ル」

 聞いたことのない声を聞かされる。名前を呼ぶ声がだんだん甘く煮詰まって。昨日呼ばれたよりも、もっと甘い。さっきよりも、ずっとずっと甘い。
 もつれあい、脚を絡ませて、見つめる。たったいま、この瞬間の表情を見逃さないように。
 早く繋がりたくて堪らない気持ちの一方で、なぜか勿体なくて。丁寧に、ゆっくりと、身体をひらいてゆく。
 執拗に攻める指に絡み付く肌の感触も、唇を噛んで堪える表情も。

「我慢、すんな」
「してな…い」

 それでもこぼれる吐息の甘さも、身をよじる背中のラインも、ぜんぶ残さず焼き付ける。視覚に、聴覚に、体中の感覚に、ひとつひとつ刻みこむ。
 腰を引き寄せて、じわじわとお前の熱に埋もれながら、頭のなかもカラダの中も、滾るように熱くて。
 視線も、吐息も、心も、身体も。
 いっぺんになにもかもが混ざり合う感覚に、我を失った。





「とにかく、もう少し自覚持て」
「うん」
「他人は案外、お前を見てるモンなんだから」

 情事後の幸せそうな顔を、腕で支えて見つめ合う。するりと掬った髪の束を、指に巻きつけて、口付ける。

「そうかも。アンコさんにこの前言われた」
「何を…」
「アンタ、いい恋愛してんのねって」
 表情がね、艶っぽくなったらしい。

「………っ!」

 ふわり、さらに表情をやわらげて俺を見つめる瞳に、どくん、どくん、心臓が暴れる。

「でも………私がこんな顔を見せるのはシカマルだけだよ」

 これ以上ないくらい愛おしげな表情を見せられたら、なにも言えなくなって。息が止まるほど強く、つよく、抱きしめた。



ワレモノ

その眼差しに、ヤられました。

 今すぐもう一回抱きたいなんて、がっつき過ぎでしょうか。男心ってのは案外敏感で、スイッチの入るタイミングも理由もなにも自分にはわからないのです。って、余裕ねえな…俺。
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