残念、時間切れ
いま振り返ればずいぶんとバカなゲームを始めたものだな、と思う。けれど負けず嫌いの私は、後になんて引けないのだ。どんなにバカバカしいと思っても。
◆
その日も放課後の教室で、シカマルと最近読んだ本の話をしていたら、部活を終えたらしいキバが割り込んできた。
「お前ら、ぜってぇ怪しいって」
「バーカ。んな訳ねぇだろ?」
「でも、いつも一緒にいるじゃん」
私とシカマルがふたりで過ごすのは、いつものことだ。でも付き合っている訳ではなくて、ただの友人。喋っていると楽しい、気の合う友人というだけだった。
その感覚がなかなか世間には受け入れられないものらしいと知ったのは、こうしてお節介を焼いてくる周りの人間のお陰(というか、せいというか)。
「キバ、煩いよ」
「んだよお前まで」
「一緒にいるのは話が合うから、ラクだから、家が近いから。そこに恋愛感情はあ・り・ま・せ・ん」
「だな」
ちぇー、つまんねえの。ぶつぶつ言いながら喰い下がろうとするキバに、シカマルとふたり 揃って苦笑を返す。
「んじゃ、お前らこの先絶対付き合わねえって言いきれんの?」
「「言い切れる」」
「なに声揃えて即答してんだよ、ムカつく」
「だって本当だから」
「すげえムカつくし!ぜってぇお前らくっつけてやるからッ」
「無理じゃねえの?」
「うん」
「世の中男と女しかいないんだから、ムリなんてことねえし」
「いや、そんな単純なものじゃないでしょう」
「俺も同感」
鼻息の荒いキバを見つめて、ふたりで肩を竦める。どうして人は誰かと誰かをくっつけたがるんだろう。他人のことなんて放っておけばいいのに。
男と女の間に友情なんて成立しないとか、どこかの一般論はただの一般論でしかない。私とシカマルの間では、現にそれが成り立っているじゃない。
「んじゃ、俺から問題です」
「は?」
「お前とシカマル、さてどっちのほうが先に告白するでしょうか?」
びしっと人差し指を立ててキバが提示した言葉に、ため息が漏れた。いやだから、告白も何も私たちは友達だし、今の関係に満足してるから。
「制限時間とか、つける?答えは俺様だけが知っている」
「いやいやいや、キバ。それないから。答えは"どっちもしない"だからね」
「さあな。ヒントはナシ」
「つうかキバお前それ、クイズでも何でもねえぞ」
「そーれーは、お前ら次第。だろ?」
なになに、何かおもしろそうな事してんの?俺も混ぜて、混ぜて。え?そりゃあ多分シカマルからだってばよ。俺、そっちに乗った!乱入してきたナルトと適当な会話をしながら、嵐のようにキバが出ていくのを呆然と見送った。
「なーんか、完璧遊ばれてるよね」
「ったく、もっと別の楽しみ見付けろっつうの」
「ホント。答えのないクイズなんて、意味ないし」
「まあ、アイツらの落胆する顔しか見えねえけど」
「そろそろ帰ろうか」
「おう」
鞄を手に取り、並んで教室を出る。
シカマルの帰路の途中に私の家があるから。一緒に帰る理由はそれだけ。
「言っとくけど、私からは絶対告白することないから」
「わーってるって」
「シカマルからすることもないと思うけど」
「さあ、な」
そう言ってはにかむ顔が、妙に心に残って。私は意図せず、すっかりキバの思惑に乗せられていた。
◆
それからの毎日も、変わらなかった。相変わらず私はシカマルと一緒の時間を過ごし、一緒に家に帰る。過ごす時間が心地いいと思える程度の好意はずっと前から持っていた。
「まーだ、答え出てねえの?」
「答えなんて最初からないから!キバのバカ」
「そんなこと、いつまで言ってられんのかなァ」
ニヤニヤとからかわれるたびに、絶対に告白なんてするもんかと意地を張る。だってそんなことをする必要はないから。この好意は、友情の領域を出ることなんてないのだ。たぶん。
「シカちゃんも、いい加減意地張んのやめれば?」
「っるっせぇな。黙れキバ」
私とシカマルは、ちょうど同じ分量だけの好意を互いに持っているのだと、そう思っていた。思おうとした。
「どっちのほうが先に告白すんだろうなァ?」
「どっちもしねえよ」
「早く答え言いたくて、俺うずうずすんだけど」
「しません!」
「じゃーな、おふたりさん。お先ー」
"告白なんてしない"。キバの遊び心から始まったそのゲームが、変な具合に心を捻じ曲げているのに気が付いたのは、あれからすぐのことだった。
"告白しない"というただの当然のことが、いつの間にか"告白してはいけない"という縛り文句にすり替わっているように思えて来たのだ。
抑えつけられると反発したくなるのが人間というもの。キバが最初からそこまで読んであんなことを言い出したのかどうかは分からないけれど、"告白してはいけない"と思えば思うほど、いつの間にか私は"告白がしたい"と思うようになっている。
「キバも飽きねえよな」
「ん……そうだね」
言葉を制限されたせいで、逆に感情が引き出されてしまったような、そんな感じ。悔しいけれど。目の前で眉間に皺を寄せてため息をつく男が、愛おしい。
愛おしいのに言葉にしてはならないのだ。口に出来ないと思えば、口にしたくなる。なんてバカバカしいゲームだろう。
「んだよ、なんか元気なくねぇ?」
「別に」
元気がないことには気付くくらい敏感なくせに、なんで私の元気がないのか その理由には気付かないなんて残酷だ。なんてシカマルを責めるのは理不尽だと思う。思うけど、でも。
「んじゃ、帰るか」
立ち上がるのに手を貸してくれるいつもの動作に、指先が震える。バカみたいだ。
何にも変わらないシカマルを見上げて、ため息を噛み殺した。
◆
認めるのは悔しいけれど、たぶんキバの言う通りなのだ。アイツにしては人間の心理を突いた巧妙な罠をしかけてきやがったモンだと思う。しかもそれをただの直感でやってのけるところがイタダけない。
「じゃあな」
「また明日、ね」
彼女の家の前で別れて、背中に感じる視線が、いつからかくすぐったくて堪らなくなっていた。振り返って、もう一度駆け寄って、俺の負けだって言いたくて仕方なかった。
どちらが先に告白するかなんて関係なく、いつまでも友人として仲良く出来ると思っていたのに。これまでずっとそうやって来たのに。
「くっそ、ムカつく」
言っちゃいけないなんて言われたから、つい気になった。気になってみていたら、自分の好意が友情なのかそれ以上なのか分からなくなった。なんでこれまでずっと一緒にいたんだろうと考えたら、不思議なほどに何もかもがしっくりくる女だということに気が付いた。この先もずっと一緒にいたいと思っている自分に気が付いた。
これは友情だろうか、それとも愛情だろうか。
「わっかんねぇ…」
分からない。分からないけれど、一つだけ言えるのは例えばアイツが誰か俺以外の男と仲良くするようになれば、きっと俺は"寂しい"と思うだろう、ということ。
それだけで十分に好きの理由になるじゃねえか、と思いたくなくて。それを認めたくなくて、必死で目を反らす。その後で、必死にならなきゃ反らせねえ位 好きなのかよ 俺は、と頭を抱える。
「まじ勘弁してくれよ、こういうの」
明日もまた同じ一日だろうか。それとも――もうゲームを終わりにしちまうか。
ベッドに寝転んで眼を閉じれば、浮かぶのはアイツの顔。ゲームの終わりが、ふたりの関係の終わりになるかもしれないことが、怖くて堪らなかった。
◆
いつもと変わらない彼女が家の前で待っているのを、ずっと遠くから目を凝らして見つめる。朝陽にブラウンの髪が眩しい。
今日はまだ始まったばかりなのに、これから一日感情を抑えつける時間が続くのか、とため息が漏れる。
「おはよう」
「おう、おはようさん」
言葉に出来ないが故に、余計にあっさりと心が囚われた。
俺がそうなんだから、もしかしたら彼女もそうなんじゃないかと思った。そうだったらいいのに、と。
「人間って、愚かな生き物だよな」
「そう、だね」
「バカバカしいと思いながら、嵌って行く」
「しちゃいけないって言われるほど、したくなる…とか?」
「ああ」
朝からする話題じゃないけれど、彼女の本心が知りたかった。安全かどうかを確かめてから飛び込もうとするなんて、恥ずかしいけれど、憶病になるのはそれだけ彼女が大切だから、だ。慎重に、慎重に、壊さないようにことを進めなくちゃ。
「抑えつけられると反発したくなる」
「そうだな」
なのに、彼女の口から出た言葉があまりに自分の考えていることにぴったりだったから。
「あのね、シカマル」
名前を呼ばれて、もうダメだと思った。もういい。俺の負けで、いい。
つうかこういうことを女から言わせるのは、やっぱり男としてまずいと思うんだ。
「………ストップ」
彼女の言葉を止めるため、そっと手を繋ぐ。立ち上がるのに手を貸したことは何度もあったけれど、こうして意図的に手を繋いだのは初めてだった。
「シカ…」
「言うな」
「シカも言っちゃダメ」
するりと自然に指が絡む。ほどけなくなる。これって、俺の負けじゃねえってこと…だよな?
「キバを喜ばせるのは癪でしょ」
「だな。んじゃ実力行使ってことで」
絡めた指を引き寄せて、正面から見つめ合う。吸い込まれそうな透き通った瞳に、俺が映る。
やっぱり俺たちは、同じ気持ち。らしい。
じりじりと吸い寄せられるように顔を近付けて、こつん、鼻頭がぶつかる。
同時にくすり、笑いを漏らして。唇が重なる寸前――
「よぉー!!おっはよーご両人」
能天気なキバの声が、往来いっぱいに響いた。
残念、時間切れ正解は、"ふたり同時に告白"…です。当たったろ? ハ・ズ・レ。残念ながら、どっちも告白してねえよ――んな必要は最初からなかったから。